ぶどうの苑へ ~アウグスティヌスの孤独~

2017年のことである。

私はとあるワイナリーのオープンに呼ばれて、1人でワインを堪能できると心を躍らせて、塩山へと出かけた。

これ以降の記述は、その道中に「かいじ」の中で綴った読書メモである。

読んでいた本はクリストファー・ドーソンの『アウグスティヌス』。

まだ松本にいたころ、図書館が塩尻市の中央図書館によく行っていた。そこは図書館がキレイで、しかもぶどう関係の本が充実しているだけでなく、出身者である筑摩書房の古田晁の関連で、古い筑摩書店の本がずらっと並んでいたのだ。

そこで一度借りて、面白いと思って、古本で買った『アウグスティヌス』。

なぜかこの時ふところに忍ばせていて、読んだものらしい。

そして、それきりその本はどこにいったのかわからない。

酒を飲む前に「かいじ」でウキウキしながら、読んだものと思う。

はっきりと、勝沼ぶどう園の駅の高台から見る、甲府盆地の姿を覚えている。



中世から近世への移行期であるルネサンスにはあれほどの書き手が参入していながら、古代から中世への移行期であるローマ帝国末期について、正当な評価が与えられていない、という碩学クリストファー・ドーソンの嘆きに関して、現代を生きる私たちは時代遅れだと憫笑することができるだろうか。

専門ではないので、ある時代に関する歴史の書き換え作業の進捗状況については、どこまで何が明らかになっているのか定かではないものの、こうした時代に対する省察の翻訳作業は、それだけでは食えないし、翻訳しても売れなさそうという理由で、ドーソンの指摘以降も、その時代に対する冷淡さの温度はさほど変わりがないように見受けられる。

古代末期から中世にかけてのヨーロッパ、アフリカの話は、商売にならないのだ。

ただ、現代は確実に中世的なものへと変貌しつつある。

時代の潮目が変わる時期に私たちは居合わせているわけで、古典古代から中世的世界の変貌期に生を受けたアウグスティヌスの生、というものは、この時代を生きる上でいくばくかの示唆を私たちに与えてくれるように思われる。

しかし、アウグスティヌスの著作を翻訳であってもダイレクトに読もうとする意欲がわかないのは、そのタイトルが宗教的な文脈を感じさせ、語り口も説教のようなものではないのかという先入観があるからだと思われる。

そこまで宗教性を警戒しているのに、世俗的な語り口で接触してくる宗教組織に取り込まれる人が後をたたないのは、どういうことだろうか。

アウグスティヌスは、後期ローマ帝国の最後の大帝であるテオドシウス帝と同じ時期を生きている。

テオドシウス帝が亡くなった後、アウグスティヌスは30年以上も長く生きる。

そこから西ローマ帝国の滅亡は50年後になるのだ。

思えば、テオドシウス、ホノリウス、ヴァレンティアヌス3世の、いわゆるテオドシウス朝の時代は、案外と安定した時代だったのだとも言えるのだろうか。

ドーソンがさらりと描くように、人々と政治組織の間には大きな懸隔があり、そこを埋めたのが教会組織であった、ようだ。

聖アウグスティヌス自身の生涯と手紙とは、どれほどしばしば司教たるものが政府と人民のあいだに立つことを要求されたかを、そしてまたどれほど大胆にそのその義務を果たしたかを示している。

政府と人民の間に立って、右往左往するアウグスティヌスがみてとれる。市役所みたいな役割を、流動する時代の宗教組織は行っていたのだろうか。

この教会組織の構成員たちの教養は混成的なものであった。

教父たちは、決して、いわゆる原理主義的な立場から出発したのではなく、むしろ古典古代の教養を用いて、その時代が要求した仕事を行なっていたのである。

聖アウグスティヌス自身は弁論術の専門的な教師であり、聖ヒエロニュムスは同じ世代のすべての人々のうち、弁論術の伝統を、その長所と短所とのすべてにわたってもっとも典型的に代表するものである。

聖ヒエロニュムスは「まぼろし」の中で、お前はキケロの徒であってキリスト者ではない、と警告されながらも、最終的にはプラトンやキケロへの愛好は捨てていない。

この混成というか、原理的に矛盾するものを呑み込む度量の広さを、古代末期の教父の姿から読み取ることができる。

アウグスティヌスは、民族大移動の余波を受けにくい、アフリカ地域にいたことが、幸いしたのかもしれない、と推測することはできる。

たしかに、北の国境近くにおいては、かなりの悲劇が繰り返された。しかも、何十年にもわたって。

アウグスティヌスは、混乱の外にいた。だから、こうした書物を書けたのだ、ということは容易い。

しかし、混乱の外部にいる人が全て、世俗的な些事に気を取られずに、永遠を構想することができるだろうか。外部にいようと内部にいようと、永遠なるものを構想するためには、ある種の孤独が必要である。

アウグスティヌスは、後に跡形もなくなるキリスト教的アフリカのために尽力した。日々の些事に追われているのはアウグスティヌスも同じで、その中で、1つの永遠の考察を書き上げたと、ドーソンはいう。

その考察として名高い『神の国』は、政治理論や歴史理論としても読める。

しかし、私は、これらをアウグスティヌスの孤独の表現として読みたい。歴史叙述は、どれだけ客観性が偽装されていたとしても、ドーソンが述べるごとく、歴史そのものとはなり得ないからだ。

かれら(注:ヘーゲルにせよ、19世紀の歴史哲学者たちにせよ)は、歴史からかれらの理論をひき出したのではなく、かれらの哲学を歴史の中に読みこんだのである。

個人の思想が歴史の中に投影されたものが歴史叙述だとするなら、それは、個性の記述としても読んでいいはずだ。

アウグスティヌスは、これを書きながら、万人に理解されうるだろうとは思っていなかったのではないか。要するにそれは、彼の孤独を慰める産物ということができる。しかしながら、孤独の産物であったが故に普遍的な意味を帯びるということがしばしばあることもまた事実だ。

孤独の表現を徹底するがゆえに、無私性をまとい、その叙述を所有から解放するからである。

だれかのために書かないことが、すべての人のために書かれた本になることがある。

私だけのために書くことが徹底されると、誰かに向けて書かないことがかえって、すべての人に向けたものになる。

アウグスティヌスの孤独とは、そういう意味である。

ワイナリーを出た私は帰りの「かいじ」に乗るために、ワイン4本を背中に積んで、塩山の駅へと戻った。

すっかり酔いがまわって、帰りのことはまったく覚えていない。

もしかしたらドーソンの本は、「かいじ」の中に忘れてしまったのかもしれない。

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