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田舎教師に会いに行く 〜羽生市探訪〜

今日は、何か予定があったように思ったが、思い出せなかったので、まあよかろうと地味系温泉に取材も兼ねて行こうと思っていた。磯部温泉がいいかなと思って出発しようとした途端、思い出した。免許更新だ。私は一般講習、60分かかる。優良講習を2回繰り返すのだ。2回!ちょっとだけ内容が違っていた。

8:30に手続きしたものの終わったのは10:00。今からだとさすがに滞在時間が短すぎる、ということで急遽、羽生に田山花袋の『田舎教師』を追う旅に切り替えた。誰も望んでいない旅かもしれないが、人生とはこのような偶然の分岐が織りなすものではなかろうか。

羽生まではそれほど遠いわけではない。なので、さらりといけるかと思ったが月曜日の午前中ゆえに道が若干道が混みがちである。燃えるゴミの収集があったりするので、道流が梗塞している場合が多いのだろう。思ったように進まない。

原野

埼玉県北部は、SRサイタマノラッパーの冒頭に流れるような夜のロードサイドのイメージがあるのだろうか。当たらずとも遠からず。あとは原野。まあこれは昔(40年前)から変わらない。もしかすると明治の終わりから変わらないかもしれない。

だらだらと、農道のようなうねる道を縫って、羽生に来た。田山花袋関係の史跡があるのは、東口方面である。

羽生駅東口、小便小僧

まず、駅前に建福寺という、田山花袋の妻の兄が住職をしていたお寺がある。歩いてすぐだが、駅に向かう大通りを南下していって、右折し、門がある。かなり大きな寺だった。

建福寺入り口


中に入ると思ったよりも広い。空が碧く、そして、暖かい。春だ。

朝がたの雨もなんのその


歩いて行くと、文学者三人の碑文が。横光利一、片岡鉄兵、川端康成が、旅行に来たという。聖地巡礼の走りなのかもしれない。現代の聖地巡礼も碑文を作るなら、きっと今である。

私も一句「雨上がり 寒さは溶けて 梅の花」
石碑に川端康成先生含め3人


そして、小林秀三のお墓に。ここからお墓の中を歩く。結構奥まで歩かされる。

明るくて、気持ちがいい。

なんだろう、生まれたからには、歴史に傷跡を残したい。小林さんは、「田舎教師」という不本意な人生だったかもしれないが、その人生の語り部を手に入れて、100年以上も経ってなお、記憶されている。

田舎教師がというよりも、その段で病気にかかった無念なのだろう

この右側に、小林さんのお墓がある。謹んで、手を合わせてきた。皆に慕われた人生であり、漱石の教師生活よりは幸せそうだ。しかし、もっとビルドアップしたかったのだろうが、病を得てしまった。さぞかし無念であったろう。場合によっては、漱石のようになったかもしれないが、小説家は良い人すぎても向かないのかもしれない。

ちなみに、少し羽生の町を歩いてみたが、名所の類はそれぞれ遠く、駅前に車を置いて徒歩で行くよりは、車で回った方がいい。一番いいのは自転車かもしれない。駅前に車を24時間いくらのパーキングに停め、折りたたみ自転車などで回るのがベストかもしてない。

さくら橋

それで桜並木の川縁を目指して行く途中、埼玉で最古なる小学校を見学しようと思ったが、ふと、いい年したおっさんが平日の昼間に小学校を見学することの危うさに気づいて、ただ通り過ぎるだけに留めた。変質者だと思われても致し方ない時勢である。先生方も、先日の事件について言及しておられた。剣呑である。

さくら並木は、良い感じ

そして「さくら橋」なる場所にきた。川は汚い。しかし、きっと桜並木は、そのシーズンになると綺麗であろう。まだ早かった。

そのあと、一度駅に戻って、有名な埼玉の銘酒「花陽浴」を醸す南陽酒造さんを訪れた。花陽浴は品切れで、定番酒すらほとんどなかった。私は、酒粕を買いに来たのである。とりあえず、今日、味噌と合わせて溶いて、粕汁にしよう。

小分けのものを複数個買うのが良い

そして、向かったのは田舎教師の像と、弥勒小学校跡である。

田舎教師の像

え、こんなとこに、という謎の立地である。高速道路近い。しかし、その像の背後には、若干の駐車スペースがあり、なぜか、自動販売機なども設置されて、ダンプのおじさんなどが小休止しては、購入していた。

駐車スペース

小学校は、すでに跡形もない。子どもの数は、色々と変動があるものですな。跡のみが、綺麗にリニューアルされていてよかった。「埼玉の啄木」なる称号だが、啄木は大変に性格に難があった人なので、果たしてその称号は良きか悪しか。

運命に従うものを勇者という、は心を打つものだが、一方で、運命に抗うものもまた勇者であろうという気持ちもなくはない。

「絶望と悲哀と寂寞とに堪え得らるる如き勇者たれ」は、良い

それにしてもコースの看板がはげかかっているのはいただけない。しかし、羽生から加須まで22.5kmを歩くとなるとハーフマラソン並みである。というか羽生駅前から、ここの小学校まで歩いてたって、ヤバいな。その疲れが病を得た理由ではないか。

田舎教師・不動尊コース

それにしても羽生は広い。数時間では攻略は不可能だった。芭蕉の句碑なども、発見しながら、寄れなかった。またいずれ。小便小僧が街中にあるのはなぜなのか。どこか海外と姉妹都市なのだろうか。

リメンバー、羽生。

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