好きなことで生きる眩しさ
一年ほど前、バイト帰り、電車の中。
バイト先の人間関係に消耗していたタイミングでふとtwitterを開いた瞬間、ある言葉が目に入ってきた。
「10年目。これからも好きなことで好きなように生きるぞ」。
それは憧れている先輩のツイートだった。
先輩が活動を始めてもう10年か、長いなあなんて思いながらも、そのツイートから目が離せなくて、スマホでスクリーンショットを撮り、しばらくその画面を眺めていた。
先輩は、もう随分と前からとても説得力のある生き方を続けていた。
好きなように生きる。
その言葉がとても眩しくて、勇気をもらって、その時のすり減った自分と比べると、あまりに状況が違っていて。帰りながらもどこか上の空だった。
好きなこと、興味のあることを追いかけて進学したはずだったのに、バイトや大学の課題で次々と埋まる予定、どうもがいても成果を出せない研究ですり減った当時の自分には、その言葉がすごく効いた。
その時の私は、自分の好きなことが何だったのか、まったく見えなくなっていた。
好きなことが明確に分かっていて、それを自分の仕事にして、成功して生きている人はとてもかっこいい。きっと見えないところで努力、勉強を重ねているに違いない。
私は先輩のファンなので、壁にぶつかっても持ち前の明るさで乗り越えてきた姿を、遠巻きながら知っていた。
10年もの間、転がり落ちもせずにそれを続けてきた先輩は本当にただただかっこよくて、今も尊敬の念を抱いている。
移動中の電車や図書館で、心がすり減ったとき、たびたび写真フォルダのお気に入りに保存したスクショを見ては、キラキラしている先輩の姿を思い浮かべていた。
いいな。そんな風になりたいな、なれたらいいな、と漠然と思った。
好きなことに邁進して輝いている先輩が、遠くの星みたいに見えるのだ。スクショが目に入る度、「私は何になりたかったんだっけ」。そう考えなおす機会をもらった。
あれから一年。
今の私は「自分の好きなこと」を自覚して、好きなことにたくさん触れる生活を目指している。
先輩は今日も変わらず遠くで眩しい存在のままだけれど、今では先輩のように生きることが明確な目標の一つだ。
私の好きなことは、ずっととるに足らないことだと思っていた。
文章を書くこと、綺麗な写真を撮ること、音楽を聴くこと、歌うこと、動画を作ること…まだまだたくさんあり過ぎて書ききれないほどだ。
以前の私だったら、遊び人だな、一つに絞れないなんて中途半端だ、なんて思っていたけれど、今の私は「楽しいからいいや。今日もやろう」と思って、楽しく活動を続けることができている。
先輩みたいになりたいとぼんやり思い始めてから一年。
進路が変わった。住む場所も変わった。親友との関係性に、「同じ夢を目指す相棒」が加わった。
中にはショックなこともあったけれど、後から振り返れば、この時が節目だったのだと明確に言える。
そして今の私のなりたいものは、抽象的だが、「自分の作ったものが誰かに必要とされること」、「楽しいを継続して、日々学びを増やすこと」だ。
「憧れの何か」を考え続けているだけでも、「なりたいもの」を時々思い出すだけでも、人はきっとその人や夢に近づくんじゃないかと思う。
そう信じながら今日も好奇心をもって、ひとまず文章を書く練習を続ける。
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