名前は後ほど。

姓名判断で究極の根無草と言われ、言われてみればそうだったなぁと過去を振り返るおじさん。…

名前は後ほど。

姓名判断で究極の根無草と言われ、言われてみればそうだったなぁと過去を振り返るおじさん。 プラプラ行った所で出会った人や諸々を思い出しつつ書いてみる。 たまに横道に逸れるかもだけど根無草なんで勘弁してください。

最近の記事

夜の道。

 その日は夜の峠道を車で走ってた。 街灯なんてない暗い夜道を走る。 一応左右で車がすれ違うには不自由しない程の道幅がある。 くねくね曲がる道から少し直線に出たら、何か道の端に動く物がある。 峠道で鹿とか猪とかに遭遇した事もあったから警戒して減速。 するとサッと小さな影が道路を渡った。 その後ろ、更に小さな影。 車を止めると狸の親子。 しかし、母狸と小狸1匹は渡れたが、残された小狸3匹は母と分断されたショックか道端でモジモジするだけで動こうとしない。 渡るまで待つか、そう思いギ

    • 炎上。

       noteのトップ見ててナウル共和国の話題があった。 何でもA Iで書いた絵をツイートしたのが切っ掛けだとか。 これで誰がどの程度の損害でたらこうなるのか不思議だ。 ネットに掲示板てのが出て来てだいぶ経つが最近特にこの手の話は聞くようになった気がする。  とはいえ、今まで無かったのかと言えばそんな事もなく度々起こった事だ。  ネットの炎上と聞いてどう思うだろうか。 大別すると個人の問題、社会問題に分かれるが、個人は今回触れずに社会問題について、今まで感じた事を書いてみる。

      • 忍び寄る影。

         その日は夜通し車で走ってて朝方幹線道路を走ってた。 車道には車がまばらで何個も先の信号も見える直線、しかも走ってるのは私の車だけ、くらいの交通量。  普段なら少しはアクセル余分に踏み込む所だが、何かが引っかかってて制限速度プラス5キロくらいで流してた。  ふと何かが視線に入りバックミラーを見ると赤い回転灯。 白バイが私の車に近づいてる。 こっちは切符切られるような速度ではない。 一応気を付けようとスピードメーター確認して速度をピッタリに合わせる。 そうこうしてると白バイ

        • なんで話したんだろう。

           その日はそろそろバイクじゃ涼しい、いやちょっと寒い日だった。 そろそろ防寒着も出さないとなぁ、なんてのんびり走り地元のコンビニもどきで昼飯買って近くの公園?広場?でぼやっとタバコ吸ってた。 「一本恵んでくれんか?」 そんな声にそちらを向くとお爺さんが両手を合わせて拝んでた。 「あ、どぞ」 タバコを渡すと一本抜いて箱を私に手渡す。 「店も近いが、どうしても吸いたくなってな」 そんな事言いながら私の隣に並んでプカリと煙を吐く。 「天気いいっすね」 そんな世間話しながらお爺さん

          エセ科学。

           今回の話はちょっと不愉快になる人も居るかも知れない。 記事の題名から不愉快な空気を感じ取れるようなら記事は読まない事をお勧めします。  近所で子供が遊んでた。 男の子が数人、石で何かを叩いてた。 私はバイクのメンテをしててそんな様子をぼんやり横目で見ながらキャブの掃除を続け、ついでにエンジンの腰上もバラすか考えてると男の子がうっ、と短い悲鳴を上げて蹲ってた。  あー、やっちまったかと男の子に近寄る。 指叩いて腫れてるくらいかな、と覗くとたらっと血が出てる。 私も怪我はそれ

          結婚式。

           方々走り回ってると腰入れとか、結婚式とか見たりする。 そんな中でも特に心に残ってる物がいくつかある。  その1。 長閑な農村といった風景を車で走ってると、何故かパトカーがトロトロ走ってる。 その先に子供とスーツをビシッと着た大人。 子供も心なしお洒落な服装。 そんな集団が片側道路一杯使って歩いてる。 何だこりゃ、何かの活動家ってやつか? 一応追い越しも追い抜きも出来る道路だったから見晴らし良くなったらパスしようと待ち構えてると箱乗りになった後部座席のお巡りさんが 「お嫁さ

          若気の至り。

           人生一度や二度は無鉄砲な計画を実行した事があるのでは。  高校の頃自転車で長距離走るのが好きだった。 それこそ半日走り続けても普通にご飯食べられるくらいには自信があって、どこまでが自分の限界か試したい欲求もあった。 もう100キロくらいなら一晩寝れば後に疲れが残ることもない、山道選んで走りわざと負荷を掛けるくらいはしてた。  そして高校最後の夏休み。 バカやるなら今しかないとラーメン屋のバイト先にも断りを入れ、太平洋から日本海を最短で見る計画を立てた。  結果から先に書

