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メキシコTemazcal編⑤現代のナワ族が受け継ぐテマスカル儀式の実態【後編】

いよいよ、メキシコTemazcal報告記もこれが最終回です!
これまでは、背景知識やウンチクばかりを詰め込んだ内容だったので(それらも他所では読めない貴重な内容だった自負はありますが…笑)、最後は、私自身が何度かのテマスカルを体験して感じたことや、個人的に印象に残ったことを中心にお話します。


中米と北欧の原住民族の、思いがけないシンクロ

まず、私にとってかなり衝撃的で印象に残っているのが、ホアンさんたちがテマスカル内で太鼓を叩きながら歌ってくれた、ナワ族に伝わる歌のいくつかが、フィンランドを始めとする北欧諸国の北方原住民族サーミ人たちの「ヨイク(joiku)」に瓜二つだったことです。ヨイクもまた、太鼓でシンプルなリズムを刻みながら延々と歌われる、欧州最古とも言われる伝統歌謡です。

スペイン侵略後の土着信仰排斥が過激化してからは、
この太鼓を叩いただけでも手首を切られた時代もあったという恐ろしい話を聞かされた

かつてサーミ人の取材をしたとき、ヨイクとはスキャットによる(=明確な歌詞をもたない詠唱で、その調べは自然界からインスピレーションを受けて生まれ、さらにヨイクを歌うことによって人が自然世界(の精霊たち)と交流をはかるのだ…というようなお話されていました。

ホアンさんたちの歌の多くも、後で聞けばやはりスキャットで歌っていたようでした。太鼓のシンプルなリズムだけでなく、音程も抑揚も発声の癖も、まるでサーミ族と互いに聞きあったことがあるのではないかと疑いたくなるほどにそっくり(サーミたちのヨイク歌謡の歌唱法については、一応、大学で音楽学も履修していたし番組特集で密着したこともあるので、発声や音律に基づく「なんとなく似ている」以上の根拠も、示そうと思えば示せますが、流石にマニアックすぎるので今回は割愛します…)。
ヨイクがイヌイットやカナダの先住民族の歌謡と類似している、という話はどこかで聞きたことがあるのですが、偶然なのか必然なのか、メソアメリカにまでその類似の鎖は続いていたのではないでしょうか。

少なくとも私にとっては、飛行機で十数時間かけてやってきたはるか遠い異大陸(の浴室の中)で、突如とても親しみ深い旋律に出会う…という体験こそが、テマスカル儀式において自分なりに神秘性を感受するための最も直接的なトリガーになった気がします。にわかに頭の中の世界地図のピースがばらされて好き勝手に浮遊し、自分の所在や時間軸もよくわからなくなってきて、途方もなかった森羅万象がにわかに自分の身体へと収束を始めるような…とても不思議な心地でした。

しかもその合いの手として絶えず聞こえてくるのは、私が故郷フィンランドで毎日毎日耳を傾けている、焼け石から蒸気(=ロウリュ)が立ち上るときの、あの昇華音です(ホアンさんは、この蒸気の音と振動は、私たちが子宮のなかでつながりを感じられる、ご先祖さまの魂の呼応なのだと説いていました)。

この広大な世界はあらゆる場所も時間も実はつながっていて、そこに散りばめられた人類も、根源的には同じものに心地よさや神秘性を感じる存在なんだ。―そんな究極の大局観が、本当はもっと緻密な思考をしたがっている頭にそっとカバーをかけます。

はじめはやや不安にもなる暗闇のなかで、聞き覚えのある旋律とともにジュゥーという懐かしい蒸気の噴出音がもたらしてくれる安堵感(そう、まるで体外から呼びかけ続けてくれる母の声のように)。

低天井のドーム壁をつたってふんわりと降下してくる、温かくてやさしい湿り気(そう、まるで心地よい羊水に浸りながら産道が開くそのときを待つように)。

扉が開いて、他者が見えないほど真っ白な蒸気で満たされた空間に、目が眩むような外光が差し込む瞬間の恍惚感(そう、まるでこれから生を受ける外の世界からのお迎えの光のように)。

