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【読書記録】学問のすゝめ初編を読んで

かかる愚民を支配するには、迚(とて)も道理をもって諭すべき方便なければ、ただ威をもって畏(おど)すのみ。

西洋の諺に愚民の上にからき政府ありとはこのことなり。こは政府のからき(本文は漢字表記だった)にあらず、愚民の自ら招く災いなり。

 福沢諭吉 学問のすゝめ 岩波文庫 2015年 p18

ここで「かかる愚民」として、文脈的に、私欲のために法を破るもの、遊惰放蕩に流れるような人のことを表すのかな?

仮に人民の徳義今日よりも衰えてなお無学文盲に沈むことあらば、政府の方も今一段厳重になるべく、もしまた人民みな学問に志して物事の理を知り、文明の風に赴くことあらば、政府の方もなおまた寛仁大度の場合に及ぶべし。

福沢諭吉 学問のすゝめ 岩波文庫 2015年 p18

この部分を読んで思い浮かんだのは、理不尽だと感じるような政治家の対応や、現に日本や世界の解決してほしい問題である。だけど、それを選んでいるのは自分だということ。自分に責任があるとも考えられる。私は生きやすい世の中を作るかは自分次第って解釈した。

私は、政府に対して様々な考えを持つ。例えば、年金の案内が届いたのだが、毎月の支払・負担金額の高さに驚かされた。もちろん、少子高齢化などで若い年代の負担額は両親の世代より多くなるのは仕方がないのかもしれない。

だけど、私を含め周りの友達にとっては大きい金額だった。(学生は免除できる制度がある)

このことは、以前から問題視されていたことだろうと思う。それに対して人口問題などを含め、政府に有効な策を出させなかった責任・代償は大きいのかもしれない。

私は権力を持った人がその大きな責任をより多くの国民のために果たしてくれる社会を作りたい。(理想すぎるかも)おかしなことに対しては、「歯止めがかけられる」「暴走させない」ために動こうと思えた。

次の選挙では、これまで以上に注目して投票したい。

自分の身に被害があってからでは遅い。って気づいたし、愚民にはなりたくないな。

民主主義はいい制度だと思うけど、その分国民の考える力が試されているんだなって思っていた。ほかにも、大多数の意見によって決まるから私一人だけでは、いい方向にも悪い方向にもいかない。この本のこと、自分が生きていて感じていること、これまでの学び、3つがつながった。





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