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メキシコTemazcal編④現代のナワ族が受け継ぐテマスカル儀式の実態【前編】

テマスカル考察シリーズもいよいよ佳境。かつて中央メキシコ一帯を支配し、アステカ神話の世界観を構築したナワ族末裔たちが、今日どのような様式や観念を引き継いでテマスカルを実践しているのか、前後編にわたって具体的にご紹介します。

もちろん先導師によって内容や解釈が変わる部分も多いので、内容すべての細かな描写はしません。前編(今回)では、いくつかの重要な基本作法に込められた意図(象徴)を解説。そして後編(次回最終回)は、私たち自身の主観的なテマスカル体験記&感想文で、一連の報告記を締めくくりたいと思います!


ナワ族がテマスカルに入る「4つの理由」

テマスカルは、私たちの現代生活に根付く風呂やサウナのように、リラクゼーション目的で気軽に利用されることがほとんどありません

かつては日本でも、入浴はもっと神事や仏門修行と結びつく行為でした。フィンランド・サウナの伝統も、土着のアミニズム信仰との関わりに触れずしては語れません。けれど現代の入浴行為は、およそ世界のどこでも、そうした神聖な意味合いは薄れて世俗化し日々の疲れを癒やし清潔を保つための日常習慣として受け継がれているものばかりです。

テマスカルも、アステカ滅亡後の500年という長大な時の流れのなかで、当然ながら様式も徐々に変容し、用いられる技術も進化を遂げてきたことでしょう。ただし、テマスカルは古来「浄化の儀式病気の療治(あるいは分娩や産後女性のケア)/対話や議論/(戦士たちの)精力鼓舞」という4つの具体的な目的のために温められてきた場であり、彼らがテマスカルを利用する目的自体は今も大きくは変わっていないと、ホアンさんは強調します。

浄化の儀式に不可欠な総合進行役テマスカレロ

先導者(テマスカレロ)は1人で行なう場合もあるが、
準備物や力仕事も多いので、2-3人で取り組むのも一般的

この4つの入浴目的のうち、現代のテマスカル文化の主軸として、民族内だけでなく対外的(例えば観光客向け)にも実践され続けているのが「浄化の儀式」です。前々回の記事で触れたアステカ神話の独創的な世界観が息づく、儀式としてのテマスカル浴では、まずtemazcalero(テマスカレロ)と呼ばれる先導者の存在が不可欠です。

スピリチュアルな儀式を先導する人=つまりシャーマン??…と我々は安易に考えてしまいますが、シャーマンというのは本来、神や精霊との直接の交流能力を持ち、託宣や予言を行なえる宗教的職能者のこと。
少なくとも現代に引き継がれたテマスカルでは、神と交信するような超常的な役割はテマスカレロに求められません。そもそも「浄化の儀式」とは、自然のエネルギーや守護神たちの加護のもとで、浴室に集った人々みんなで輪になり、自律的に心身の浄化を促す営み一緒に同じ蒸気を浴び、同じリズムで楽器を鳴らし、互いの赤裸々な告白や感謝の言葉に耳を傾け合うことで成立する、参加型の儀礼なのです。祈祷や礼拝よりも、村の豊穣祭などの祭事や集会に近いと言えるでしょうか。

テマスカレロは、室内でもさまざま歌や祈祷や対話を先導しつつも、参加者の一員として振る舞う

テマスカレロは、いわばその集会の司会進行役です。そのために必要となる能力について、ホアンさんと妻のカルメンさんに尋ねてみると、「終始安全に進行するための技能薬草に関する知識先人たちの価値観への造詣と探究心人々の心を開く力」だと、それぞれに話していました(そして実際、お二人はまさにこの点すべてを備えた鏡のようなテマスカレロでした!)。

だから特別な世襲制や認定制度、養成課程などはなく、ふさわしい能力と意欲と信頼性のある人にこそ託されます。とはいえ、テマスカレロとしての振る舞いを志した人は、師と呼べる先達のもとできちんと勉学や修行に励むのが通例で、ホアンさんのご自宅にも、彼が今も「マエストロ(先生)」と崇めるテマスカレロの師匠の遺影が飾ってありました。

