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さにーの自己紹介。

こんにちは。はじめまして。
自然派カメラマンのさにーです。本名は佐野誠二といいます。

このページを見てくださってありがとうございます。
誰も求めてない自己紹介を勝手にさせてもらいます。

書き足していくうちに無駄に9,000文字にもなってしまった。
目次を参考に程よく飛ばしながら読んでもらえたら嬉しいです。
ごめんなさい。ごめんなさい。

※この記事は2020年2月に書いたものを少し加筆修正したものです。

はじめに、『さにー』いう名前について。
20代前半くらいにニックネームが欲しくて自分で考えました。

・本名が「さにー」っぽい苗字(無理やり)
・太陽のように明るくあたたかい存在になりたい
・皆さんに気軽に親しみ込めて呼んでもらいたい
noteやSNSでは「さにー」と名乗っています。

いろんな方がさにーさんと呼んでくれていてうれしいです。
でも、本名で呼んでもらってもぜんぜん構いません。

どこにニーズがあるんでしょうか、こんな情報。
無益極まりないですが、いいんです、気にしない。

相手のことを知りたければまずは自分をさらけ出す。
互いを知っている方がより素敵な関わり方ができる。
そう思っているので僕は全力で自分のこと話します。

完全なる自己満足記事ですが、もし少しでも興味持っていただけましたらお時間の許す限り読み進めて貰えたらうれしいです。

では、よろしくお願いします。

1. 誰なん?何なん??

僕は、山と自然と音楽が好きな関西人。
30代後半2児の父です。

地方・観光地・旅・留学などに関わる会社に勤めながら、登山や外遊びで主に家族や友人など「自然に寄り添う人たち」の写真を撮ってきました。

数年内に家族で地方移住して独立起業しようと、へっぽこながらに修行の日々を送っていたのですが、2020年3月にコロナの影響で勤め先から休業宣告を…

なので4月からしばらく自由に動ける状態。
というか、事実上の退職勧奨に近いと捉えています。
(2020年7月、滋賀県高島市に移住しました)

インスタグラムもやっています。
顔出し写真は引っ込めたりすることもありますが。

自然派カメラマンと勝手に名乗り活動していますが、写真も仕事の一つにしていこうと決めたのは2019年10月。

正直、技術や現場経験はまだまだこれからです。

一眼レフカメラを7年前に手に入れて割とすぐからとりあえずマニュアルモードで撮っていましたが、完全に独学で写真仲間もいなかったので成長速度はとても遅い。

これじゃまずい、と最近になってカメラマン養成講座に通い始めました。
とにかく実際に撮りまくるのが一番だと思うので、カメラはいつも持ち歩いています。

長年写真を仕事にされてきた方からは怒られるかもだけど、技術や知識がまだ未熟だとしてもきっと僕にしか撮れない写真がある。
そう思っています。きっとそうなんです。

僕にとって写真は‟目的”ではなく‟手段の一つ”であり
『写真×◯◯×△△』のような掛け合わせで‟やりたいこと”をカタチにしていこうと頑張っています。(もちろん、掛け合わせ一つ一つに全力です!)

へっぽこ駆け出しフォトグラファーではありますが、そとあそびフォトグラファーと名乗り出して3ヶ月目でありがたいことにお仕事をいただくこともできました。それについてもまた詳しく書こうと思っています。

「写真を仕事に」と言っても色んな分野があります。
闇雲に勝負しても戦えるわけがないので…

強みを最大に活かせるジャンル
「古い×古い=新しい」の発想
ブルーオーシャンなマーケット
スキル掛け合わせでの差別化
持続可能なマネタイズ方法
複数事業での相乗効果

そういったことも考え長期的に戦略的に考えていきます。
簡単ではないことはもちろんわかっていますが本気です。

そして、先ほども書いたように写真は手段の一つであり、ゆくゆくは他の手段も使ってやりたいことを実現していきます。

2. やりたいことと、カメラマン。

僕にはやりたいことがあります。
なりたい姿、ありたい姿があるからです。
 
そのスタートとして、まず自然派カメラマンを名乗っての活動を始めました。

《なりたい姿、ありたい姿》
・自然に囲まれて暮らしたい。
・人生は幸せで溢れていること感じながら暮らしたい
・誰かの人生にほんの少し彩りを足せる人になりたい
・家族や仲間を大切にして生きていきたい
・一生ずっと夢を持ち誰かと語りながら過ごしたい