テマスカルとは、子宮内での清浄無垢なひとときの追体験であり、あらゆる時代と場所からの超越&シンクロ体験。それが、私が実際にテマスカルに抱いた印象でした。

テマスカル蒸気浴は基本的に水風呂とは無縁。ただし最後に扉を出る前、
ほどよい冷水で汗を流すことができて、もちろんこれが最高に気持ちいい…

対話を通じて自分の本心に出会い、なぐさめの絆に癒やされる

もうひとつ、テマスカル儀式中のプロセスで忘れられないのが、テマスカレロのホアンさんを進行役として何巡も行なわれた、ダイアローグ(対話)の時間です。

前回の記事で、ナワ族にとっては、古来「浄化の儀式病気の療治対話や議論精力鼓舞」という4つのテマスカル利用目的があるという話をしました。

儀式以外の側面に触れなかったので、ここで少し補足をしておくと、2番目の「病気の療治」については、病人を適度に温めたテマスカルに搬送し、テマスカレロに代わってさまざまな専門医が、薬草や薬用動物を駆使して治療にあたる習慣があったそうです(儀式のような長丁場ではなく15分程度で、病人は当然床に寝かせられた)。また衛生面や象徴性からも、フィンランド・サウナ同様、分娩や出産後の女性のケアにもテマスカルが利用されたのは必然的だったと言えるでしょう。

1500年代にマリアベッキアーノ絵文書に描かれた、テマスカルで病人の療治を行なうようす

余談ながら、マヤ文明においては、古来なんと3500もの薬草の効能が認知されていて、その知識は後に西洋人を驚かせ、西洋薬学の発展にも大いに影響を与えたそうです。ただ、現在はもちろん西洋医学も広く受け入れられ、療治の意味合いでのテマスカル利用の機会は、民族内でもほとんど見られなくなりました。ですがその名残として、今日の儀式テマスカルでも、テマスカレロがその日選んだ薬草を煎じて焼け石にかけたり、西洋のウィスキングのように葉束で体をたたいたり、植物の成分をこすりつけたりする過程があります。

いくつかの薬草は、焼け石にかざしたり一緒に燃やす使われ方もする
ある日は、テマスカルの中で、抗菌や抗炎症作用の強いアロエの果汁を体にこすりつけた

4番目の精力鼓舞というのは、戦いに明け暮れていたアステカのメシカたちが、己を鼓舞し闘志を焚きつけるために熱々のテマスカルにこもって、焼け石にじゃんじゃん水をかけてトランス状態になるまで熱を浴び続けた風習に基づきます(話を聞く感じでは、相当ヤバい温度まで熱くするみたいですが…苦笑)。

そして特に興味深いのが、家族内や集落の人々との間で「対話や議論」の必要性があるときにも、会議室のようにテマスカルが利用されてきた史実。
対話(ダイアローグ)のプロセスは、儀式テマスカルの一部としても重要視されます。なぜなら、テマスカルの守護神はあらゆる汚れや罪を受け入れ、きれいな土へと還す営みの象徴。つまりテマスカルという場は、身体的な浄化だけでなく、罪や苦しみを抱えた人々の内面も浄化する力を持っていると考えられてきたのです。

「テマスカルの中では、泣きたかったら泣いてもいいのです」と促す、
常に包容力と言葉の温かみにあふれたホアンさん。
(そしてこの言葉が後にまさかの呼び水となる)

