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仏教 / 悲しみに寄り添う心、観世音菩薩の精神


観世音菩薩、通称観音様と呼ばれて慣れ親しまれている菩薩様ですが

この観世音とはどんな意味でしょうか?


観とは観察と言う意味で

世とはこの世の事

音は人の心の音、即ち心の声と言う意味です


ですので観世音とは

この世の人の心の声を色んな角度で観察し

人々を救済する菩薩様

という意味があります。




観世音菩薩は三十三身と言って

人の苦しみに合わせて色んな形の身になって

救ってくださると書いてあります。


私達は絶望の淵に立たされるような苦しみや

悲しみに出会うことがあります。

心は冷え切り凍えてしまい

自分の力だけでは乗り越える事が出来ない人は

沢山います


そんな時、人の心に寄り添い

その人の思いになって

辛かったね、苦しいのに頑張ったねって

言う言葉がどれだけ冷えきった心を暖めるか

どれだけ嬉しいか

悲しみに寄り添い

一緒に泣いてくれたらどれだけ救われるか


そんな方が観世音菩薩です。


そんな心がどんな人にもあると言うのです。




詩人の山尾三省という方がいらっしゃいます。


その方が観世音菩薩について詩を書いていて

ここでご紹介したいと思います


「一人の人が ぼくに喜びを与えてくれるならば

  その人は 観世音菩薩なのであり

  一本の樹が ぼくに慰めを与えてくれるならば

 その樹は まごうかたなく観世音菩薩なのである


〜中略〜


わたしが人を責めることをしないならば

それが観世音菩薩であり 

あなたがわたしを許してくださるならば

そこに観世音菩薩は 現前しておられる


観世音菩薩というのは

世界を流れている 深い慈悲心であり

あなたの内にも わたしの内にも流れている

ひとつの 深い 慈悲心のことなのである」



観世音菩薩様の事をこんなに優しく深く

わかりやすい詩は本当に素晴らしい

詩であります。


人の弱さも迷いも苦しみも悲しみも

全て包んでくれる存在であり

私達の中にある深い慈悲心

それこそが観世音菩薩だと言うんですね


私は以前

「皆 観世音菩薩の心を持っている尊い存在

    であり観世音菩薩様のように なりなさい」

    教えて頂いた事があります。



私達は足りないものですから

つい人を許せなくなったりイラッとしたり

他人と自分を区別して人が苦しんでいても

自分が大変だから自分には関係ないと

思いがちです。


ですがどんな人にも流れる観世音菩薩の

慈愛に満ちた精神を思い出して

人に優しく寄り添う心を皆さんと共に

持ちたいと私は思っています。

目の前の人を 今の社会を 平和にしていく事を

切に願い祈らせて頂きます。


本日も最後まで拝読して頂き有難うございました































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