儀式には、太鼓やマラカスなどいろいろな楽器も用いる
さまざまな効能の薬草をブレンドし、蒸気として浴びるためにお湯で煮出したり
儀式中に身体を叩いたりさすったりするのに利用する

テマスカレロは、儀式の依頼が入ると開催場所のテマスカルを定め、当日は参加者を迎える準備をすべて行ないます。その日使用する薬草を集めること、お供物や必要用具を準備すること、石を焼いて浴室を安全に利用できる環境を整えること…などですね。リトアニアのバスマスターの役割に近いでしょうか。

コーパルの薫煙で心身を清め、神秘の力への感度を高める

儀式の準備が整うと、参加者たちも装束に着替えを済ませて(※水着、ふんどし、ワンピースなど恥部が隠せる薄手の被服であればなんでも良い)、浴室前に集まります(特に事前にシャワーを浴びたりはしない)。

コーパルの薫香は、テマスカルの儀式以外でもメキシコのさまざまな場所で
アロマとして使われていたので、すっかり反射的にこの旅のことを思い出す香りとなった

前回の記事までの記事で描写したように、浴室への入室前には全員で東西南北の4方向を順々に巡り、それぞれの方角でテマスカレロの法螺貝の音やナワトル語の呪文に追従して、二元性の神オメテオトルが司る天地への祈りを捧げます。

その後、例の「オメテオ!」を唱えながら1人ずつ膝をついてテマスカル内へと入室しますが、このときテマスカレロの1人から、コーパル(木から抽出した天然樹脂)を焚いた神聖な薫煙によって全身を丁寧に清めてもらいます。

あらゆる汚れを浄化するための装置としてボルジア絵文書にも描かれているコーパルの香台

アステカ神話の神々が登場する16世紀のボルジア絵文書にも描かれた、手に握って使用する香台で焚かれたコーパルの燻煙。その深くスパイシーな香りは、エキゾチックなのにどこか日本のお線香と同じ類の懐かしみや安堵感を覚えます。

日本でも、お寺で線香の煙を身体の悪い部分にまぶす風習があります。また、北米のネイティブインディアンたちは「聖なるパイプ」でふかすタバコの煙によって「大いなる神秘」と対話していたと言います。
燻煙はそれぞれの民族が崇拝する神秘の力を受け取るための、万国共通の媒介手段ですね。

13個×4回に分けて、焼け石を搬入する意味

参加者たちが全員入室を終えると、その流れで「第一の扉」が開きます。(「4つの扉」の概念についてはテマスカル編②の記事を適宜参照ください)つまり、最初の焼け石の搬入時間です。

焼け石は、動物の角で箸のように挟んで搬入する風習もあるらしいが、
彼らの用いる火山岩はかなり大きく危険なので、干し草フォークを使っていた

③の記事で説明したように、焼け石搬入型の湿式テマスカルでは、入室時点ではまったく空間は温められていません。ぽっかりと空間の中央に開いたくぼみに、儀式中に徐々に焼け石を運び入れます(テマスカレロが石焼き場から浴室内へと運び入れる様子を、参加者は歌を歌い続けて見守る)。

ホアンさんたちが焼け石に使用するのは、焼けば真っ赤に閃く火山岩。ナワ族居住エリア一帯には、今なお活発な火山がいくつも存在します。火山岩には、例の自然四元素(風、土、水、火)のうちすでに2つの元素エネルギーが凝縮されており、蒸気用の焼け石にもっとも相応しいのだそうです。

いかにも自然の強烈なエネルギーの塊という感じの火山岩

過去の記事で、この焼け石は4回「扉が開く」ごとに13個ずつ運び込まれると紹介しました。そのとき「4」のシンボリズムについては解説しましたが、「13」もまたいくつかの象徴的な意味を持つ、ナワ族にとっての重要なナンバーです(例えば、身体の主要部位を数えると合計が13になること、アステカ神話の世界観においては天が13層で成り立っていることなど)。

