カフカって誰ですか
池内紀の『カフカの生涯』という本が、本棚の奥を整理していたら見つかった。たぶん、グラック理解のためにシュルレアリスム関連をあさっていたら、別件と関連して、なんとなく見つけてもってきたものの一つである。
そんな生前には全然評価されなかったフランツは、今や、極東の片隅の本屋にでもある程度はおいてある程度には世界文学になった。すごいことだ。あらゆる作家志望は、もう朝起きたら虫になっていた物語を書けない。書けないはずなのに、スライムとかに転生したりしている。いずれにしてもカフカは偉大だ。
カフカって、最初ペンネームなのかと思った。グラックだって、ペンネームである。それなのにカフカは、祖父の頃からカフカである。ヤーコプ・カフカというらしい。日本だと、鰻さんみたいな感じなのか。すでに名前で勝っている。
父親はヘルマン・カフカ。やっぱりカフカなんだ。当たり前だけど。フランツで、カフカ姓はなくなったのか?ちょっと残念である。祖父ヤーコプは隣家の娘のフランツィスカと結婚している。俺たちの時代、隣家の娘と結婚した人を、ムツゴロウしか知らない。
カフカを紹介する故・池内紀氏の文章はいい。晩年、ナチス本関連で、ちょっと株を下げたのかもしれないけれど、居酒屋に出入りする池内紀の新書といい、私は好きである。ただ、「紀」は変換に手間取るからいやである。実は、私の名前も変換できない漢字である。ずっと仲間だなと思っていた。
祖父の住んでいた村ヴォセク。カフカはそこで遊んだことがあるのかないのかわからないけれども、その風景を『城』に取り込んだ。
評伝が好きだ。若い時に所属していた空間では、やれ作家研究など時代遅れで、作品世界のなかだけで解釈することを要求するニュー・クリティシズムが盛んだったが、若いから知識の蓄積を使うことにディスアドバンテージがあったので、そういう感じで言っていたのだろう。作家についての知識が増えれば、やっぱり小説の読解も、広がりがでる。
そもそも『城』なんて、テクスト外の情報がないと、つらいだけだ。ギリ『審判』までが、テクストだけで楽しめるものだろう。例えば、フランツの父、ヘルマン・カフカのくだり。
こういうのどうでもいいのかもしれない。あの幻惑的な転生小説が、台無しになるのかもしれない。でも、父と子の関係は、カフカの小説の中の重要なモチーフなんだと思う。
ヘルマンは上昇志向。屠殺業の祖父から離れ、商人として名を上げ、プラハのゲットーと市街の境目に家を構える。フランツは、放置されていた。だって、仕事で忙しかったから。いやそれだけでなかったかも。今なら、きっとネグレクトなんだろう。
ただ、ヘルマンは、海原雄山というわけではなかった。妻のユーリエはそれに耐えたし、平均からすると、まあまあ稼いだ夫であったろう。
ただ、フランツは、教育において、上手く行かなかった。
*
職場の若い人に「カフカって誰ですか?」と聞かれたので、キチンと答えようと思って、故・池内紀さんの『カフカの生涯』を参照しようとした。
それで『カフカの生涯』を茶化して書こうかなと思ったら、普通に読み入ってしまった。
というわけで、面白い。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?