【読書記録】学問のすゝめ初編を読んで
ここで「かかる愚民」として、文脈的に、私欲のために法を破るもの、遊惰放蕩に流れるような人のことを表すのかな?
この部分を読んで思い浮かんだのは、理不尽だと感じるような政治家の対応や、現に日本や世界の解決してほしい問題である。だけど、それを選んでいるのは自分だということ。自分に責任があるとも考えられる。私は生きやすい世の中を作るかは自分次第って解釈した。
私は、政府に対して様々な考えを持つ。例えば、年金の案内が届いたのだが、毎月の支払・負担金額の高さに驚かされた。もちろん、少子高齢化などで若い年代の負担額は両親の世代より多くなるのは仕方がないのかもしれない。
だけど、私を含め周りの友達にとっては大きい金額だった。(学生は免除できる制度がある)
このことは、以前から問題視されていたことだろうと思う。それに対して人口問題などを含め、政府に有効な策を出させなかった責任・代償は大きいのかもしれない。
私は権力を持った人がその大きな責任をより多くの国民のために果たしてくれる社会を作りたい。(理想すぎるかも)おかしなことに対しては、「歯止めがかけられる」「暴走させない」ために動こうと思えた。
次の選挙では、これまで以上に注目して投票したい。
自分の身に被害があってからでは遅い。って気づいたし、愚民にはなりたくないな。
民主主義はいい制度だと思うけど、その分国民の考える力が試されているんだなって思っていた。ほかにも、大多数の意見によって決まるから私一人だけでは、いい方向にも悪い方向にもいかない。この本のこと、自分が生きていて感じていること、これまでの学び、3つがつながった。
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