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おばあちゃんが本当に大好き

すみません、絶対文章、まとまらないと思う。
でも…ざわざわした気持ちとか収まらないので直近の出来事を私の心情含めて独り言のように綴りたいと思います。

月曜日に救急車&精密検査したおばあちゃん

お母さんから日曜日の午後いきなりLINEで、
「おばあちゃん熱が出て状態がよくない
胃瘻もストップしてる」と連絡がありました。

月曜日、回復せず救急車で施設から近隣の病院へ向かうも、
満床だったため受付してもらえず、実家のほうにある大きい病院で対応してもらいました。
その日、入院まではいかず、大丈夫とのことでもう一度施設に戻り
胃瘻も再度しても大丈夫とのことで、月曜日の夜からは施設にいました。

水曜日再度救急車へ 血中酸素70%以下へ

本来水曜日私はオフィスへ出社するのですが、今週は任意だったので
なんとなく…母からの連絡の様子からおかしいと思い
また私もメンタルが、いろんなことが重なっていて不調だったので
出社しませんでした。

この日は朝のMTGもマネージャーのお子さんが体調不良でキャンセルに。
同居中の彼も、この日は休みなので
ちょっとお昼食べに外に出ようかという話になり、
車に乗り、埼玉のローカルフード、「るーぱん」に向かっていました。

るーぱん、食べたことがないらしく、
気になるって言われて、じゃあそこでいっかぁと。

正直どこでもよくて、おなかすいてるんだけど
私自身がここ最近、欲がないんですね
食欲も…おなかすいてはいるものの、そんな食べたくない。
食べても、量が入らない。
何もしたくなさ過ぎて、お風呂入るのも大変なくらい、
本当に何もしたくなくて。。。

そうこうしてたら急に、母から電話がありました。
なんだろう?もしかしておばあちゃんのことかな?
面会したいんだけどどうなってんだ?
施設に電話すべきか、病院なのか聞かなきゃなんて色々考えてたら

「おばあちゃんが救急車で運ばれた、中央病院にまたいる。もう、だめかもしれない。早く来て?」

それを聞いた私は、「えっ、私すごい格好だよ…怒らないでね、
すぐ行く、わかった行く」そんな感じで返して電話を切りました。

切った後は正直…やっぱりかぁ。でした
正直おばあちゃんはもう長くないだろうなと思っていました。
もし、さようならになっちゃったら、しんどいんだけど、
心置きなく、海外移住できるかもしれない。そう思っちゃいました。

到着して、すぐに受付の方に救急の~と話し、調べてもらっていると
ロビーの入り口に母親が居て思わず「お母さん!」と叫んじゃいました。
私の声に気づいたお母さんが、あっ、という顔で
「おばあちゃんどこ?」って確か聞いたと思います。
母親の顔見てそこから何を話して、緊急室前に到着したのかもう覚えてない…
施設の方が同席していて、おばあちゃんは入院の準備中とのことだったんですが一目顔が早く見たく、母がインターフォンを鳴らして看護師さんと確認してくれました。
しばらくして、許可が出たのでおばあちゃんと対面できました。

見たことない姿のおばあちゃんに戸惑う

母親は看護師さんよりも先にぐいぐい歩き、おばあちゃんのもとへ
私もついて行ってついて顔を見たら…
最後に見たときよりもかなりやせ細った姿で、目がうつろで黒目が上のほうへ向いたままのおばあちゃんがいました。
顔面蒼白で今にも消えてしまいそうな姿を目にして、
こらえられなくて涙と嗚咽が。
おばあちゃんの苦しそうな姿に、なんと言ったらいいかわからず
「おばあちゃん!」しか言えませんでした。
しばらくして、担当医の方から別室へ案内され、現状の説明に入りました。
おばあちゃんの姿を見たときに、モニターを確認していた私は、
心拍数の多さや血中酸素の70%切れを見て焦っていました。
なので、担当医から言われることはなんとなく想像ついてました。

「お話あったと思いますが、峠は今日から明日かと思います。
こんなお話申し訳ないですが、もう長くないと思います。
気道に痰が詰まってしまい、うまく呼吸ができていません。
今後の治療についてはどうご希望されますか?」

モルヒネなどを使い、
麻薬で患者さんの痛みや苦しみを取りながらが希望なのか、
延命治療したいのかどうかなどの話になりました。
私はどうしても、自然がいいので、生理食塩水などの
普通の点滴のみでお願いしますといいました。

