堀江敏幸『河岸忘日抄』

小説を読むこともチラシの文面を読むことも、本質的に違いはないのではなかろうか。

堀江敏幸の『河岸忘日抄』のページをめくりながら、そう考えた。

私はたいてい、一冊の本について書くときは、その本の全体を読んでから、断片を切り出して書く、ということを当たり前のこととしていた。

でも、場合によっては、本に書かれていることの隙間を、「垂直に」下降しながら書く、ということもありうる、と考えるようになった。

当初、『河岸忘日抄』のあらすじを書こうとしていた。

誰が語り手で、語り手は誰と関係をもっているか、などということをノートに記しつつ、その断片を追いながら書こうとしていた。

ところが、ふと、この断片のきらめきは小説全体との関係で考量するよりも、いっそ断片のまま取り出してしまう方がよいのではないか、と思い直した。

ためらいつづけることの、なんという贅沢。逡巡につきまとう受け身のエロスの、なんという高貴。彼は他人に背中を押されて、命の危険をかえりみず、Kがよく見える岬の突端までつい歩かされてしまうような譲歩をこれまで何度も繰返し、断言や予測につきまとう傲慢さからできるかぎり遠ざかりたいと願っていた。

この一節は、「ためらい」や「逡巡」といった、一般的には負の行為と思われているものに対する価値について、肯定的なとらえ返しを与えてくれるように、私には思われた。

小説の中の「私」という語り手の意図や文脈といったことを考えた上で書くのなら、この発話内容そのものは、物語の中に溶け込み、相対化されてしまう。

この断片が持つ、私にとっての絶対的関係から離れ、相対的な価値しか持たなくなってしまうようにも思われた。

老人と共に暮らすことになった「私」。

この「私」が書き付けている断片こそ、『河岸忘日抄』が表現している言葉の性質といえるが、断片を一つの物語に再構成して、私の中で出来上がった解釈として書いていいものかどうか、私は「ためらった」。

その「ためらい」こそ、物語が要求している、読むことの快楽なのかもしれない。

『河岸忘日抄』にヴィアンのつとに有名な小説が登場してくるわけではない。

もちろん、小説内の「私」は記憶をさまよいながらアレックス・ヘイリー、ディーノ・ブッツァーティやクロフツといった作家の作品について、記憶とリンクさせながら、それらについての記憶を辿ってみせたりもするのだが、そうした作品群の中に、別にヴィアンがいるわけではない。

私がここでボリス・ヴィアンを提示するのは、『河岸忘日抄』の断片の間の余白が、読者自身の記憶をそこに挿入せよ、と要請している気がしてならないからだ。

時どき、彼は顔をあげると、方角をまちがえずに来ていることを確かめようとして地名標識を読むことにした。そうして彼は水いろと汚れた栗いろとの横縞になった空を見上げるのだった。
 前方はるかに、土手の急斜面の上方に、巨大な温室の煙突が一列になっているのが見えた。
 彼はポケットに新聞を入れていたが、それには国防準備のための二十歳から三十歳の男子を求める広告が出ていた。できるだけ早く歩こうとしても、彼の足は熱した大地にのめりこみ、その大地はゆっくりと到るところで、建造物や道路から地面を取りもどすことに掛っているのだった。

自暴自棄、ないし、ある種の無為、そんな青春期を描いたボリス・ヴィアンの『日々の泡』の中に出てくる一節だが、いわゆる名セリフや名文と異なり、おそらくは誰からも相手にされないような描写であろう。

こうした描写を拾い集めてみよ、と『河岸忘日抄』は、欄外から余白から、読者に要求しつづけているように感じた。

堀江敏幸の名エッセイの一つに「踊り場」をめぐる省察があるが、「河岸段丘」の不穏さもまた、それに連なるものだろう。

短編集『雪沼とその周辺』の中に「河岸段丘」という一編がある。知らず知らずの間に、日常に生じるゆがみ、隙間、傾きといった、ある種の余白に関する省察が含まれた短編だ。

「雪沼」といった地名の周辺部で起こる日常の中に潜む、様々なエピソードが示しているのは、《決めることと決めないことの間に見られる余白》であると私は思った。

いまの世の流れは、つねに直列である。むかしは知らず、彼が物心ついてからこのかた、世の中はずっと直列を支持する者たちの集まりだったとさえ思う。世間は並列の夢を許さない。足したつもりなのに、じつは横並びになっただけで力は変わらず温存される前向きの弥縫策を認めようとしない。流れに抗するには、一と一の和が一になる領域でじっとしているほかないのだ。彼はその可能性を探るためだけに慣れ親しんだ土地を離れて、不動のまま、並列のままなおかつ移動しさまよい歩く矛盾を実践しようとしたのではないか。

また、

一方、おれの周囲からは、そういう単純さ、透明さが、この十年のあいだにどんどん消えていった。単純なこと、明快であることを、効率のよさととりちがえている人間が多すぎる。効率がいいからといって、物事が単純になるとはかぎらない

と、こぼす60代半ばの「田辺さん」のあまりにも率直すぎる独白は、二つの無関係な断片の間を繋げてくれるような気がした。

ふと、室生犀星の『かげろうの日記遺文』を思い出す。紫苑の上が、自らの身体の成長=変化に対応しきれずに、その変化への嫌悪を示す部分の怒りとも嘆きともつかぬ「乱調」ぶりに繋がっていく。

十八歳の深秋、はじめて紫苑は乱調の長歌を作った。どうにも、父、藤原倫寧にもはなされないし、乳人にも、召仕達にも打開けても判らないもやもやにおそわれた。腹が立つ怒りにも似て、それとは、くらべられぬ物悲しさであった。自らのために生きるのか、父倫寧に安堵させる成人の美しさに辿りつくためか、一さい生きることの目標をはっきり見定めたい気持のいら立たしさであった。

この「乱調」は、「ためらい」や「逡巡」をゆるさぬ女の肉体への変化、いわば自然に対する抵抗の仕草でもある。

私は、受験勉強の言い方でいうと「古文」が苦手だったが、『蜻蛉日記』と『十六夜日記』だけは、抵抗なく読めた。

「乱調」は、「ためらい」に似ていた。

本来は余白だらけの時間や土地に連続性を与えようとする仕草に対して、立ち止まってみせようとするときに現れる、開始の身振りとしての「書く」という抗いに、魅せられただけなのかもしれない。

『河岸忘日抄』の断片の余白が、私たちに訴えかけてくるのは、《余白を、自らの想像で、なかったことにしてしまうのではなくて、その余白という隙間に何かを挿入して、自分の想像の領土を打ち立てよ》という要請なのではないだろうか。

いわば、自らの「踊り場」をつくれ、と。

書かれたことと書かれていないことの狭間で、かすかに聞こえる声。

もちろんそれは、乱調なノイズに過ぎないのだが。

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