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移動する自由が欲しかったあの頃の話

どうも。
猿人全開ゴリラ・ゴリラ・ゴリラ
サンシャインゴリラ🦍です。

人間が作ったこの「社会」ってヤツは厄介。最初は俺がゴリラだから馴染めないのかと考えていたが、どうやら人間たちも社会によって苦しんでいるらしい。今回は感情論と抑圧の害悪について、厄落としを込めて投稿する。

( https://twitter.com/aru_aru_iita_i/status/1284839678332375040?s=09 より引用)

学校で勉強したことは卒業後の5年くらいはしっかり覚えていても、仕事が板に付いたら忘れていく。何十年もご無沙汰だと「そういえばそうだったな」みたいなこと、ハッと気付かされることが誰にもある。
引用したTWでは、「経年劣化という概念がないお客さんに呆れた」様子が見えている。
メカニックやエンジニアで矢面に立つ人ほど、門外漢を何人も相手してきて困り果てているのが窺える。自分自身も業界の人ではない。
知らないことは知らないと、メカニックに対して耳を傾けているつもりだ。


人間関係のストレスに晒されることが苦手で適性がない故、顧客との折衝がキツすぎて自動車の販売に関わりたくないほどには就職の軸を決めて仕事を選んできた。自動車が好きなだけじゃ務まらない仕事。
自動車(バイク)を運転すること、マイカーの洗車とか機械いじり、カスタムは嫌いではない。販売職とかの仕事に就いてヤベー奴を相手する行為が嫌いなだけだ。機械だけ相手にしていれば楽なことはないけど甘くはない。

3ない運動は効果があったのか

( https://twitter.com/MIKAGUTI/status/1285079250878394368?s=20 より引用)

思考停止した教育者の暴走は、平成後期を生きたティーンエイジャーにも爪痕を残している。
当時学校に通ってた頃、校長が二輪免許を取得をした生徒に対して免許証を預ける、学校外での運転禁止などの御触れを出した。

これに対して当時の俺は「16歳で免許が取れるにもかかわらず、国の法律よりお前んところのローカルルールが上を行くとでも思っているのか」と憤慨した。子供をもてばわかると親の立場から言う人間もいたけど、「死んだら悲しむ」とか感情論で諭すだけで全然ピンと来なかった。安全教育する方が建設的でしょう。これを反抗期と受け取る連中だっただけに、当時の大人達の考え方というか質が悪かった為に見切りをつけた。他に大人はいくらでもいるから理解ある人に歩み寄ることにした。理由は「ポジショントークに過ぎず、教育者として理知的な判断ではない」とみなした。それだけ。

俺は親にも教師にも「"俺のバイク乗りたい欲"は置き去りだってのかよ?」っていうのは言わなかったよな。







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