母はモルヒネがなんなのかもよくわかっていなかったので、
麻薬だよ、朦朧状態が続く感じだよと説明して、
母も自然がいいという考えだったので
我が家は基本的には使用しない方向になりました。

入院手続き書類対応

先生の話が終わった後退室し、
しばらくすると看護師さんが待合室にいらっしゃいました。

母は喉が渇いてしまっていたので売店に向かい、
その間たくさんの書類を持っていた看護師さんから、
一通りの説明を私が代理で受けて、書類の記入をしていきました。
その間に、彼を待合室に呼び、入院する部屋の9A3室へ向かいました。
彼以外はおばあちゃんとエレベーターをともに過ごしました。

一通りの手続きが済んだ後、たまりにたまった仕事を
ばばっと片付けました。
ここ数週間暇なのに、こういう時に限って連絡すごい。
なんなんでしょうかね、この現象(笑)

まだ、直属上司にはこの出来事、言っていません。
回復することしか考えてないからです…

ただ、一部同僚にはこの時点で伝え、
直近で控えている訪問商談へは行けなそうなことを相談してあります。

お部屋に移ったおばあちゃん&長年のご友人と対面

お部屋に移ってから、
おむつ替えや体温などを測定してもらったりして対面できました。

しばらくするとまた血中酸素がさがりモニターの音が鳴り響いたり
点滴が、閉じちゃってる?エラーがなっちゃったりして
ナースコールの存在忘れてて、
慌ててナースステーションで看護師さん呼んでお世話になったりしました。

痰がたまりやすくなっていて、吸引でとるんですがそれが本当に痛そうで。
細いチューブでお鼻と口から吸い取りますがその時にお鼻がやっぱり傷ついて血が出てました。
痛くて痛くて暴れていて、あまりにも…な状態でまた涙止まらなくて。
そんな時に、痛さでなのか、意識がふと戻りました。
痛くてか、私の手をぎゅっと、握って。
顔もこっち向いて目もあって。
当たり前が当たり前じゃないなぁと、本当に痛感しました。

意識が戻ってうれしくなっていたらそんなタイミングで、
来客が!なんと、もう50年来?のご友人とのことです。
おばあちゃんは、天理教が大好きで、よく奈良に行っていました。
その天理教の、ご友人とのこと。
お名前がおばあちゃんと一緒で、一回り下だそうです。
私のこともすごく知っていて、名前を言ったらあぁ!海外によく行っているとか、いろいろお話聞いてますよ~と。びっくりしました。
そこでいろんなお話を聞くことができて本当に幸せな気持ちになりました。
いらっしゃって本当にうれしかったです。

この日は21時すぎくらいかな…まで、一緒にいました。
帰る直前に、また吸引してもらってたんですが
その時も脚ですごく踏ん張ってて…
粘度も高い痰だったのできつかったと思います。
口だったかな、チューブ入れたときに
「あ~」と声が出ました。
おばあちゃんの声だ、と思って
「おばあちゃん!!」と思わず母親と呼びました
そしたら目がかっぴらいて。
母親と私がいるんだとわかったんでしょうね…
手をずっと握ってたんですがなんと手を握り返しながら、手を振る感じ?で動かしてくれて。
あぁ、元気になってる…?!というか元気に見せてくれてる?なあと
思わずまた涙止まらず。

そうこうしてたら、母親の兄の奥さんおばさんというんですかね
折り返し電話が鳴り、出ました。
どなたですか?とのことだったので、フルネームを申し、
何の要件?とのことだったのでおばあちゃんが危篤状態で、病院に入院しています。来れるようであればと思って、連絡しました。
連絡しないで後からごたごたは嫌だったので、と説明すると
色々、来れない理由をつけて、いたのでわかりました。と返答して終わりました。
母親の兄であるおじさんも、全然連絡つかないし、いとこも連絡つかないことも伝え、もし連絡取れるのであれば、伝えてほしいと言って、電話を切りました。
エントランスで彼が車で待ってくれてたので、そこで車に乗り、
その日結局お互い、何も口にしてなかったので、味噌ラーメン屋さんによって食べて、ベルクで買い物をして、おうちに帰りました。
お風呂に入って出た後、ベッドに倒れこんだのは覚えているんですが
気づいたらそのまま寝てたようです。

それが、入院1日目のできごとでした。
いまは2日目がおわり3日目の朝を迎えようとしています。
5:16になったところです。

一旦ここでおしまい。

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