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歴史小説『はみだし小刀流 一振』第6話 傾奇者

宇喜多直家はその後、戦国の梟雄と呼ばれることになっていく。たった一人から始まった彼の復讐劇に仲間が多く倒れたのだろう。商人気質の合理性で考えればどんな手を使っても、集団戦に持ち込まない方が犠牲者は少ない。例えば海賊の親玉を屠ってしまえば集団は瓦解する。そんなことを直家は考えたのでは無いだろうか?!経験したのではあるまいか?!筆者は彼の足跡を辿ってみるとそんなふうに思ってみたりする。贔屓目なのかもしれない。砥石山城から宇喜多直家の備前平定は加速して吉井川を上っていく。それは直家を梟雄と呼ばせる非常識戦の数々だった。

『まさか戦い始める者が現れるとはな。』
『まだ単独の争いですが困ったものですな。』
剃りこんだ頭髪に豪奢な頭巾を被る若僧が老年の者に話す。
『もっと暴れさせて計画自体を頓挫させなければ、我々に変わる厄介な勢力圏を生み出すことになりかねないですからな。』
『おっと御坊、そういったことはこういう場所で語るべきではないな。』
西大寺門前街の離れ遊郭の一角の別棟で豪華な酒宴が開かれている。
『申し訳ありません、御前様。僧というものはこういった場所にも相応しくない者ですが…。』
御前と呼ばれた老年の商人が地味だが仕立ての良い隠居服で苦く短く笑った。
『なんにせよ。大事にしなければ藩庁は動くまいて。』遠く障子越しに風が鳴る。
この晩の雲は月を濡らすような湿気を含んで雨を運んでいた。

小文太が焼け落ちた作業小屋に着いた頃、白白と朝の光が差し始めた。ただ曇り空で今にも雨を降らしそうな灰色の雲が広がる。
待っていると作業員の中心となっている弥助がやってきた。
『棟梁、おはよ』
小文太は朝の挨拶を遮るように足早に坂を上がり聞く。
『堤に問題はないか?あれをやられると少し厄介だぞ!』
『奴らも自分たちの住処を水浸しにはしないでしょう。』
『わからんぞ、奴らは揉め事を望んでいるからな!』
担当の堤を調べながら小文太が吐き捨てるように言った。

金岡新田村は入り込んだ海を干拓する形で誕生した。それは新たな希望を抱かせた村としての出発であった。
大阪の豪商の計画を藩が後押しする形で開拓は行われた。もうすぐ1度目の苅入れの時期を迎える。
干拓にも一部参加した小文太は生み出された農地に感動した。
入植が始まり他方から多くの入植者が連れられてきた。最終的には150人に登ったという。
元々、側面では世話焼きな小文太は『面倒だ』と愚痴りながら農機具の手配などの相談にも軽く応じていた。
小文太が補習、担当する現場堤はこの新田を守る形であったからである。
入植者の毛色が変わり始めたのは夏の暑さが一段落した頃である。
新田村の1軒に、その頃『傾奇者』といわれる人目を引く奇妙な服装の者が出入りし始めた。農地を耕すこともせず、何処から手に入れて来たのか。昼間から酒を飲んで騒ぎ始めた。
最初は他国者ゆえそういう者もあるだろうとおおめにみているうちに10人ぐらいに増え、傾奇衣装に飾った脇差しを見せびらかすように指し、真面目な入植者の村人に迷惑を掛け始めた。

最初『関係ない。ワシの仕事じゃない。』と傾奇者集団に目をつぶっていた小文太は堤補習組の作業員(一部入植者の子弟などを小作業に雇っていた。)がからかわれるに至ってほっておけなくなった。
傾奇者の集団は日に日に少数ずつ増殖しており20人近くに及んでいた。

『中心の頭がいるじゃろう、話を付けてくる。』
若い入植者の娘がからかわれ作業場に逃げ込んで来るに至り、小文太は言った。
『組頭。もっと上の指示を仰いだ方が…。』
兄から自分に付けられている作業ガシラのひとりが忠告した。
『なに、大したことにはなるまいて。ここの責任者はワシじゃ。』長兄の偉そうな顔を思い出し、顔をしかめながら小文太は強がった。

小文太の予想に反してこの後、傾奇者集団との揉め事を小文太は自ら招いていくことになった。



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