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おせっかいおばさん *HSP

わたしは夫によく「おせっかいおばさん」と言われます。

HSPの気質である周囲の変化に敏感なところを活用して?
つい頼まれてもいないのに、「困っている人」を察知して
声をかけてしまいます。。
その現象を夫は「おせっかいおばさん」と呼びます。。

例えば、8歳くらいの男の子が一人で電車に乗っていて
駅に着いて扉が開くたび外に出たり中に入ったり、
明らかに不安そうに見えたので
「どこで降りるの?」と声をかけてしまったり、、。

近所の公園で俯いて自転車にまたがる女子高生に出会ったときは
ただ眠いとか、疲れているだけかもしれないのに、
もしかして辛いことでもあって絶望しているのかもしれない、、
と勝手に思ってしまい、的外れかもしれない励ましを送り続けました。

日常のあらゆる些細なところで、この「おせっかいおばさん」を
発動してしまうわたしですが、いつもおせっかいになるわけではなく
ときにはすごく喜んでもらえたり、どっちかわからない場合もあります。

このどちらかわからなかったときは、声をかけてみて良かったと
思うことにしています。

だって恥ずかしくて、本当は助かったと思っていても
素直に喜べないときもあるかもしれない。

わたしの中のルールで、一度声をかけ、
助けや手伝いを断られた場合は、
当然ながらすぐ身を引くので
ありがたいことに、迷惑だと怒られてしまったり
嫌がられてしまったことはないです。

だから既にけっこうこの世の中は、
優しい世界なのかもしれないと感じます。



この「おせっかいおばさん」は自分のときにのみ使う
言葉で、他の方の親切に対して決してそうは思わないので
この話題で並べてしまうのは、少し違うのかもしれないけれど

今日、混んでいる女子トイレに並んでいるとき
時間がなくなってきて、仕方なくトイレはあきらめて
化粧直しのみ済ませて出ようとしたとき、
先ほどまで後ろに並んでいた女性が、そのときちょうど空いた
個室を譲ってくれようと声をかけてくれました。

わたしがトイレを待っていて、時間がないからあきらめたのを
気づいてくれていたんです。。
なんて親切な方なんだと本当に感動しました。

もちろんお礼だけ伝えてトイレには入らなかったのですが
わたしも「こうありたい」とまたひとつ勉強させてもらいました。

結果はトイレに入れず、化粧直しのみで出たという事実で
なにも変わらないけれど、人に優しくしていただいたことは
心があたたかくなるハッピーをくれるので、
こんな気持ちにしてくれてありがとう。といつも思います。

そしてわたしの思う世界は、そんな人に優しい人が溢れている
世界を作っていくことです。

誰も救えていなくても、誰の便利にもなっていなくても
この気持ちを喜んでくれる人が増えてくれたら嬉しいし、

今日会った女性のように親切な方と出会うたび
わたしもこうなろうと思うし、
こうなろうって人が増えるといいなと思います。

そして、この方の親切がどうか踏みにじられたりしない
世界が続くといいなと願います✨

目の不自由な方に声をかけるときは、
急に肩を叩いたりせず
「どちらまで行くんですか?
 お手伝いしましょうか?」
と先に声をかけます。
(急に触れられると驚いてしまうという話を
 聞いたことがあるので。。)
今まで何人もの白杖の方に声を掛けてきましたが
みなさんとても喜んでくれます。
電車を降りて、改札までご案内することが多いですが
お話している中でその先に乗りたいバスがある場合は、
バス乗り場までご案内したり、同じ停留所に行き先の違うバスが
来る場合には、一緒に目的のバスを待っていたこともありました。

目が見えなかったら、耳が聞こえなかったら
見た目ではわからないけれど、電車がすごく怖いとか
立っていることがしんどい方とか、
なってみないとわからない世界があります。

わたしは想像の中でしかないけれど
HSPであることで、
人よりイマジネーションできるのでは
ないかと思っていて、
その力は少しだけ誰かの役に立てると
気に入っています*

ある企業が障害は人にあるのではなく、社会にあると
言っていました。
車椅子で階段を登れない方がいた場合に、
原因を車椅子だからと捉えるのか、
そこにスロープがないからと捉えるのかの差だと
おっしゃっていました。

社会が変われば、何かに不自由な方や不便な方の
生き方が変わるんだと思います。

そして社会を変えるのは、わたしたち一人ひとりの
小さなおせっかいからはじまるのかもしれないです😊

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