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風に揺れる芒 結句

 あの日からというものの、やはり、私の眼前に、あの美しく、良く見知った女の貌が、全く実にこれもまた物々しく、事によっては勿体をつけつつ、其処に在ることは、最早無くなった。ただ瞼を開けば、生成(きなり)をその身に纏った空虚が、其処に存するのみである。彼女が、彼岸へと、安息し、渡ったのか。或いは、単に私に彼女が見えなくなったのみであって、私の眼前に、平時と―もう平時とは、言えないが―変わらぬ様に、彼女が、其処に居るのか。……彼女を見るに能わなくなった今、私には答えられない問である。ただ、煩熱の鬱屈は、再び私を苛むようになった。……思い返せば、今夏は、死というものに近い夏だった。夏、と言えば溢れんばかりの生の鼓動が躍動する季節であるように思われるが、私には、違った。彼女が私より去ってから二日後の未明、私は、祖父を亡くした。……燦然と、眩い光輝に満ちていた、あの満ちた月の、月影が、未だに、私の記憶には、歴然と想起される。祖父は、持ってあと一週間であると、医者から宣われていた。……仕方のないことであったのだろう。……さて、この夏、私はもう一つ、実に不可思議な出来事を、経験するに至った。
 ことの始まりは、納涼のため、恐怖映像を見ようと思い立ち、ある実録恐怖映像を、映写したことだった。私は、基本的に、こういった実録映像なるものは、恐怖映像という類別に於いては、存在しないものであると、考えていた。……リエの一件があって以来、心霊現象なるものの存在は確認されたが、しかし、それはそうそう安々と起こり得るものではないが故だ。件の映像は、某地区に於ける鬼門を全て破し、その結果を撮影しよう、という趣旨のものであった。共に無聊を慰めようと、私と映像を見ていた母は、こんな罰当たりなことをするべきではない、と憤慨していた。その時分には、私は、どうせ企画だろう、と、高を括っていたのだが、母の言は、全く正しいものであった、と、今にしてみれば、思われる。人間、何らかの禁忌として定められているものを、安易に破ってはならないのだ。映像が進み、某地区の鬼門を尽く破壊しつくし、そして愈々、恐怖の根源たる心霊に相見えん、と、なったその時。……隣室から、何かが落ち、そして地面に衝突した様な、そんな音が、聞こえた。私と母は、すぐさま其処へと赴き、そして慄(おのの)き、戦慄(わなな)き、恐怖した。……硝子瓶が、それも決して割れない様な強度であろう瓶が、割れていた。それも、罅(ひび)が入る、等の割れ方ではない。……破片が四散し、最早跡形もなく、木端微塵の有様であった。……当初、私は何らかの衝撃によって、高所に置かれていた瓶が地へと落下し、そして現状の様になったのだ、と考えていた。いや、あの映像が縁であるとは、考慮したくなかったのだ。余りにも異様な割れ方であったため、現状を追認し難かったのだろう。だが、母は、瓶は、床に、あのひっくり返った白い盆の上に置いてあった、と述べた。見れば、確かに天地の逆転した白盆が、其処に、所在無さげに在った。……全く、世には、不可思議なことが、起こるものである。爆発四散した瓶を片付け、例の映像を停止し、私は恐怖に狼狽し、一夜を明かすこととなった。
 さて、後日、これについて考えてみたのだが、全くの自然現象であることは、おそらく無いだろうことを考定の範疇に入れ、四つ程、仮説を思案した。一つ目は、あの映像に出現していた女の霊が、映像を伝って此方へと来訪し、そして瓶を割り、去った、というものである。霊が果たして電気信号を導きの糸として移動するに能うであろうか、という疑念は存するが、私には確認するに能わぬことである。また、鬼門を毀(こぼ)つことにより現出する霊が、瓶を割ったのみで満足し、帰り路に就くのであろうか、といった疑念も、同時に生ずる。以上のために、私は、一つ目の仮説は、おそらく不適当であろうと、思っているのである。次に、二つ目は、私の家におそらく存在しているであろう、神棚に祀られた神が、何らかの危険から我々を遠ざけようとしたがために、瓶を割った、というものだ。私の生家の神棚は、一般的な場所に無い。神棚は、丁度、私が恐怖映像を見ていた受像機の、真上に存するのである。このため、映像を見た際に、何らかの邪なるものが受像機の画面から出現するのを、その真上に存している神が察知し、現前した邪霊を隣室へと追い込み、そしてそれを破し、その象徴的現象として、瓶が割れたのではないか、というのが、この仮説である。彼岸というものは、象徴によって何らかの行為を代替することが多い様に、私には思われる。故に、この仮説は案外、適当であるのかも知れない、と、個人的には考えている。三つ目の仮説は、先の二つ目に類似したものだ。相違点は、私と母を守護したのが、今夏に亡くなった祖父の霊に置き換わっていることのみである。これについても、適当である可能性が高い、と考えている。最後の四つ目の仮説だが、先の一連のリエに関する記述に於いて、私は、幽霊には、憑いた時間の長さに応じて、その能力が獲得される性質があるのではないか、という推理を提示した。この通りに理路を進めるのであれば、実体に触れるに能う、という力能を有した幽霊というのは、非常に長きに亘って、対象に取り憑いていることとなる。したがって、此度の場合には、その様な幽霊が、私か、或いは、母に取り憑いているのではないか、という推断を、為すことが出来る。では、私の母だが、特に何かに取り憑かれている等と、口にした試しはなく、また何かに取り憑かれた様子は今までには見受けられたことが無い。故に、この推断の通りであれば、私に、長きに亘り取り憑いている幽霊が在る、ということとなるだろう。……長きに亘り、取り憑いた幽霊。……それは、彼女なのではないか。あの、月白に身を包んだ、彼女なのではないだろうか。……リエが、何らかの所以によって、隣室の瓶を、尽く破砕したのではないか。私は、四つ目の仮説として、これを、考案するに至った。……だが、この四つ目の臆断が正しい見込は、おそらく、無いだろう。……確かに、あの爽涼な、寂寥を纏った潮風の内に、彼女は、彼岸へと、赴いたのであろうから。
 今でも、彼女を、思い出す。あの美しい、艶やかな濡羽の長髪を、透徹した瞳を、麗しい顔貌を、痩身に纏われた白妙を、幽艶な裸足を、今でも、私は思い出す。……もしも、あの世、というものが存するのであれば、彼女は、無事、此岸より三途の川を渡っただろうか。彼女の眼前に広がった三途の川は、さぞ無辺際のことであったろう。何しろ、あの漠として広大な、溟海であっただろうから。或いは、あの世が無いのであれば、彼女は、この現の生滅流転を限り無く往還する、輪廻の円環の内へと、回帰するに能ったのであろうか。……何れにせよ、彼女は、私の傍には、もう、居ない。それだけは、容易に分かることである。

 ……ただ、私は願っている。
 彼女に、安らぎが有らんことを。彼女が、安息の内に眠らんことを。彼女が、海原の茫漠の内に於いて、寧静と静穏を得んことを……
 私は、願って止まない。


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