なりたい姿、ありたい姿、を実現していくためまずこれらを数年内にやろうと決めました。

・自然やアウトドアの撮影
・自然ガイド(一緒に遊ぶ!)
・↑の拠点になる宿
・↑に共感してくれる人の背中押せる発信

その背景と原体験である僕の過去を以下で勝手に語っていきます。
 
このnote記事は完全なるただの自己紹介であり、僕の夢と人生と趣味嗜好をたださらけ出すだけのもの。あと、noteを使いこなすための練習も兼ねて。

以下もおそらく皆さんにとっては無益です。
ただの時間泥棒なのでどうぞお気をつけください。


3. できること、好きなこと、やってきたこと。

子供のころからなんでもやりたがりで、やり始めると寝食忘れてのめりこむタイプのようです。

なんかいろいろやってる風ですがどれも突き抜けられてはおらず、まぁ残念。

《できること、好きなこと、やってきたこと》
写真撮影
ギター、バンド、作詞作曲
登山・キャンプ・釣り
富士登山なんちゃってガイド(4回で延べ計25人を頂上まで)
ランニング(ハーフマラソン7回)
サッカー
野菜作り(てきとー栽培)
営業職(経験12年)
人材採用支援(経験12年)
マネジメント
プレゼンテーション
父ちゃん
こどもたちと全力で遊ぶ

4. 音楽が好き。(流し読み推奨)

音楽が大好き。
No Music, No Life。

中学3年時にMr.Chirdrenの「深海」というアルバムを聴き、音楽の生々しさとエネルギーに衝撃を受けギターを手に。

高校1年から地元の友人たちとコピーバンドを組む。
高校3年で初めてのオリジナル曲を作りライブハウスで披露。(曲名は「僕なりのメロディー」。恥ずかしすぎる。)

作詞・作曲・編曲、自宅に機材を揃えて自宅レコーディングもやりました。
オリジナル曲のバンドをいくつか経て、「プロ」と呼ばれるような存在を目指すも…
いま、音楽ではなくこうしてPCに向き合いこれを書いています。(察してくくださいね。)
 
高校から25歳頃まで最も時間を密に過ごした相手はギター。
ギターは自分の全て受け入れ肯定してくれる、そんな気がした。

音楽(バンド)は本当に不思議で面白くて、時々の気持ちやメンバーによって鳴る音がぜんぜん違う。
オリジナル曲だとなおさらで、音とグルーヴにすべて影響する。

メンバーと気持ちも音もバチッ!!!とはまった時の喜びと快感はすごい。
そしてそれは聴いくれる人たちにも伝わり伝播していく。

たまらなく最高。

ただ、家族にも友人にもたくさん心配と迷惑かけました。
そのおかげでうつ病にもなってしまいました。
でも、音楽が好きで本当に良かったなと思っているし
いつかまた絶対バンドもやります。

ブルースでロックで人間臭さを感じるような音楽が好き。
電子的な音楽よりも生の音が鳴る方が好き。
有名なところだとMr.Children、Superfly、ウルフルズ、ビートルズとかめちゃ好き。

「バンドやってた」と言うと尖っていたと思われますが
服装も楽器もめっちゃ地味で態度もとても腰低い。
ライブ時はだいたいジーパンとユニクロのポロシャツ。
笑顔がめちゃ得意なバンドでした。

相棒のギターたちは一生自分で持ち続けるつもりです。
ただ、もし息子たちが弾きたいと言ってくれたら喜んで譲る。

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➤愛用ギター
Gibson ES-335
Fender USA テレキャスター
Martinのアコースティックギター

5. 登山が好き。(流し読み推奨)

2010年頃から一人で登山を始めました。(理由と経緯は後述の自分史にて)

ネットや本で知識・スキルを得ながら少しづつ経験を積みテント泊や雪山登山も一人でデビュー。

一人で山に入りながらもたくさんの人と山で出会い、素晴らしい仲間に恵まれてとても幸せです。

子どもが生まれたら生後7ヶ月から子供を背負って登っていました。

当時ははSNSがまだ普及しておらず情報が今ほどなかったので、子連れ登山のコツや仲間を探すのにとても苦労しました。
ベビーキャリア背負ってる登山者もほぼ見かけなかった。
 
それが僕がこれからやりたいことの原体験のひとつ。

高くて大きくてメジャーな山も良いですが、誰とも会わず静かに歩けるマイナールートも好きです。

山の中、自然の中にいるだけで幸せだったりします。

ちなみに、アルプスや積雪期以外の登山では地下足袋を、お散歩ハイクやランニングではワラーチという紐サンダルを履いています。
地下足袋とワラーチ、自然と一体になれる感じでおすすめです。

