[人事評価]正しく評価出来てる?
管理職は自分の主観で評価していないか?
面談とか面接、そして、記事で感じるのは人事の評価は主観で評価しているということ。
◯◯と考えることができるだの、◯◯が提案できるだの、実際評価の「厳密な基準」がある訳ではないからだ。管理職にはそうした基準があるかもしれないが、経験からそれを感じる素振りは全く無かった。
自己評価が高いって、それあなたの感想ですよね。
主観に主観をぶつけてるよね
自己評価が高い、自分のことが分かっていないとよく言われる。その側面は否定しない。自分の考えを言えと言われて、返しただけのことである。
管理職は果たして公平な自己評価が行えているか。否である。
少なくとも、自己評価云々言う人ほど、主観と感情でモノを言っていたし、公平にと言う割には双方から考えを聞くことはなく、一方的であった。
こうしたことから考えると、管理職は主観によって評価しているし、部下の話も単なる主観で排除しているに過ぎないのだ。
そもそも評価とは何か。
事実→考察→結論
まず事実があって、それに対して考察し、結論を述べるのが評価であろう。
主観・感想→結論
管理職の評価とは、主観や感想がまず先にあり、そして、結論が述べられる。
こんなものは評価とは言えない。
主観を排除するには
事実と真実を分けること。
事実とは客観的な事象そのもの。「本日は晴天なり」が例だろう。晴天にしても、はっきり定義づけられている。
真実とは人の主観を挟むもの。「本日はいい天気だ」が例となる。晴天もいい天気も似たように感じるだろうが、晴天続きであれば雨天の方が良い場合もあるし、人の価値観によってどの天気が良いかはわからない。
事実と真実をはっきりと分けることが肝要だ。
事実を悪用しないこと
事実を理解したとしても、それを切り貼りして仕舞えば、全く違う真実が出来上がる。評価する側の人間によって、事実が真実に歪められてしまう。
フェイクニュースが分かりやすい例だろうが、もう一つ例を挙げておく。
イジメだ。
A君がB君を殴った。
これだけ見ればA君に非があるだろう。
では、A君はB君から何年もいじめを受けていた。毎日のように侮辱され、物を隠されるなどされていた。としたらどうだろう?
A君に100%非はあるだろうか。
わたしの経験上、管理職はA君に100%非があると言う判断を下す。
「A君がB君を殴った」「B君はA君を数年にわたって侮辱し、物を隠すなどしていた」という2つの事実が存在するに関わらず、前者のみをもって判断している。
これはひとつの事実しか見ていないし、意図的に後者の事実を排除していることもある。
そんなことはいくらなんでもないと言うなら自己評価が高すぎると言わざるを得ない。こうした事実の切り貼りをしている人間は1人2人ではないからだ。
管理職の評価への疑義
管理職は正しい判断や評価を下さない
上記の例や体験から鑑みても、人の評価が公平であることはまやかしである。
正しい判断を下す管理職もいるかもしれない。しかし、正しいと言うことすらすでに主観が入っているのだ。
個人の判断はそれほどまでに公平性からは程遠いものなのだ。管理職から評価という業務を無くしたとき、初めて公平な評価への第一歩となる。
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