花田清輝の文章 〜Recycle articles〜

私たち世代の「平野謙」と言えば、田尾安志と中日ドラゴンズの1、2番をはっていた打者である。

だから、大学生になって戦後文学の批評家の有名人に平野謙という人物がいることに、多少の衝撃を覚えたものである。

宇野勝というのもいるのかも・・・なんて思って、戦後批評のアンソロジーをくってはみたものの、そんな名前はどこにもないことに、多少の安堵を覚えたものである。

実際、「批評家の平野謙」の写真を後年みたときに、完全に野球名鑑にあった中日ドラゴンズの平野謙の顔を、批評家の平野に貼付けて覚えていた自分が恥ずかしかった。

なぜ、そんなことを思い出したかというと、埴谷雄高のエッセイ集『酒と戦後派』を読んで、その観察眼と的確な文章に驚いたからである。そして、細かいことを覚えていることにも。

「平野謙」というエッセイの中で、埴谷が平野を訪ねて行って、奥さんと話し込んでしまっている際に、平野の顔色がどんどん悪くなっていくメカニズムを描写した節があるが、これはけだし名文である。

埴谷は本当にどうでもいいことを書くのがとても上手い。

私は、これまでに、縷々、彼の眼が鋭い観察眼をもっていることに言及しているが、この眼の鋭さのほかに、強い歯をもっていることが平野謙の特徴なのであった。ヒットラー・ユーゲントがきたとき、彼の歯は日本における堅牢な歯の見本としてナチス・ドイツに紹介されたほどであって、彼の晩年の理想が、炬燵にはいって探偵小説を読みながら萬金豆をかじることにあるというのも、彼の歯の堅固性に立脚したところの根拠ある夢想なのであった。ところで、この鋭い歯、と、強い歯、について、いってみれば、平野謙伝説といったものがあるのである。普通、私達の老化現象は、眼、歯、下部構造というふうにさがってゆくものであるが、いやあ、俺は、まず、下にきてね、それから、歯にきたんだ、という逆行現象の体現者がほかならぬ平野謙なのである。そして、これをさらに逆言すれば、机龍之介と綽名されたところの彼の鋭い眼は、その鋭い透徹力と眼識をなお永遠に保持しているということになるのである。

具体的なことを書きながら、どんどんと抽象的なものへ思考を飛ばして行くのが埴谷流だけれども、平野謙という几帳面な人生の観察者を目の前にすると、その抽象を具体で置き換えねば気がすまないというように、具体的なエピソードを盛り込む。

平野謙は自分の夫婦喧嘩の宿命を抽象化して、高見順や島崎藤村を読み込んだのだ、というなんともユーモラスな結論を導いている。

埴谷の面白い文章で、一瞬、日々の瑣事を忘れたが、帰り道すぐに、メールが届き、義務で行なっている雑誌の校正を急いでくれないと、こっちも倒産だ、というシリアスな内容だったこともあって、すぐに気持ちは暗転した。神保町に寄ろうか、などと思った気持ちも霧散して、さっさと暑い中、最寄り駅まで最速の電車に揺られて戻ったのである。

最寄り駅についたあと、やらなければならなかったのは、とある詩人の詩を、ひたすら読むことと、その詩人について言及している論考を、地方図書館を回って探すことであった。

34℃を超えている炎天下の中、さすがに電動自転車ではあるものの、ひたすら走らせていた。家族全員の図書館カードを使って、何冊もの本を一人で借り切った私は、自転車のフロントチェアに本をぶっこんで、えっちらおっちらと坂道を漕いでいた。

先ほどの図書館では、書庫から何冊もの詩集を所望する私について、「あああの大量に詩集を借りた人ね。今時、あまりないわね」という評語が、彼女たちには見えないが、かなり近くで検索機を動かしていた私に聞こえたことを、彼女たちは知らないだろう。

詩論というのは難しい。私があまりつかわない右脳なるものを、全開にして読まねばならぬからである。言語は基本が伝達、せいぜいが表象、くらいに思っている自分としては、リズムや音、そして、感覚的イメージの連鎖に身を委ねばならぬ現代詩は、本当に難しいと思うが、大量に読んでいると、確かに、見えてくる風景はあると感じた。

そして、どこか近郊でよいから旅に出掛けたくなった。

高野慎三さんの記憶するつげ、および『ガロ』周辺の話は心に刺さる。とくに「つげ義春の暗闇への偏愛」というエッセイでは、つげの初期の代表作の一つである「山椒魚」のころの話をしながら、

あの頃、一体何を考えていたのですか、私はつい先日、つげさんに問いかけてみた。
「漠然としたものが気持のなかにはあったが、テーマとかそんなことは考えたこともなかった。ただ、漠然としてあったのその雰囲気が描きたかっただけなのかも知れない・・・。そういえば、『山椒魚』を描いた年に、東北や会津の方面にひとり旅に出かけた。そのとき、この世からすっかり見捨てられてしまったような集落をいくつも目にした。自分は社会の中で生きてきて、常に不安と恐怖におびえていた。でも、もし、あの見捨てられたような土地でひっそりとくらすことができれば、もう煩わしい関係から逃れられるのではないかと思った」

という言葉を引き出している。

強く共感するとともに、しかし、つげ義春ほどはにかみやではない私は、いつもは温厚な仮面をかぶることが、たぶん、出来ている。

いや、仮面というより、社会不適合者と社会適応者の仮面を交互にかぶって、二つの勢力の間で、「ダブル・スパイ」を演じているがゆえに、このような感慨に陥るのではないだろうか、と考えた。

抵抗が協力であり
協力が抵抗であると
誰が知ろう

たぶん、この花田の持つ文体の妙に対する私の心からの共感は、戦時中の日本を思わせるような同調圧力の強い学校=社会の中で培われたものだろう。

社会に出ても、さほど変わりがなかった。

「パッパルデッレさんが本当に評価する小説って何なんですか?」と、知人に問いつめられたことがあったが、好きとか嫌いとか、合うとか合わないとか、そうした二項対立を創ってしまうような言説から逃れる、というわけではなく、むしろ、褒めながら殺し、貶しながら生かす、というような花田的文章を夢想しているだけなのだろう。

私が求めているのは埴谷が花田を評していった「ダブル・スパイ」の文章なのである。

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