➤山行歴:3002回以上(ほとんどが単独登山)
登った主な山:富士山4回、槍ヶ岳、劔岳、奥穂高岳、北穂高岳、鹿島槍ヶ岳、蝶ヶ岳、常念岳、唐松岳、五竜岳、立山三山、赤岳、阿弥陀岳、鳳凰三山、大山、比良山系、蛇谷ヶ峰、赤坂山、鈴鹿山系、高島トレイル、大峰山系複数回、金剛山、六甲山系、京都一周トレイル、ポンポン山(地元大阪府高槻市の名峰)、その他いろいろ。

6. 写真が好き。

2013年に初心者向け一眼レフカメラを購入し、家族との日常や山の写真を撮り始めました。

思い返すと高校生から写ルンですを常にカバンに入れていて、普段から友達をパシャパシャ撮っていた気がする。

文化祭や体育祭では写ルンですを3つくらい買って全て撮り切っていました。現像出したのをカメラ屋さんに取りに行く時のわくわくは今でもよく覚えています。

「写真が好き」と自覚したことなかったし上手く撮ろうなんて意識もしたことなかったけど、人を撮るのはなんか好きだったのかと思います。

最近写真を褒めてもらえることが増えてきて嬉しい反面、ずっと漫然と撮ってきたので写真歴の割にド下手なことに気付ききちんと写真の勉強をしようと思い頑張る日々です。

写真を撮ることが目的ではなく、「あ、いいなぁ」と感じることを記憶と記録に残したいという気持ちでカメラを手にしています。

喜怒哀楽や過去未来を含めた‟人生”を撮れるようになりたい。
 
そしてその写真でまた誰かの人生や暮らしにほんの少しだけ彩りを足せる存在になれたら嬉しいのです。


僕がただの‟フォトグラファー”や‟カメラマン”ではなく、‟そとあそびフォトグラファー”‟自然派フォトグラファー”と名乗るのには理由があります。

①親と子供が遊んでいる姿は写真に残りにくい…
写真好きな親は、子供の写真はたくさん撮るけれど
自分が映っている写真がほとんどなかったりします。
自撮りしてもセンス良くキレイな写真にはなかなかならず…。

自然の中での遊びでは父親がヒーローになれることが多いと思うのですが
世の多くのお父さんは「自分も撮って欲しい」とは言えません。
ヒーローになれている自分と大好きな子供の光景は残したいはずなのに。

それならば自分が撮ろう!
初心者の方に対してなら簡単なガイド役も出来るし、
自分も混ざってこどもと一緒に遊ぶこともできるから。
そうすることで親子の素のままの自然な笑顔もたくさん撮れるはずだから。

②『外遊びをしたいけど慣れてないし初めてだし不安で…』
キャンプやハイキング、家族や子供や仲間と楽しみたい
でも、やってはみたいけど何からどうしていいかわからない…。

そんな人、実は少なくないはず。
自分の周りにもたくさんいました。

自分がガイド代わりに同行しカタチに残る写真も撮ることで
そういった方々にも安心感と一歩踏み出すきっかけを提供したい。

これらは完全に自分の原体験からのもの。
僕が5~6年前に実際に「そんな人いたらいいのにな…」と思ったこと。
(いたとしてもお金を払うかどうかは謎ですが)
 
そんな感じで写真・カメラと向き合っています。

7. 人が好き。

僕は人が好きです。

バンドを辞めてから、人材業界で12年働いてきました。
求人メディアの営業2年程と、人材派遣の営業兼コーディネーターを11年。(あれ…計13年??まぁいいや。)
とても面白くやりがいのあるお仕事です。

僕は人と誰かの人生が好きなんです。
 
自分はズバッと自分の意見を言ってしまうタイプなので「きつい人」と言われてしまうこともありますが、やっぱりおそらく人がとても好きなんです。

そして自分も好き。
正確に言うとたぶん、「やりたいことがある自分が好き」「やりたいことをやっている自分が好き」なのかと。

一度きりの人生、やりたいことやって過ごしたいじゃないですか。
やりたいことあればやりたいじゃないですか。
やりたいことない人は、きっとやりたいこと探したいじゃないですか。
たぶん。

自分はそうやって生きてきたし、それですごい良かった。
たとえ反対する人や理解してくれない人がいたとしても、気持ちと行動さえあればそれ以上に共感し力を貸してくれる人たちが出てくる。
そんな人たちと過ごす時間と共有できる喜怒哀楽が僕はとても好き。
生きている実感がたまらなく嬉しい。

きっとやりたいことやる人生の方が良いし余計なお世話かもしれないけど、たくさんの人にやりたいことやる人生を過ごして欲しい。
やりたいことやれてない人にはやれるように背中を押したい。

