見出し画像

外国語で意見と求められると頭がフリーズする話

語学の学習方法の記事やTwitterを覗いていると、英語学習者の以下のような話を見かけることがある。

・英会話の時に、よく自分の意見を求められるが、とっさに出てこない。

これに対して、日本の教育ではあまり自分のことを表現することをせず、普段から自分の意見を考えると言うトレーニングをしていないからではないか、という分析をみるけれど、どうもそれだけではない気がする。

意見を言うトレーニングが足りない?

私は少し前から韓国語のレッスンを受けているのだが、やはり同じような状況に遭遇している。

ちなみに私の韓国語のレベルがどのくらいかというと、初級文法は一通りやったので簡単な文章は喋れるが、単語はボロボロである。

何しろ、レッスンを始める前は文法以外はK-POPの歌詞での勉強が多く、結果「私にはあなただけがいればいい」とか「この(失恋の)痛みがなければ意味がない」とか女優でも中々使わなそうなワードだけが増えていき、「この部屋は広いですね」とか「今日は蒸し暑いですね」みたいな基本的な形容詞を使った簡単な文が言えるかすら怪しい状態であった。

さて、そんな状態で授業を受けたら何が起きたか。

今週は仕事がどうだったとか、週末どう過ごした、と言ったような過去に起きたことや事実を述べるのは割となんとかなる。

だが、こんなことを聞かれた時。

「このニュースについてどう思いますか」
「今紹介した釜山の名所の中でどれがよかったですか」

数秒以上、言葉が全く浮かばない。

毎回、頭の中で全ての処理がストップして、禅の境地に至ったような無の時間が流れていく。

当方、実は帰国子女で、小学校低学年の時に日本人ゼロの英語しか通じない教室に放り込まれ揉まれてきたので、自慢するわけではないのだが、こういうトレーニングは日本で一般的な教育を受けた人より積んできていると自負していた。

けれど、韓国語のレッスンでは相変わらず頭がフリーズする時間が存在する。

コロナになってから人と議論する機会が減ったので、思考体力が落ちているのかな、と思っていた。

しかし、どうもそうではないらしい。気がついたのは先生から、鑑賞したオンラインコンサートについて次の質問をもらった時である。

「オンラインなのに料金は5千円って高くないですか?どうして払う価値があると思いましたか?」

このパンデミックで中々出かけられない現状において、好きなアーティストのオンラインコンサートは一大イベントであり、私自身はとても満足度の高い公演だった。

この質問に対しては言うことが余りあるほどあるはずなのに、やはり何も思い浮かばなかったのだ。

無の時間の正体

授業が終わってから、日本語だったらもっと言えたのではないかと思って書き出してみると、まあ出てくる出てくる。

日本語で考え直して出てきたのがこちら。

・今回のイベントのために野外に特別組まれたステージ、曲ごとに変わる
 世界観を最大限表現したセット、巨大スクリーン、公演の最後に打ちあが
 る大量の花火、演出も従来のコンサート並みのものが用意されており、
 製作費がかかっていることが伺えた。これだけでも満足度が高かった。

・ライブの時のみ複数台のカメラの映像を同時進行で見られるので、違う
 アングルや特定のメンバーがアップになった時の他のメンバーの様子も
 見ることができる。(以降は編集されて一本の映像になってしまう)

・披露する曲目(セットリスト)は事前に公開されないので、次どんな曲が
 披露されるのかと言う臨場感とワクワク感はオンラインであっても十分
 味わえる

私が無の時間を超えて先生に伝えたのは以下の3点。

・アーティストと同じ時間を共有しているのは良い

・今回はファンミーティング(通常のコンサートよりもファンとの交流を
 目的としたイベント)だったのでトークが多かった

・ファンミーティングなので昔のアルバムの収録曲など有名ではない曲も
 いくつかあった

日本語の方が圧倒的に量が多いのはもちろんだが、実は日本語の内容と韓国語の内容にはとても大きな違いがある。

韓国語で喋った内容は、自分が知っている単語をかき集めて、自分が伝えることができ、かつある程度相手に納得してもらえそうなものを話しただけで、実は私が一番伝えたかった内容ではないのである。

全く思っていなかったことでもないのだが、自分がより喋りやすいことを喋ったのだ。会話は、沈黙しないで話し続けることの方が大事だから。

この状況、何かに似ていると思ったのだが、多分、アレに似ている。

お腹が空いて何か作ろうと思って冷蔵庫を開けたら、食材がほとんど入っていなかった時。

何も入ってない、でもお腹は空いたから何か作りたい。

事実を話す時は、いわば作るものが決まっていて使うレシピも決まっている状態なので、材料、つまり単語や文法知識を冷蔵庫から取り出すだけ。先生は日本語がわかるので、韓国語の冷蔵庫に目的のものがなければ日本語の冷蔵庫から取ってくればなんとかなる。

逆に、意見を述べると言うのはいわば冷蔵庫にある材料から何が作れるのか、献立を考えるのと同じ状態なのだと思う。

今、私の韓国語の冷蔵庫には知識という食材があまり入っていない。限られた食材で何か料理しないといけないので、作れるものが限られてしまう。

意見を言おうとすると数秒以上何も浮かんでこない無の時間。

その正体は、おそらく、韓国語の冷蔵庫を開けて「うわっ!なんもないよ!」と呆然としている時間なんだと思う。

意見を述べると言う営み自体が高度な技

自炊をしている人にはわかってもらえると思うのだが、冷蔵庫の中身から瞬時に今日の献立を組み立てるのはかなり高度な技で、料理を全くしていない人がいきなりやるのは難しい。

今ある食材はどんな下ごしらえが必要なのか、どんな調理法がいいのか、どれと組み合わせるのがいいのか。洋風にするのか和風にするのか、あるいは中華風にするのか。

いろんなレシピを覚え、作り込んで、ある程度経験を積んでから、ようやくできるようになる。

母国語の中で暮らしていると中々気がつかないが、自分の考えを述べるという言葉を使ったアクションは、私が思っていたよりも、ずっと高度なことなのかもしれない。

それを勉強し始めの、知識も単語も全然足りない状態でやるのだから、少しでもできている方がすごいと思いたい。

もしこれを読んでいる人で、同じように悩んでいる人がいたら、あなたはかなり難しいことにチャレンジしている。

もっと冷蔵庫の中身が充実していけばもう少し楽になるし、私たちの言葉の冷蔵庫はまだまだ色んな食材を詰められる。

焦らず、ちょっとずつ、新しく手に入れた冷蔵庫を豊かにして行こう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?