人材会社に転職からの現在まで

こんにちは、あおいです。
今日は暑いですね、水出しコーヒーを片手に今日もアロマを炊いて、優雅な午後を過ごしています。(2週間前まではあり得ませんでした笑)
今日の気分は、メロディーだけを感じていたいということで、Julyさんのアルバムを流しています。

今日は、現職に入社してからの1年について記載したいと思います。
昨年の7月に入社し、私はハイクラスの方向けの転職支援を行うキャリアアドバイザーの仕事と、その求人を扱う企業の採用コンサル、営業みたいなことをしており、求職者と企業と双方とやり取りする両面コンサルの仕事をしていました。
入って早々に怒涛の研修続きで、あっという間にデビュー検定、中には人格否定までしてくるようなトレーナーもいて、早々からダメージを食らっていました。笑 でも一緒に入った同期で特に感性が似ている同い年の帰国子女の女の子と切磋琢磨し励まし合いながら乗り越えたことであっという間に3ヵ月が経ちました。休みの多い会社で有名ですが、実はその分平日業務にしわ寄せがきており、グループメンバーの終了時刻の平均は22時。ちょうど使用するシステムが落ちるタイミングが22時なので、そこまでは仕事をする人が大半です。いつしかアフター6という言葉は忘れ、18時になるとあと4時間しかない頑張ろうと思うようになっていました。

身体へのダメージは感じつつもメンタルは何とか耐えていたのですが、新人の中でもかなり決定まで速いスピードでこぎつけてしまったことから周囲からの、あおいはすごい!できる!優秀だ!のレッテルを貼られ、それが原因で自分を追い込むようになってしまいました。前職の経験で褒められる、評価されることに慣れておらず自信がないので、その評価分だけ努力して追いつかないといけない、そういう思考になってしまっていました。
その結果、11月のある日の朝、研修があるのが分かっているにも関わらず。身体が動かなくなってしまいもう逃げたいと思ってしまい、上司に相談。そのまま病院で、適応障害との診断、休職をしないと治らないという診断を受け、そのまま1ヵ月間の休職をしました。

ここも私の「見栄」とか「見られ方」に対する変なプライド、固定観念がもろに出たなと思いますが、本当は少なくとも2カ月以上の休職を勧められていましたが、休むことへの申し訳なさと後ろめたさ、早く戻ればその分周囲も認めてくれるといったそんな気持ちで無理やり1カ月で復帰をしました。
その頃、一番仲良かった帰国子女の同期もうつ病を発症し休職しており、彼女はしっかりとその後の体調やキャリアを考えて早々に退職を決断し、卒業していました。ここである種心がぽっかりしてしまったのもありますが、あの時は辞めるが逃げるだと勘違いしていた私は同じ選択が出来ませんでした。

そこから6月までの半年、とにかく頑張りました。苦手な営業もアポをとにかく重ねることで少しずつ課題も克服して成長も実感。いつも良い所で決まらず、なかなか数字にならないを経験していましたが、長く手をかけていた求職者の方が良いポジションで大手企業に決まった時には本当にうれしかったです。苦手な本も沢山読み、苦手な新聞も読む癖をつけ、先輩や後輩から盗めるものを沢山盗んで自分に取り入れる、体調を崩すこともありましたが本当に頑張った半年だったと自負しています。

天気もあまりよくなかったり低気圧も影響はあるかと思いますが、5月半ばの月曜日、また朝に体が動かなくなるのを経験しました。その日はお休みしましたが、翌日からまた復帰。そんな最中、元より性格に少し難ありの上司からのモラハラ発言がひどくなり、そこでかなり体調が悪化し、うつ症状が出てきてしまいました。今回は病院を変えて診断を受けましたが、これまでの繰り返しの症状や一定症状が緩和してくる時もある、その経緯も踏まえて「双極性障害」と診断されました。
(※尚、こちら非常におすすめのクリニックです。東池袋の「時習堂メンタルクリニック」という男性医師のクリニックですが、正直初めていいクリニックに出会えたと思いました。)

今回の症状の原因は言うまでもなく、長時間労働とモラハラ。モラハラ上司は未だにも自分が私に好かれている、まさか私がモラハラと思っているとも思っていないと思います。もとより感情の起伏が激しい方で、その方のあらゆるメンバーの愚痴に毎日1時間以上付き合わされ残業を余儀なくされ、挙句の果てに私まで人間性を否定してくる。常に死にたいや消えたい、私なんかいない方が良いんだと思うようになり、そう思わないことができなくなっていました。涙もずっと出てくるし、地獄の数週間でした。仕事内容は負荷のかかるものではある一方で好きだったので、最後の方はこの上司やそれを見過ごす組織がメインストレスだったかもしれません。

今回も1ヵ月は服薬しながら勤務をしていましたが、出張帰りの新幹線でひどい発作を起こし、隣に座っていたモラハラ上司もさすがにやばいと思ったのか、その翌週に休職も勧めてくれ、今後のキャリアの選択についても私の意思を尊重すると言ってくれました。私の中での一番の高く厚い壁である両親にも私のうつ症状を見て「今すぐやめなさい」「あおいらしくないからもっと自由に生きて欲しい」と言ってもらえ、すぐに休職の手続きをとりました。

今回、退職前提での休職を決断する際に、私の決断の軸にはいつも両親からの見え方や親不孝にならないだろうかという戸惑いがあることが分かり、その両親とも話し合えたことで一歩前進していると思っています。学生の時まではサラリーマン絶対向いてないってわかっていたのに、なぜか必死に食らいつこうとしていた今。安定した給与と地位を手に入れるなら無理してでも今の仕事を続けた方が良い。でもそれって私にとって、本当に幸せなのか?

いったんすべてを手放そうと思いました。家のものも断捨離し、ラクマで意外と売れて資金にしてみたり。風水を知らべて部屋のDIY、模様替えを行ったり。インスタも消しました。これまでの見栄とかプライドとか他人の比較とか捨てて、いいじゃん私は私で、やりたいことをやればいいじゃない。

こう思えるまでに5年ほど時間が経ちました。でも社会に揉まれたこと。サラリーマンを経験して自信は失ったけど、ルールマナーや注意力散漫の少しの克服、仲間、得られたものだって沢山ありました。感謝です。

以上が私のこれまでのキャリアとうつ病(纏めてしまいます)の話でした。
もっと明るい話もしたいのですが、笑 次は明るい話でもしようかなと思います☆

お読み頂き有難うございました☆

あおい

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