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「小説 雨と水玉(仮題)(75)」/美智子さんの近代 ”おしゃべり”

(75)おしゃべり

その晩は土曜でもあり新居で啓一と二人きりでもあったせいか、珍しく美智子はとめどなくおしゃべりし続けていた。啓一には明るい色香が薫る心地よい空気を感じさせていた。
「啓一さん、あのね、わたし、実は四年前にデートしたときね、付き合うことになるんだろうなと思てたんやけど、今はそうでなくてよかったかもしれへんて思うようになった。あれからわたし、人生変わったかもしれへん、あの四回生のとき、わたしとしては一生懸命勉強しようと思って一年間高坂先生に必死でついて行ってなんとか少しは英文学を学ぶことができてね、それでいまの仕事を選ぶことができたっていうことなの。今もやってて厳しいこともあるけど毎日ワクワクしながら仕事できてて、ホンマこうやって転勤までして仕事を続けられることになったの、とっても嬉しい。
それも啓一さんのおかげやねんけど、高坂先生のところにも一緒について行ってくれたでしょ、ほんまにありがとう。
もちろんね、啓一さんからもらった手紙の方がもっともっとこれまでで一番嬉しかった。あんな嬉しいこといままであれへん。わたし、あの晩手紙を抱いて寝たのよ、ギューッて抱いて。それで次の土曜日に新大阪の地下鉄の改札で会ったでしょ、あのとき啓一さんが水玉の服に気付いてくれたこと、一生忘れない、わたし、これでほんまに付き合うことになると思ってもう啓一さんに抱きつきたいって思たもん。ふ、ふ、ふ(笑)、わたし、あほでしょ?
あ!、わたし、酔ってるわきっと、あかんなあ、
わたし、変なこと言ってる?言ってるでしょ?
でも、そのあと万博公園でいろいろお話ししてほんまにあんな時間いままでなかった、そのあとはじめて手を握ってくれたでしょ、気持ちが通じて良かったって思ったのいまも覚えてる、
ああ、わたしやっぱりおかしいこと言ってる、あかん、啓一さん、止めて!」
「ぼくの間抜けな失敗も、美智子さんの仕事のやりがいに結びついてたっていうこと?
それは有難いな、ただ仕合せを祈ることしかできなかったので、あのころは。救われる気がする。ただそういう希望に繋がってくるところが美智子さんの人間的魅力なんやろうね」
と言って、啓一が美智子の手を優しく握ると安心したのか、またおしゃべりを始めた。
「あのね、そのあと、わたしが東京から毎週来ることを心配したら、啓一さんすぐ結婚を前提に考えようって言ってくれて、そんなこと言われたことないし、ほんまに真剣に考えてくれてるんやと思って胸が熱くなった。わたしねあのとき、四年前のあのデートの時まで見てた啓一さんの姿と重なって見えたの、きっとこういう人やって思ってた。だから、わたしこころではあの時に啓一さんと一緒になろうって決めた。それでね、サークルのときからずーっと見てきた啓一さんだなって、いまもそう思う、ずっとこんなふうに思ってた人やって。なんで、四年前のとき、わたし、もっと自分の気持ちを話さへんかったんやろ?なんか不思議な感じ、わたしも緊張してた、ものすごく。でもあのデートが有ってよかったっていまはホンマに思てる、ほんまよ、茶化してるんやないから。
あとね、ちょっと啓一さんに訊きたいことがあるねんけど、いいかなあ?結婚式とか、二次会とかで訊かれるかもしれへんし、と思って。啓一さん、子供は好き?(うん)、ああ、良かった、わたし訊かれたらちょっと恥ずかしいけど、もし、もしもね、訊かれてどうしても答えなくちゃいけなくなったらね、そうなったらよ、そのときはわたしも子供好きやし賑やかなのが好きやから三人くらいはほしいって言ってもいい?(うん、いいよ)、良かった。あっ!今啓一さん、変なこと考えてたでしょ?目がいつもと違ったよ。いまはそういうことではないでしょ、もう。
あのね、いとこに小さい子供がいてね、わたし、可愛くっていつも抱きしめちゃうの、双子ちゃんなんやけど、男と女の、ほんまにめちゃかわいいの。いま三歳やねんけど、あかちゃんの時よりずっと可愛くなってる。でもね、子供出来たらお金かかるでしょ、そやから結婚したら貯金せなあかんでしょ、余計なお金は使わずにせっせと貯金したい、家計のやりくりはしっかりせなあかんなアと思ってる、そこは啓一さんも一緒に考えてくれる?(うん)、今日もね、近所のお店をぶらぶら見てて、モノの値段とか違うから、ちゃんと安いところで買わなあかんと思った。そやかてね、ホンマに違うんやから、値段。気をつけなくちゃ。できたら、愉しい家族旅行とかも行きたいしね。
あっ、なんかわたし、またしゃべり過ぎやわ。(いいよ、もっとおしゃべりしてごらんよ)
あのね、この間両親とね、先のこともあるから話してみたの。そういう話していい?(うん)わたしが将来は近くで暮らせるようにしたいって話したらね、お父さんがそんなことまだ考えなくていい、美智子は自分が仕合せになることを考えなさいって。それでも大事なことやからと思って、啓一さんにも話していて一緒に考えていこうっていうことにしてるって言ったら、優しい人と一緒になれて美智子は仕合せだ、啓一君を大事にしなさい、考えてくれるのはもちろん嬉しいし有難いことやけどまだ十年や二十年は元気でやれるからボチボチ考えてくれればいい、自分たちの仕合せを先に考えなさいって言われちゃった。
でもわたし、啓一さんのご両親のこととウチの両親のことと一緒にちゃんと考えていきたいの。(美智子さんはしっかりしているねえ、えらいな。ぼくももちろん、そうしたいよ)
ありがとう、ほんまに頑張らなあかんわ。昨日、渋谷のお店で仕事の話を聞いて、いよいよこれからやっていかなあかんのやわと思った。新しい仕事も増えて毎日忙しいかもしれなへんけど、仕事も家庭生活もしっかりやりたいと思います、ふつつかものですが、啓一さん、改めてよろしくお願いします。」

しゃべり疲れたのか、しばらく間が空いた。啓一は美智子の綺麗な白い素顔と滑らかな線を描く美しい姿を見つめていたが、こみ上げるものが握った手に力となってほとばしった。
「こっちにおいで」といい、両の腕で抱きしめて紅くしっとりと輝く唇を優しく吸った。

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