だから僕は「人と仕事を繋ぐ仕事」である人材業界を選んだ。

求職者は「なりたい自分」になるため「やりたい仕事」を探す。
求人者も「なりたい会社・店」になるため「共感してくれる仲間」を探す。
僕はそれをつなぐ橋渡し。

漫画の『ONE PIECE』みたい。
それぞれの夢を実現するために一つの船に乗る。
それぞれの夢と信念をリスペクトし合いながら。
それぞれの強みをそれぞれに磨きながら。
 
転職活動・仕事探し・求人募集はそれ自体が「目的」ではなくて、「なりたい自分、なりたい将来」への手段であれば良いな思っています。

終身雇用がまさに崩壊していくこんな時代、そういった考え方がもっと当たり前になっていく。
それに気付き自分で動ける人がもっと増えて欲しい。

僕は、自分がそういう感覚で居られて本当によかった。
コロナショックで多くの会社が倒れ沈んでいくかもしれない。
もし万が一そうなってしまった時に、せめて近くの島や救命船に自力で泳いでいける術と勇気を培っておきたい。

8. 箇条書き的自分史。

小さな頃からオトンに連れられ自然の中へ外遊びに出かける。
釣りやキャンプがメイン。
小学生でオジサン達に混ざり波止場や船や筏で魚釣りまくる。
自然の中で食べるおにぎりやカップラーメンの美味さを知る。

自分で釣ったでっかいアイナメを煮付けで食べでかい骨が喉に刺さる。
取れずでめちゃ痛くて救急車で病院送り。(アイナメの逆襲事件)

小・中・高校とサッカー漬け。なのに下手くそ。
高校3年時はバンドと生徒会活動もやり、さらに仲間と草サッカーチームも立ち上げる欲張りっぷり。
草サッカーチーム名はセンス皆無の「負けじ魂」。

めちゃくちゃ受験勉強するも、センター試験がめんどくさいからイヤ。
ささっと公募推薦で近場の大学に入学。
でもたった3ヶ月で「俺、金曜の夜タモさんの横に座るし」と言い失踪。
そしてあっさり中退。音楽の道を目指すとなんとか言い始める。
家族親戚は大混乱で大荒れ。もう大変。

バイトを掛け持ちしながら音楽・バンドに明け暮れる。
人生は音楽だ。人生はロックでブルースだ。とか言ってたりする。
でも下手くそ。

25歳、金曜の夜にタモさんの横に座るのは困難を極めることを理解。

就職活動をするも高卒バンドマンは相手にしてもらえない。
なんとか営業の仕事に就くも、孤独・無力感・申し訳なさ・後悔などから深刻なうつ病に。
1年半の苦悩の末、27歳の秋、命放棄しに誰にも告げず一人で屋久島へ。

命放棄の決行前夜にゲストハウスで偶然出会った山登りのお兄さん。
その圧倒的な優しさ深さに命も気持ちも助けられる。

自分を想ってくれる家族や仲間のありがたさを思い知る。  
死のうとしたからこそ、死ぬほど思い知る。

気乗りせずイヤイヤ気味で参加した中学校の同窓会。
13年振りに会った某女子になんかしっくりくる。
1年後、奥さんになってもらえる。
実は中学3年間、自分を想い続けてくれていた人。
なのに今は「くさい」としか言われない。

「屋久島で会った山のお兄さんに山でお礼を言いたい。」
と思い一人で山に登り始める。

山は良い、ただただシンプルな自分になれる。
大切なことを感じさせてくれる。
ということを知る。 

登山での景色や出会いや感動をコンパクトデジタルカメラで撮り始める。

「父親になったらまた一緒にバンドやろう」と誓ったバンドメンバーをある日突然亡くす。
人知れず精神疾患と闘っていたことを知り、言葉にならない後悔と無力さと自分への腹立だしさに苛まれる。

長男が生まれる。
愛おしくて愛おしくて愛おしい。
子どもの成長記録を残したく一眼レフカメラを購入。

生後7ヶ月から背中に背負い一緒に山に連れて登る。
背中で笑ったり眠ったりしてくれる息子。
ただ幸せで嬉しくて、自分が生かしてもらってきた意味を知る。

仕事をますます頑張る。
営業職で全社年間トップセールスに。

次男が生まれる。
かわいくてかわいくてかわいくてたまらん。

野菜を自分で作りたくなり、近所の畑に「場所貸してください!」と飛び込み交渉。グーグル先生に師事しながら有機栽培でいろいろ育てる。
ミニトマト・ナス・イチゴ・大豆・キュウリ・カブ・水菜…

