中村光夫『二葉亭四迷伝』

昔、大学生の頃、岩手県水沢市にあった後藤新平の記念館を訪れた際、肖像画をみていたおじいさんが、「かくありたい」と呟いて帰って行った。

「かくありたい」人物はいるのか居ないのか。探しながら生きてきた。

自分というものにさほど自信のない私としては、そうした先達を求めることしか生きる意味を抱くことはできなかったのかもしれない。

中村光夫の『二葉亭四迷伝』は、作家研究の書としては、極めて平凡な内容に過ぎないのかもしれない。中村による二葉亭の評伝。それ以上のものでも、それ以下のものでもないように見える。

僕が二葉亭に親しんだのは学生時代からで、ときどき疎遠になりながら、ずいぶん長いつきあいなのですが、むかしは伯父さんぐらいのつもりでいた彼が、いつのまにか自分より若死にした人になってしまったという事実は、一面においては彼と別れるときがきたのを意味します。この天才と同じ長さの年月を生きて、自分の凡庸が決定的になったということだけでなく、今後かりに僕が長生きしたとしても、年が経つにつれて、彼は年齢的にも僕とは距った(ママ)存在になって行くばかりです。

この文章を読んで、文学者と私の関係について、示唆を得た。神か敵か、ではなく、一人の悩める人間としての文学者として、中村は二葉亭を遇しようとしている。

そのような関係は、私の在学中は持ちようがなかったが、中年になった今なら、あのころよりもよくわかるのである。要するに、彼のようになろうとして成り得なかった自分自身を持って、彼の全著作にぶつかっていく形でしか、死者と対等な関係を形作ることはできないのかもしれない。

二葉亭は死の前年にロシアにゆくとき、彼の健康がすぐれぬのを危ぶんだ矢崎鎮四郎に、「僕は人に何らか模範を示したい……なるほど人間といふ者はああいふ風に働く者かといふ事を出来はしまいが、世人に知らせたい」と云ったそうです。
 これは一方において極端な謙遜家だった彼が、半生の失敗の連続にかかわらず、彼の生き方に、根底でどんな自信を持っていたかを示す、興味ある言葉ですが、彼の作品は、不幸にして、これらの「働き」についてはほとんど何もつたえません。

二葉亭の作品は、ある種の先駆としては伝えられているものの、我々の模範にするにはあまりに失敗作である、と中村は断じつつ、「彼の生涯は明治という時代精神の演じた悲劇」と述べる。しかしながら、悲劇であろうと失敗であろうと、そこには何か見逃せぬものがある、ことを中村は指摘する。

「とりかえしのつかぬ浪費のうちに彼の一生は流れ去った」けれども、「彼が生かそうと試みた理想は─たんに文学の領域を例にとっても─明治という時代が抱くことを許したかぎりの最も美しいものであり、他のどの同時代人のものよりも、僕等に深く語りかけるから」中村は、二葉亭を語るのだ、とも述べる。

文学することが国家を論じることと切り結ぶことの出来た精神の光芒を、中村は二葉亭の中に見た。しかし、本当の意味での二葉亭の遺産とは、彼の精神の「働く」姿であり、それを見るには作品だけではダメで、「彼の生活」の究明が不可欠なので「伝記という形式」が不可欠である、と締めている。

中村光夫が打ち立てる二葉亭の像は、「政治家臭くない政治家、教師臭くない教師、更に文士くさくない文士、一口に云えばまともな人間」である。ここでいう「まとも」は、逆に演技的であることが良しとされる社会では、不適合者の烙印を押されてしまうだろう。

そんな二葉亭は、このように描写される。

彼等はともに人格の形成に儒教が決定的な重味をもった世代にぞくしながら、二葉亭は(生涯それを理想としながら)鷗外が身につけた剛毅な感情の統御、賢明な処世術を得られませんでした。しかし彼の処世や作品のいたるところに見られるやぶれ目から、窮屈な裃をつけて正坐している鷗外には見られぬ温かい血がほとばしるのは事実であり、鷗外の魅力がその冷たさにあると反対に、二葉亭が読者をひきつけるのは、いつも八方やぶれの不遇のなかで、胡坐をかいて気楽な座談にふけるような、飾り気のない開けはなしの暖味によります。

だが二葉亭は、文学のかたわら天下国家のことも忘れられない。この「志士肌」が、自然主義の文学者に言わせると、二葉亭の旧弊な部分となるのだが、そのような新旧のモードチェンジに対する楽天的な信憑に対し、中村は「近代の超克」に懐疑的ながら沈黙せざるを得なかった世代の一員として、次のように言う。

人間は誰しも自分の生まれた時代と場所で与えられたものを真直に掘り下げるほか独創に達する道はないし、伝統と外来文化の問題、国家と民族の運命の問題などが、自然主義者のおそらく想像も及ばなかった新鮮な切実さで現代の文学者の課題とされているところからも推察されるように、或る国の文化にとって本質的な問題は、めまぐるしい現象の変転のなかでも、そう簡単に消えないのです

ここまでに紹介したのは序であり、そこですでにこのような二葉亭像が、濃厚に描出されている。この二葉亭像は、とこまで行っても中村の作り出したものに過ぎないのだが、過去の二葉亭像を繰り返し掘り下げることで、痛烈な現代への批評行為として読まれる可能性をはらむテクストになっている。

繰りかえし読む書籍は、繰り返し立ち戻るべき自身の支点にほかならない。中村が二葉亭を支点にしていたように、私も中村の二葉亭を支点にしたい。私も本当の意味での支点を中村が書いたように書かねばならないと思うのだが、残念ながら、まだ、その機会は訪れない。

この『二葉亭四迷伝』は、たぶん、二葉亭を支点にする中村、という二つの文学者の延長上に自分がいるという前提で読まないと、はた迷惑で身勝手で自嘲癖のある二流の文学者としての二葉亭の姿しか見えない。それはそれで面白いのだが。

「四十四歳の彼が、この世評の高かった小説(『平凡』:筆者注)を全く「失敗」と感じていたこと、それも照れかくしや謙遜ではなく、自分の文学的意図と実際に持つ技術とのあいだの落差に心から絶望」した二葉亭の姿に、思い当たる節がある人ならば、きっと見るべきものはあるだろう。

死の枕の直前の手紙では、このように述べている。

かかる時人は呆然として天地を睥睨し、我と吾を高く且つ大なるものにして衆生の蠢々たるを憐み以て聊か自ら慰むるのが常に候へど、小生はそれが大嫌に候ゆゑ、矢張どこまでも已むを得ずあきらめて瞑目致すべく候。おもへば人生というもの面白きやうな果敢なきやうな妙なものに候はずや。

二葉亭は卑屈だが不屈の人間だった。偉ぶりもしなかったが、自信がないわけでもなかった。彼は、彼らしく、全てチャラにして世を去った。

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