私たちもテマスカルの中で、実にさまざまなテーマで、1人ずつ語らうのに耳を傾け合う時間を持ちました(熱い中、しかも抽象的な話も多かったのに、その始終を訳し続けてくれた通訳者さんには感謝しかありません…)。
「あなたは誰なのか」「今どうしてここにいるのか」「人生の転機」「自分の体の悩み」「今ほしいものや望むこと」「感謝の言葉」など、自分でもわかっているようで意外と言語化の難しいことや、改めて問われるとこれまで置き去りだった思考回路や記憶の扉を開かないと答えられないことが結構あり、とはいえそんなにシンキングタイムは与えられないので笑、自分自身の本心や直感と向き合うことを余儀なくされます。

対話と言っても、一人ひとりが語らった内容に対して、さらに他者が意見やアドバイスを重ねるほど積極的なものではありません。進行役のホアンさんも、誰かが最後まで自分事を喋り切るまではただじっと聞き続け、独白が終わると「話してくれてありがとう」という謝辞と最小限の懐深いコメントを添えてから、互いに「オメテオ」の言葉を畳み掛け合って、また次の人の声を延々聞く…ということの繰り返しです。

テマスカレロも、お題を出してから率先して自分のことを語った後は、聞き役に徹する

けれど、この「最後まで自分の言葉で話しきる」こと、そして「最後まで他人の言葉を聞ききる」行為が、後から思えば、とても慈悲深い「心の浄化」の営みに繋がっていました。サウナではオープンマインドになれる…という現代フィンランド人の精神論にも相通じるかもしれません。同じ蒸気を浴びながら、周りの人たちのルーツや本音や弱みをシェアするうちに、賛否にも正誤にも囚われない「なぐさめの絆」で空間が穏やかに満たされて、一人ひとりの存在や人生の軌跡がちゃんと許されてゆく気になるのです。

最終日の終盤、結婚が自分にもたらしたことについて語らう時間があったのですが、夫がそれについて話していた内容を横で聞いていて、ついちょっとだけ自分の涙腺が緩んでいました。ホアンさんに促されていたのとはちょっと違う類の涙だった気もしますが、私たち結婚して良かったなあと心から思えた瞬間だったので、「新婚旅行」の密かなるハイライトと言えるでしょうか。

体の悪いところに蒸気当てるといいよと言われ、腰痛改善を願って焼け石にずっとお尻向けてた夫

遠距離とはいえ、まあわりと普段から考えていることは共有しあっている私たちですが、知っていることも初耳だったことも含めて、お互いの身の上話をこうして改めてゆっくり聞きあう時間というのも、振り返ればなかなか新鮮でした(笑)当然ながら、二人だけで会話するのと、他者がいる輪の中でとつとつと自分の心の内を述べるというのはまた全然違った言葉が出てくるものなので、テマスカル・ダイアローグは新手のパートナーシップセラピーにもなり得るかもしれません!

テマスカルとはなんたるかを、知識からも体験からも深く深く教授してくださった、
博学で懐深いホアンさんと出会えて、本当に良かった!

この地を踏むまでまったく無縁だったアステカ文明のDNAを受け継ぐ、まったく異国の入浴文化テマスカル。異邦人の私がどこまでその真髄を追体験できたかは測れませんが、自分なりに知れば知るほど、世界各地の伝統入浴文化が、海を隔てようが実はどこも同じ心地よさと神秘性を讃えているに過ぎないとも気づかせてくれました。

そして、ホアンさん夫妻のように、歴史を超えて古きを未来にも受け継ごうと志す人がいるからこそ、何百年も前の人々の思いや独創性に私たちが触れ続けられるということにも改めて感謝をして、これにてサウナ比較文化学メキシコTemazcal編を無事完結といたします。
長々とご愛読くださり、ありがとうございました!

次回予告。

完結したのはあくまでテマスカル編「本編」ということで…次回はメキシコ番外編として、私たちが体験してきたテマスカル「以外」のユニークなメキシコ入浴文化あれこれを、ざっとダイジェストでご紹介したいと思います!
思い返しても、どこへ行ってもお湯や蒸気や冷泉を浴びまくれる、入浴オタクにとってはサイコーな国でした!!

(写真:村瀬健一)



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