最後の扉が開くと合計52個の石が運び込まれるわけですが、この52という数字は、アステカ暦が踏襲したマヤ暦における260日周期(13ヶ月×20日)の宗教暦と、365日周期の太陽暦との最小公倍数と一致します。つまりマヤ文明やアステカ文明では、52年周期で暦が一周し同じ日付が巡ってきたのです。
高度な天文学が発達していたマヤ文明では、太陽周期も現代科学による観測数値とぴたりと一致するほど正確に捉えられていたという逸話もありますが、メソアメリカの人々が、いかに何事においても数秘学を重要視していたが、テマスカル儀式においても垣間見えます。

運び込まれた石のうち5つだけにコーパルをこすりつけ、室内にもわずかに薫香を呼び込む

また、各扉が開くごとに運び込まれる13個の石のうち、最初の5個にだけ、カルメンさんがコーパルの樹脂をこすりつけて薫香を室内にも漂わせました。これは、東西南北の4方位に自分自身の立ち位置を足した数の象徴とのこと。現在の立ち位置=5番目という観念は、有名なアステカ神話の「5つの太陽」の伝説も彷彿とさせます(これまで4回太陽(時代)は滅んでおり、現在わたしたちは5番目の太陽の時代に生きている…という創造神話)。

テマスカルへの入室=母の子宮の中へのリターン

テマスカルには開閉式の扉がないのが一般的で、儀式中は毛布などで出入り口を覆って遮光する

初めはまったく暖かくないテマスカル内部も、テマスカレロが焼け石に薬草を煮出したお湯をバシャバシャとかけるたび、確実に湿度と体感温度が上がってゆきます。同時に、真っ暗だった空間には蒸気の白い筋が彷徨いはじめ、終盤には視界全体が真っ白にぼやけています。
蒸気に染み込んだ薬草のエッセンスは、快い香りとともに肌を通じて体内に浸透してゆき、代わりに汗がどくどく流れ出ます。

テマスカレロの歌や太鼓のリズムに合わせて、参加者もおのおの楽器をかき鳴らす。
打楽器の鼓動は、母の胎内に響く心音や脈拍の象徴でもある

前回までの記事で触れたとおり、ナワ族にとってのテマスカルの守護神は豊穣と出産を司る地母神トラソルテオトルであり、テマスカルとは浄化と蘇生(=生き返り)のための営みです。そのため、儀式中のテマスカルの内部は「母の子宮の中」だという共通認識を念押しされます。

つまり一連のテマスカル儀式を通じて、汚れや病や罪にまみれた現実世界(この世)から一時的に子宮の中へと帰還し、その清純で神秘的な空間で、自然エネルギーの授受、治癒行為、先祖との対話などのプロセスによって心身を浄化し、再び外に出るときには無垢な新生児のように生まれ変わってこの世に戻る…という筋書きをなぞるのです。だからこそ、いったん儀式が始まると基本的には途中退出ができません。

儀式の合間に扉が開くたび、暗室に外光が一気に差し込んで目が眩む

真っ暗で何も見えないけれど、常に心地よく湿っていて、暖かくて、ほんのりいい匂いのするテマスカルの内部は、まさしく(覚えているかはさておき)誰もが子宮内で羊水に浸かっていたときの、潜在的な記憶にアクセスできる環境なのでしょう。そして、何時間もの儀式の末にテマスカルから出て眩しい外光に包まれる瞬間は、確かに「蘇生」という言葉がぴったりの、清々しく尊い身体感覚に満たされるのです。

次回予告。

テマスカルは、どうしてもひとつひとつの行為の意味合い(象徴)や前提知識の説明無しには真髄が理解されづらいため、ここまではひたすら理論や解説ばかりを綴ってきました。ですが最後は、私たち自身がテマスカルを体験して率直に感じたことや考えたこと、特に印象に残っている瞬間やホアンさんの言葉などを感想文にして書き留めたいと思います。

(写真: 村瀬健一)

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