先ずは信じる事から始まる、常不軽菩薩の精神/仏教、写真
常不軽菩薩という菩薩様がいらっしゃいます
この菩薩はどんな人を見ても貴方は仏様になれる
方であると合掌し礼拝します。
ですが周りの人達は常不軽菩薩に
馬鹿にされたと思い
暴言を吐き 石を投げたり 棒で殴りつけたり
します。
ですがそんな人達から逃げて
それでもなお
貴方達は仏様になれる方です
と拝むのです。
常不軽菩薩とはそんなお方です。
常不軽菩薩品の中には
こんなお経の一節があります。
経典を読誦せずしてただ礼拝を行ず
と あり
これはお経などを読誦せずに
みんなには仏様になれる心があるんだと
信じて頭をさげる 。
と書いてあります。
読誦とはお経を読み心の中でも唱える事を
言います。
ですがこれを鵜呑にして
そのまま訳してはなりません。
常不軽菩薩 程の方が読誦してないなどと
勘違いしてはならないのです。
これはどんな意味かと申しますと
読誦をする前に
皆の中にも仏様の命、心を持っている事を
強く強く信じる事がまず第一であり
信じる事の重要性が
この一節で説かれてあります。
お経を読み進めていくと
読誦をしている事を裏付けるように
後々周りの人が常不軽菩薩を信じだし
法を説いて教化していく所が書かれてあります。
法を強く信じる事を受持といいますが
菩薩には5つの行が欠かせません。
その最初にするのがこの受持なのです。
受持の後に読 誦、解説、書写とあります。
読誦とは読と誦とわけてあり
これは先程申したように読は読む事 誦は
心の中でお経を繰り返す事を言います。
解説は人に教えを説く事です。
書写とは教えを世間に広めていく事を言います。
昔は今のようにSNSやテレビやラジオなどの
メディアはなかったので教えを書いて
広めていました。
ですので書写というのは世間に教えを伝えていくという意味なのです。
この5つを五種法師といいます。
この5つの行をしていくことで
私達の六根、目 耳 鼻 舌(口)身、意(心)
6つが清まり仏様のように近づけるという
ことなのです。
それにはまずこの教えそしてみんな
仏様になれるだけの心を頂き備わっているのだと
まず強く信じることが一番重要なのだというのが
先程冒頭でお伝えした
読誦せずしてただ礼拝を行ず
という一節に込められています。
ですので常不軽菩薩が全くお経を読まない
菩薩と解釈されるは
大きな大きな間違いであります。
何事もそうですが先ずは
自らが素直に実践をし悟ることが
とっても大切です。
悟ると言うと選ばれた人しか出来ないものと
思われがちですがそうではありません。
仏教は誰でも救われる教えです
教えのとおりに実践すれば
必ず気づきを頂けるのです。
その為にはこの受持が欠かせないのです。
信じるとは人が言うと書き
どこで言うのかと言えば精神 心なのです。
キリスト教でもまず初めに言葉ありき
言葉があったとされます。
言葉とは神のことを指しているようですが
と言うことは言い換えれば神が根源である
とおっしゃっています。
ならば仏教で言うならばこの世の根源、
つまり命は仏様であると
強く信じることから始めなければ
何も始まりません。
先程も言いましたが
読誦せずしてただ礼拝を行ずという
この一節はこの世の根源、仏様を強く信じる
事が宿されていると思います。
その信じた心で読誦をし解説をし書写をする事で
その思いや行動に宿され自分でも信じられない
結果を生むのです。
先ずは何事も信じることが大切です
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