人生のステージ

人生にはステージがあり、そのステージごとにある幸せと悩みを人は抱えている。エリクソンという教育心理学者は人生のステージを発達段階理論として発表している。


エリクソン 発達段階 ネットより

最近、友人と話していると家族の問題が大きくなっているようだ。私は逆に家族の問題は30歳くらいまでずっとあり、誰にも相談できなかった。家族の問題は相談しにくい。人にとって当たり前にあることがない家庭に生まれ育ち、子どものころは自分と友人の差に気づいていたので、気持ちの上で何とかやりくりして同年齢の集団と過ごしていた。分からないことや理解できないことを、子どもはひどく差別的に捉え、排除するように思えていた。今になり友人たちは親の老いやお金の問題を悩んでおり、すごく友人の気持ちがよくわかる。家族の在り方は千差万別でどうしたらよいかなどは決して言わないのだが、自分はそれに悩んでいるというのが前面に出ていてすごくいい。

一般的な思春期にほかの人が悩んでいたことを私は悩めなくて、家族や生活のことをずっと考えていたが、大人になり家族や生活の問題は落ち着き、子どものころはなかった余裕が出てきたので一般的に思春期にやりそうなことを今、やっている。逆に友人たちはエリクソンの発達段階の通りに人生を歩んでおり、今、自分のことでなく絶対に解決できない他人の悩みを解決しようとしている。友人たちはまだ知らないように思える。親の悩みを子どもは解決できないし、子どもの悩みを親は解決できない。それは親と子供の年齢がどうであっても同じである。お金があれば状況的には少し楽になるかもしれないが、問題が爆発するのを後回しにしているだけかもしれない。どちらにしても問題が大きくなる前に、当事者同士で話し合い、現実的なところで落ちを付けなければいけない。それは誰か損かもしれない。でも誰かは分からない。

私はずっと家族のためを思い働かなければと思い込み、ひどく献身的であった。しかし親はそんなことを頼んでいないのだ。彼らは私の悩みに寄り添うことをせず、他の兄弟の悩みには寄り添うのであれば、やはり私も親に寄り添わなくてよいし、そもそも頼まれてもいないのだ。私も助けてくれとはっきりは言っていない。また親は子供の悩みに寄り添うべきだと思うのだが、親に愛されたくて、親をサポートする私の姿勢は利己的だ。こういう見返り欲しさの行動や気持ちは、疲れる。返ってこないことが多いし、あげたくなければ、あげなければよい。自分のお金や時間をあげても気にならないところで生きていけばよい。相手が理解できるかなんて求めてはいけない。

友人たちはどうなんだろう。人の心は決して見えないが、親との人間関係ができているのであれば、やはりそれは継続したほうがいい。昨日今日の人間関係ではないので、献身的に親を助けたいように見える。

友人が、自身にとってすでに通り過ぎたステージに真剣に取り組もうとしているのを、あなたは笑うだろうか。それとも共感を示すだろうか。自分には与えられなかった選択肢を求められたとき、あなたは与えるだろうか。人間の誠実さが試されるシーンである。

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