          大衆食堂。

           皆様、旅行先やふとした時に食事する場合、どこに行きますか? 私は大衆食堂に行くのが好き。 近所ではもうそんな店はなく、遠出した時にふらっと寄ると思いがけない食事にありつけるのもまた嬉しい。  その日もバイクでフラフラしてて腹減ってどうしたものかと店がある度食事出来るか見ながら進んでた。 そんな感じでトロトロ走ってるとウナギののぼりが立ってる食堂が。 うなぎか、とその店に入りメニューを見るとうな丼700円。 当時としても安く即決し、鰻丼を注文するが、 「ごめん、うなぎ切れち

          プレママ。

           昭和の頃はよくある話だと思うが、小さな子供をちょっと大きな子供が面倒見る、そうしてお母さんは買い物に出たりしてた。  私は子供の受けが良かったのもあって近所の子の面倒はよくみてた。 私自身も子供の世話は嫌いじゃなかったし、乳幼児も世話してた。 そんな事を続けてると中学生の頃には託児所扱いというか、近所のお母さんも安心して預けていくようになってて、赤ちゃんの世話も一通り出来るようになってた。  そんなある日、役場主催のプレママ講習があり回覧が回ってた。 丁度妊婦さんも居て

          これ美味しいっすよ。

           そろそろ暑くなってきた頃、涼むつもりで山に行った筈なのに気付けば海側に。 お腹も空いて、何でもいいやとバイク走らせてると回転寿司の看板。  個人店らしく聞いた事のない屋号。 海も近いしハズレは無いだろうと己のカンを信じて入店。  店に入ると老人会のバスツアーの客だろうか、20人程のお爺ちゃんお婆ちゃんが私を見た。  が、すぐに興味がなくなったか視線を外した。 添乗員も盛り上げようと頑張ってるが反応はイマイチ。 席に着いてレーンを見ると止まってる。 「何にします?」 おばち

          これ美味しいっすよ。

          ストーカー。

           いつもならこういう話は友人によくある話なんだが、珍しく私がターゲットになってしまった話。  私と友人は同じラーメン屋で高校の頃バイトしてた。 まぁまぁ使える部類だったと思う。 友人は更に使える男だったらしくバイトではなくパートで副店長扱いだった。 同年代の男がもう一人バイトしてたが、そいつには内緒な、と言われて最後までこの話はしてない。  まぁ、そんな話はさておき、バイトは楽しく特に私の場合子供の人気が高く絡まれる事は多かった。 その流れでお母さんからの人気もまぁまぁあ

          え、ぺ、ぺ。

           その日は潮風に当たりたくて漁港に来てた。 大体着くのが午後だから漁も終わり、漁師さんも次の漁の準備したり後方付けしてたりのんびりしたものだ。  もう後方付けも粗方終わり漁師さんが外道を野良猫に投げ与えてた。 猫も序列があるのかいかにもボスっぽいのが大物咥えて堂々と去ると中ボス、子猫と体格が小さくなるに連れ投げてる魚も小さくなる。  そんな風景をのんびり見てると遠くの方からぴょこぴょこ歩いてくる生き物、絶対ここに居ていい種じゃない。 「ぺ、ペンギン!?」 間違いなくペンギ

          テストついで。

           Tシャツヤーンてご存知でしょうか。 数年前流行ってダイソーにも売ってたんですけど、もう見つけるのも一苦労です。 そんなTシャツヤーンが流行った時に猫ちぐら作ろう、みたいな本があり興味本位で買ってみた。 そこから初のかぎ針に挑戦したが猫ちぐらは結局マットになってしまった。 洗えるし、猫も寛ぎスポットとして爪研ぎとして使ってくれてます。  それでもかぎ針で作るのが楽しくなり未だに細々作ってる。 冬前に指貫の手袋とか、ルームシューズもどき作ったり皿洗い用のタワシあんだりしてる。

          美味しいぞ。

           春、そろそろ上着も一枚脱ごうかな、って時期。 その日は散歩がてら海は近いけど山の中ほどって所に行っていた。  昼は山の幸がふんだんに使われた食事をして辺りを散策。 海風も吹いてくる細い道、天気も良くまさに散歩日和。 古い町並みの家先でお土産売ってる家もちらほら。 そんなお土産見ながら歩いてると岩造のしっかりした門柱の横で比較的大きめに露店広げてるお爺さん。 見ると売り物はいちご。 果物は大好きなんで興味が湧いて近寄ると 「お兄ちゃん、どうだ?美味しいよ」 愛想はお世辞にも

          スピード違反。

           まだまだビデオテープが高かった頃のお話。 近所の電気屋で買うと確か二千円/120分くらいの価格だった。 所が都心まで行くと3本二千五百円とかの値段だった。 アニメとか録画してて最初は三倍で録画してたがオタクってのは画質が悪いのがだんだん許せなくなる。  さりとてお小遣いやりくりしてる身、何とかならないかと都心に行ったらだいぶ値段が違う。 そうは言っても毎回電車賃出すのもなぁ、と思案して自転車で行こうとなった。 移動距離は往復90キロちょい、この当時は走れない距離でもなかっ

          スピード違反。