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闘病生活からリハビリを終えてさらなる地獄が待ってた話(1)

ノンフィクション おっさんが生きた証を残す物語

コロナ下の中で再発した病魔 

18年近く社内SE&PMO、ゲームエンターテイメント領域、生産管理領域のITエンジニア時には人事をメインとして働いてました。両親も高齢のため介護が必要であったため転勤を断り、まだまだ現役でいたいというオモイで心機一転、RPA(ロボディックオートメーション)やAIの領域を挑戦できる職場を見つけ励んでいた時の事です。

中国の武漢で原因不明の肺炎(COVID-19)、コロナウィルスがここまでのまパンデミックが全世界中に拡大されるとは当時は思いもよりませんでした。

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 東京近郊も緊急事態宣言が発令され出社ができない状態になり、社内で計画していたシステムの完全自動化(RPAを利用した事務処理の自動化)を前倒しする事に急遽なりました。当初の予定では2年スパンで業務運用開始するマスタープランになっていた。世界中も会社も騒然で不安が押し迫る中、若い主務者と二人で一気に取り掛かる事になった。納期2週間+運用まで3週間という急遽取り組む形になりました。こればからりは致し方ない。タイミング的にはドンピシャであり人為業務を無くす。経営的、人的リソースの負荷も凄いので、このタイミングを逃す事はできない。やるしかないぜ、パンデミックなんかに負けない!乗るぜ、やるぜええの!こんちくしょうー!
いつものノリで熟していきました。

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RPAで事務処理なんかは日本では浸透しないのが悲しいっす。ホワイトカラーと呼ばれる職業はほぼ無くなると思います。

業務設計やコーディングなど久しぶりで46才のおっさんが必死に『手を動かす』ことは本当に楽しかったです。コーディング作業やAWSやなど15年近く触ってなくても『古典のようなコードC系エンジニア』でも何とかなるものだとわかった。なんやかんやでITエンジニアである実感できた。管理職やマネージメント系が長くなっても腐ってもエンジニアというか昔取った杵柄ってやつです。

リリースも無事終わり、細かい微調整の運用業務のテストを実施していた時に身体が急激な痛みが走った。

腰から下が痛くて動けない。、、、腰、下腹部と尿道が痛い。以前にも経験した痛み。尿管結石です。痛い病気ランキング万年四天王に君臨してる病気。                                             

真っ赤な血の小便がチョチョロて流れ出てる。

 症状が急激に襲ってきた!痛みの間隔が短い。急いでトイレに駆け込む!!!真っ赤な血の小便がチョチョロて流れ出てる。歩行は産まれたての子鹿がヨロヨロと立ち上がる様のようでした。会社のメンバー、上司も様子を伺い心配してくれまれました。

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結石の医療イメージ図 
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 上記のような尖った刃物のような、トゲトゲが無数に広がって、尿道や尿管にこのトゲトゲが尿管などの壁に当たり激痛になっているのです。今回はなんと3個もありやがる。もう、痛い。。痛い。

私は高ストレスや鉄火場の修羅場プロジェクトを終えると尿管結石になる過去に経験していました。うち1回目は病院まで徒歩でいき痛みで気絶。今回はそれより痛かった。体力が衰えたのか気概やストレス耐性が弱まったのか。。無理をしたのでしょうか、老化が進んだのか。。

急遽、会社を早退して病院に駆け込んだ。

コロナ禍の医療現場はもっと殺伐で緊迫感がありました。上記はイメージです。緊急事態宣言出たばかりでパンデミック初期でしたので緊急病院は医療現場は顔が引きつってました。      でも、私も患者なんすよ!激痛なんYO!HELP ME !

運悪くパンデミック騒ぎで病院も通常業務体制ではなく予約や悪化症状であってもすんなり急患扱いでも時間がかかる。なんせ、武漢肺炎で命を無くす人がいる上、病院側もなんか落ち着いて対処ができていない状態が見て取れた。痛みが増すにつれて、看護士さんが汗拭きや耐えるように励ましてくれる。もう痛みが凄くて声が聞こえない。。意識が飛ばないように必死に耐える。

診断の結果、粉砕手術はできない上、パンデミック真っ只中でオペ対応もできない状態。様々な要因で複数の結石は投薬で溶かす方法になった。処方箋、痛み止め、意識をとばすお薬、お注射を処方してもらいタクシーで自宅に帰った。

ペイン(痛み)の4日間が始まる。まさに業火。鎮静に費やす水量はペットボトル大13本


医者の処方通り、大量のペットボトルの水を用意して飲んでは尿を出す。これしかないそうです。

タオルを口に加えて、座薬、睡眠薬、処方箋をついてベッドにつく。痛みで眠れず汗だくになること10時間。結石が分解されるまで後3日。痛みで意識が朦朧として更に数時間を過ごす。とうやら翌日の夜になって目を覚ました。水分を飲んではベットに入る。これの繰り返し。もう無意識で朦朧とした状態で痛みに耐える。

2日目 
 ついに痛みで腰が自然に痙攣が始まった。腰がピストン運動がはじまった。もう、痛みで腰が悲鳴をあげるように暴れる。。結石を押し出すように痙攣が何度も起こる。痛みでもう何がなんだがわからんようになってたと思います。座薬、痛み止めが全く効果がなかったです。途中で尿を出すにも真っ赤な水分が出る。見るだけで気を失うような錯覚に襲われる。

痙攣が止まらない。

痙攣がとまらないイメージ図

3日目 
 覚えていません。腰だけが痙攣してピストン運動してるのだけは覚えています。(恥ずかしいような。。鬼神のような。。)


4日目 
 汗だくで目が覚めたのは昼過ぎだったと思います。痛み無くならないが結石が小さくなってきてるのが尿を出す事でなんとなく感じた。トイレとベットだけを往復して過ごしていたような気がします。飲み干したペットボトルは9本ほどでした。便器の縁は赤い尿素が染み付いてるのをみると今でもゾッとする。

5日目 
 何とか尿管結石も排出した感じがわかりました。規定通り明日に病院にレントゲン撮影と経過診断を行くことに幸せを感じた日だったような気がします。痛みは残るものの何とか歩くこともできていました。この時までは。。。

尿管結石は本当に痛くて辛い。。地獄のような痛さでしたが本当の地獄はまだ始まっていなかったのです。。。

もう、座薬を入れも『うおおお』というおっさんの艷やかな声や、なんかイケない遊びを覚えた感じは全くありません。とにかく、尿管結石は本当に激痛です。座薬も効かない事だけは覚えています。

座薬は神のお薬、Party time❕ ウホッ。。

地獄の1丁目1番地入門編に続く

※誇張なく事実のみを駄文で垂れ流して申し訳ありません。気が向いたら思い出しながら記載します。





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