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愛おしい無駄

季節はすっかり秋めいてきた。暑苦しい蝉の声はすっかり影を潜めて、ブーツが落ち葉を踏み締めるくしゃっという音で、もう秋がすぐそばに来ていることに気づいた。夏から秋へと移り変わる時、その色彩の変化に心が躍る。眩しいくらいの鮮やかな花々は色褪せて深みを増し、新緑の木々は黄金の葉を落としてせっせと絨毯をこしらえる。夏のはつらつとした感じももちろん好きだが、秋の色たちは、鮮やかながらどこか心を落ち着かせるような深みがあって、それもまた良い。何より気温が丁度良い。ここ最近は雨続きで、そのおかげか湿った落ち葉の下から真っ白なきのこがいくつも顔を出していた。雨上がりは、特別空気が澄んでいる気がする。

最近ことごとく早起きに失敗している。
昔から朝きちんとした時間に起きるのが苦手な私は、やる気が足りないだけだとよく両親に言われた。それからというもの、次の日早起きの予定がある時は、ベッドに潜った後心の中で「明日は絶対早く起きる」と唱える。考えてみると、やる気も何も、寝ている間は夢の中に閉じ込められていてそれが夢だとも気づけないのに、早く目を覚まそうなんて努力できるはずがない。それでもなんとなく悔しくて、寝る前の早起き宣言はいまだについしてしまう。効果はかなり薄い。

丁寧な人が好きだ。私は何事に対しても無頓着で大雑把だから、丁寧というのが無駄に魅力的に映る。特に、ストレスが溜まると野菜をみじん切りにしたり、煮込み料理を作ってしまう人が好きだ。面倒な工程を、いかに慎重に丁寧に遂行するかに没頭できる人が、私は好きでたまらない。そして後で、大量の微塵切りの野菜や食べきれないほど煮込んだカレーに頭を悩まされたりしているような。丁寧の結果生まれてしまった無駄。それはひどく愛おしい無駄だ。

一日中休みなく動いていたはずなのに、やるべきことが何も終わっていないのは一体どういう七不思議だろう。自分のやる気スイッチが目に見えるところについていたらいいのにと、最近真剣に悩んでいる。お風呂に入らなきゃいけないけれど入りたくないからぐずぐずしている時間のあまりに長いこと。神様が時計の針をわざと早く進めているに違いない、そういう時に限って時間が経つのが早いから。友人と電話しながら、あの時間が一番無駄だと再確認し、納得しあい、本当に無駄だから早くお風呂に入ろうと互いに激励しながら、三時間余りが経っている。丁寧な人たちの生む無駄と、私の生む無駄の一体何が違うのか。私の生む無駄をいつか愛おしいと思えるようになる日が来るのか。そんなことを考えながら、また小一時間ほど無駄にしている。

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