はじめて芽が出た時、はじめて収穫した時、はじめて自分で育てた野菜を食べた時の幸福感はきっと一生わすれない。

この頃から、「いなかで暮らしたい」「好きな人たちとシンプルに暮らしたい」という想いが加速。

が、しかし、、、
自分の理想の暮らしとは真逆の東京本社勤務を打診される。
移住に向けて最先端が集まる東京で3年間‟修行”すると決め家族で引っ越す。

東京転勤して早々、挨拶代わりの親しみ込めた「あほやな~!」の関西弁が‟いきなり超キツいこと言われた”と受け取られ職場大炎上。
東京新宿の洗礼を浴びる。
なんでやねん、なんなんそれ、ほんまびっくりするわ。知らんし。

でも頑張る。
社員いろん人に声かけて富士山登山企画とかやってみる。
結果たくさんの人が来てくれて楽しんでくれて嬉しい。

東京2年目、新規事業コンテストで移住系サービスを出し準グランプリ。
新サービスとして立ち上げるも目標数値未達でモノに出来ず。
寝る間も惜しむ勢いでやるもまだまだ未熟すぎることを実感。 

2019年10月。
初心に戻りイチからやろうと肩書も役職も自分からリセットを申し出る。
 
同じ頃、知り合った素敵なプロカメラマンからCanonの5DmarkⅡを譲ってもらう。

人と自然を本気で撮ろうと決め30代後半で写真修行を始める。

2019年12月、‟そとあそびフォトグラファー”を勝手に名乗り活動開始。

2020年7月、会社員を辞め家族で滋賀県高島市に移住。
同時に開業届を出しカメラマンを軸に個人事業主として活動開始。
 

飾らず気取らず自然体で暮らしたい。 
屋久島で出会ったお兄さんやたくさんの素敵な人たちおかげで自分の日々が彩り豊かになったように、自分もいつか誰かの日々の彩りに色を足せる存在になりたい。

そう願いながら過ごすもいくつになってもへっぽこな30代後半2児の父。

9. 僕の夢。

僕にはやりたいことがあります。
大小数えきれないくらいやりたいことたくさんあります。

いろいろ叶えながら、最終的には思いっきり笑いながら、でも泣きながら死んでいきたい。

いくつになっても夢とワクワクを持ち追いかけ続けたい。
やりたいことだらけで充実した日々を送り続けたい。
最高な人生を送れたことに感謝しながらも惜しみながら死んでいきたい。
そんな自分を見て「この人幸せそうだなぁ…」って思ってもらいたい。
   
幸せは連鎖すると思っています。
「ペイフォワード」という映画も好き。
自分が全力で幸せなら隣の人もほんの少し幸せになると信じています。
 
それが支えてくれる妻と生まれてきてくれたボーイズや、生んでくれた両親や力を貸しまくってくれる仲間や、これから出会う人たちへの最大限の恩返しがしたい。

命は大切。
自分も大切な人も今日生きていられていることに感謝。
全力で味わいながら楽しみながら生きたい。

それができる場所と環境を自分たちで作りたい。

そのためにまず、好きな写真で誰かをほんの少し幸せにしたい。
自然の良さを、家族の大切さを、仲間の頼もしさを、外遊びと写真を通して気付いてもらって増幅もさせていきたい。

そして共感者・仲間も探し集めて、みんなが自分らしくワクワクできる場所や仕組みを作る。

実は、もともと年内かもしくは来春には動き出すつもりでいました。
そのための修行で東京で3年間過ごすと決めてやってきたので。
(※この記事を書いたのは2020年3月です。勤めていた会社をコロナの影響で休業することになりました。ほぼ失業ですね…。)

ただ、やっぱり会社員という安心感というか甘さがどこかにあったので、このまま自分の中で言い訳を並べて動き出せずにいたかもしれません。

僕に限らず世の多くの方が「思ってはいるけどなかなか動けない」(厳しいことを言うと「動かない」)状態なのではないでしょうか。
僕が直面した今回の休業(正直、事実上の退職勧奨だと思っています)は「やるしかない!」と思わせてくれた大きなチャンスなのです。
僕はラッキーです、こんなチャンスなかなかないのだから。

やってみます。

出来るか出来ないかではなく、やる。
とにかくやってみる。
ピンチはチャンス。

もし出来なかったら…
また助けてください。笑

こんな厳しい状況の中でも何一つ愚痴も言わず傍にいてくれる妻。
いつもハッピーでたれ目スマイルな自慢の息子たち。
頼れる熱くて愉快な仲間たち。
こんな駄文をここまで読み進めてくれた皆さん。
みんな本当にありがとう。いつもありがとう。


そんなさにーです。
みなさんどうぞ宜しくお願いします(^^)

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