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目の前にある「物語」に囚われてはいけないというおはなし

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続報を挿入して更新しました。

ハフィントンポストというWebメディアをご存知でしょうか?

朝日新聞系列の「自称ニュースサイト」です。
以前から報道とは名ばかりの井戸端会議キュレーションサイトになっていたのですが、またしてもやらかしました。

タイトルについて

"「自然破壊」と批判殺到"という文字を見て、多くの人は「そっかー、代々木公園で自然破壊が行われてるのかー」と思ってしまうんです。
ていうか思いますよね?
日本人は「批判」という文字を見ると、批判者側が倫理的にも科学的にも正しいと思いがちです。

批判とは下記の意味です。

[名](スル)
1 物事に検討を加えて、判定・評価すること。「事の適否を批判する」「批判力を養う」
2 人の言動・仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること。「周囲の批判を受ける」「政府を批判する」
3 哲学で、認識・学説の基盤を原理的に研究し、その成立する条件などを明らかにすること。

「評価」と同様、もともと上から目線な言葉ではありますよね。
ですから、東京都側が序列として下に来るわけです。そして科学的・倫理的見地から認めざるをえない誤謬を抱えているのだと受けとめることになります。

本来なら「批判」に、立場が上位のものが下位のものの過ちに対し科学的・倫理的に正しい指摘を加える、という意味はありません。
が、日本では立場が下のものは上のもののいいなりに、過ちを見て見ぬふりすることが多いため、含みのある言葉になってしまいました。

んなこたどうだっていいんですよ。
このタイトルを見て気にするべき点は「自然破壊」です。
まさかいい大人が、東京の街中に人工的に作られた公園を「自然」と呼ぶべきだと思ってますか?
(参考までに、日本の森林を約2,500万ヘクタールとして、そのうち1,000万ヘクタールが『人工林』であるといわれています。およそ4割にあたります)

マンションのテラスにつくった花壇を指して「うち家の裏に山持っててさー」といいますか?

このタイトルは「自然破壊」という単語を見た人が悪=権力者が地球上に残された数少ない自然である代々木公園をメチャメチャに破壊する、という物語を想起するように仕掛けられているわけです。

タイトルについては終わります。が、一度ツッコミを入れるようなタイトルであったことは覚えておいてください。


本文の誤謬

本文にいきましょう。
全文引用はできないので、一部引用の上、解説を加えて補います。

東京オリンピック・パラリンピックのパブリックビューイング会場のために、代々木公園の木の枝を切るのを止めて下さい――。

はい来ました「枝を切るのを止めて下さい」です。いいですか? ここでさっそくタイトルを思い出しましょう。
枝を切ることは自然破壊ですか?
髪を切ることは美容整形ですか?

東京23区内はほぼ人の手が加えられた土地ですし、なんなら東京湾沿岸部の多くが埋立地です。

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(Google Maps より)

中央区、品川区、大田区、江東区、などで海岸線が直線だったり、道路が直線という場所が多いのは埋立地だからです。

本文1行目からタイトルを裏切って来たんですが、続く2段落目でも、木の剪定中止も求める署名キャンペーンと明記されています。
みなさん剪定ってわかりますか?

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職人が枝先を整えることです。

みなさんもうそろそろこの記事の正体がわかってきた「気がしている」頃でしょう?
「あーオリンピック反対のために恥も外聞もなく運動始めちゃったのね」というように。

実はこの記事、それに留まるものではないんです。

記事中盤ではちゃんと意味のあることが書かれています。というか、本来署名キャンペーンが持つ意義というべきものです。

しかし署名キャンペーンを立ち上げた経営コンサルタントのロッシェル・カップ氏は、新型コロナ感染症を抑えようとしている時に、わざわざパブリックビューイング会場を作ることを疑問視する。

どう思いますか?
「感染防止のために、公園へのパブリックビューイング会場設置反対」なら、全然納得じゃないですか?
これならオリンピック賛成派・推進派の人でも「ああそういう考え方もあるかもね」と思うはずです。
少なくとも報道とは名ばかりの井戸端会議キュレーションサイトでもここまで頭悪そうな記事にはならなかったことでしょう。

続く段落ではこうあります。

同氏はキャンペーンサイトで「変異株の影響でコロナ感染が拡大しつつあり、ワクチン接種の進捗率が遅い中で、パブリックビューイング会場を作って何千人もの人を集めるという行為自体が賢明ではありません。コロナの影響により、五輪中に日本に訪れる外国人は激減するため、パブリックビューイング会場の必要性もありません。そして、たった数週間のために多くの木を剪定して、形を永久的に変える必要はあるのでしょうか?」と訴える。

せっかく前半でよさげなことを書いているのに、最後がで台無しです。
木を剪定することで形は永久的に変わるというものでもありませんし、もし形が変わったとして何かよくないことがあるのでしょうか? 代々木公園の樹木が大宇宙のパワーでも受信していたのでしょうか?

ところで、記事本文中一度たりとも「自然破壊」の文言はありませんでした。
つまりこの記事のタイトルは読む人の感情を煽りたてるために、本文に出てこない単語を使用したわけです。
わあ、まるで売れるnoteの書き方みたい、勉強になりますねー(皮肉)


結局何がいけなかったのかというと、以下の2点です。

◇記事に取り上げられたロッシェル・カップ氏が「オリンピック反対」と「感染リスクのある公園での会場設置反対」を混同したうえ、理性的な運動の材料として適さない「樹木に手を加えるな」を取り入れてしまったこと
◇掲載したハフィントンポストが意図的に「樹木に手を加えるな」を強調したうえ、タイトルに「自然破壊」という壮大な物語を想起させる単語をもちいたこと

オリンピック賛成反対どころじゃない人々がたくさんいます。
政府はそんな人々を放置しています
反対する活動家にいたっては、そんな苦しい人々を運動の駒として使い、残った金銭まで搾りとって捨てます。

どちらも「共感の物語」を提示してくるのが特徴です。

推進派が示すのは「コロナに打ち勝つオリンピック」
反対派が示すのは「オリンピックによる被害」
どちらも「共感せよ」と人々を縛ろうとするのは同じです。
あなたはそんなものに「共感」というリソースを割く必要がありません。

今回はたまたまオリンピック反対派の瑕疵が目立ったので題材としましたが、どの立場の人に対しても同じです。
権力者も、庶民も、親兄弟も、恋人も、子供も、同僚も、先輩も、親分も、教祖様も、プペルも、みんなあなたを裏切ることのできるスイッチを持っています。
必要なのは「共感」ではなく、そばにいる人と「ともに歩む」ことです。

◇◇◇◇◇◇続報◇◇◇◇◇◇

実際に剪定が行われたようです。

阻止するという署名キャンペーンだったのですが、その署名はどこかへ提出されないのでしょうか?

勝利だそうです。
「諦めたと解釈して」とのことですが、これは想像にすぎません。
つまり目的を果たしたかどうかではなく、自分たちの運動がひと通り実行できたこと時点で満足しているということです。
ロッシェル・カップ氏は知名度も人脈もそこそこある人なので、悪い見方をすれば「カモを一定数捕まえた」ので満足しているのでしょう。

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