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カフカって誰ですか

池内紀の『カフカの生涯』という本が、本棚の奥を整理していたら見つかった。たぶん、グラック理解のためにシュルレアリスム関連をあさっていたら、別件と関連して、なんとなく見つけてもってきたものの一つである。

夜明け前に仕事を終える。それから父のもとへもどり、短くひと眠りしてから勤めに出る。それを二十年ちかくつづけた。おそろしくムリな生活をしたわけだ。ひそかな野心をたぎらせてのことにちがいない。しかし、表面は終始、つつましやかなサラリーマン兼物書きのドクター・フランツ・カフカだった。通りで知人を見かけると、帽子に手をそえて、ややものさびしげな笑みを浮かべた。喉頭結核に苦しみ、強いられた絶食状態で死んだ。死の床で短編「断食芸人」の校正をした。友人の話によると、言葉を失った喉で何かを呟いてから、ホロホロと涙を流したそうだ。

そんな生前には全然評価されなかったフランツは、今や、極東の片隅の本屋にでもある程度はおいてある程度には世界文学になった。すごいことだ。あらゆる作家志望は、もう朝起きたら虫になっていた物語を書けない。書けないはずなのに、スライムとかに転生したりしている。いずれにしてもカフカは偉大だ。

カフカって、最初ペンネームなのかと思った。グラックだって、ペンネームである。それなのにカフカは、祖父の頃からカフカである。ヤーコプ・カフカというらしい。日本だと、鰻さんみたいな感じなのか。すでに名前で勝っている。

父親はヘルマン・カフカ。やっぱりカフカなんだ。当たり前だけど。フランツで、カフカ姓はなくなったのか?ちょっと残念である。祖父ヤーコプは隣家の娘のフランツィスカと結婚している。俺たちの時代、隣家の娘と結婚した人を、ムツゴロウしか知らない。

カフカを紹介する故・池内紀氏の文章はいい。晩年、ナチス本関連で、ちょっと株を下げたのかもしれないけれど、居酒屋に出入りする池内紀の新書といい、私は好きである。ただ、「紀」は変換に手間取るからいやである。実は、私の名前も変換できない漢字である。ずっと仲間だなと思っていた。

祖父の住んでいた村ヴォセク。カフカはそこで遊んだことがあるのかないのかわからないけれども、その風景を『城』に取り込んだ。

ヴォセクの「下の村」は文字どおり、なだらかな丘陵地帯のしも手にあって、「上の村」とは川がへだてていた。どのような客をあてこんでか、川のほとりに一軒の宿屋があった。通称「橋亭」─これもまたカフカの小説『城』に語られているのと同じである。

評伝が好きだ。若い時に所属していた空間では、やれ作家研究など時代遅れで、作品世界のなかだけで解釈することを要求するニュー・クリティシズムが盛んだったが、若いから知識の蓄積を使うことにディスアドバンテージがあったので、そういう感じで言っていたのだろう。作家についての知識が増えれば、やっぱり小説の読解も、広がりがでる。

そもそも『城』なんて、テクスト外の情報がないと、つらいだけだ。ギリ『審判』までが、テクストだけで楽しめるものだろう。例えば、フランツの父、ヘルマン・カフカのくだり。

ヘルマン・カフカは十四歳のときに家を出た。ここに新しいタイプの行商人が誕生した。小間物や雑貨を売りあるくだけではない。見本をあずかり、得意先をまわって注文をとる。息子フランツは、そんなセールスマンを主人公に『変身』と題する小説を書き、ある日、意地悪く一匹の虫に変身させた。

こういうのどうでもいいのかもしれない。あの幻惑的な転生小説が、台無しになるのかもしれない。でも、父と子の関係は、カフカの小説の中の重要なモチーフなんだと思う。

ヘルマンは上昇志向。屠殺業の祖父から離れ、商人として名を上げ、プラハのゲットーと市街の境目に家を構える。フランツは、放置されていた。だって、仕事で忙しかったから。いやそれだけでなかったかも。今なら、きっとネグレクトなんだろう。

ヘルマン・カフカはトランプが大好きで、ほとんど毎晩、妻を相手にトランプをした。カフカはのちに「父への手紙」のなかで、暗い部屋に子供を放置したままトランプに興じていた父親を糾弾した。

ただ、ヘルマンは、海原雄山というわけではなかった。妻のユーリエはそれに耐えたし、平均からすると、まあまあ稼いだ夫であったろう。

ただ、フランツは、教育において、上手く行かなかった。

職場の若い人に「カフカって誰ですか?」と聞かれたので、キチンと答えようと思って、故・池内紀さんの『カフカの生涯』を参照しようとした。

それで『カフカの生涯』を茶化して書こうかなと思ったら、普通に読み入ってしまった。

というわけで、面白い。





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