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漫画みたいな毎日。「肌で感じるのは、あたたかさの中で育つこと。」

「明日は、幼稚園開いてる?」

最近の末娘は、毎日、幼稚園から帰宅すると、そう私に尋ねる。

「明日は土曜日だからお休み。日曜日もお休みで、今週は、月曜日もお休みだよ。」

「そっか〜。あと3つお休みってことね?」残念そうにそう言うと、末娘は、カレンダーの前に立ち、「今日は、ここ。明日がここ、その次がここで、次の次は、ここ。」と指差し確認をしている。

少し前までは、「幼稚園行かなくていいかな。」と、お家時間を楽しんでいたのが、随分と昔の事の様に思えてくる。

毎日の幼稚園が楽しみになったのは、誕生会に参加してからのように見受けられる。私の想像でしかないが、誕生会を境に彼女の中で何かが変化したような気がしている。


末娘の通う幼稚園の誕生会は、誕生月の子どもたちが、各々に自分の、なりたいものになり、簡単な冒険ストーリーを楽しむというものである。


長男は3歳前から幼稚園に入園しており、卒園までに4回の誕生会に参加した。

初めての誕生会では、テレビでプリキュアを観たことが無いにも関わらず、水色のプリキュア(名前がわかりません・・・・)の衣装をお友達から借りた。年少組の時は赤いプリキュア(こちらも名前がわかりません・・・。)になった。年中組の時はお花の妖精になると言い、髪を巻いてアップにし、ピンクのドレスを着た。かわいい系に満足したのか、年長組の時、最後の誕生会ではヘラクレスオオカブトになった。自分で衣装を段ボールで作っていた。

誕生会の度に「長男は、男の子なの?女の子なの?」という質問を浴びせられ、ただ自分は自分であるという、取り付く島もない態度の長男のフォローをするばあや業は、その頃から続いている。

長男に続き、二男も4回の誕生会に参加した。

3歳の時は蝶になった。「もう自分は十分誕生会を味わったから、次は二男の番だね」と言って、お面を長男が張り切って作ってくれた。既に卒園し1年生になっていた長男が付添いで、誕生会に一緒に出てサポートしてくれ、二男も心強く、楽しそうだった。

4歳の時は、ティラノサウルス。これまた長男が段ボールで衣装を作ってくれ、鉤爪まで付けてくれた。母は楽をさせてもらった。5歳の時、彼は、突然、「丹下左膳」になった。おそらく幼稚園で丹下左膳をリアルタイムに知るのは、園長だけだったのではないだろうか。加古里子さんの絵本「だるまちゃんとうさぎちゃん」に出てくる「たんげさぜん」というフレーズ、「片目片腕の強いお侍」というのが気に入った様だった。これまた衣装は、簡単で浴衣に新聞を丸めた刀を携え、セロハンテープに傷を描いて、片目の上から貼り付けた。またまた、母は、準備で楽をした。スタッフが登場BGMに丹下左膳の曲を探し出してくれてかけてくれた。昭和感満載で、二男のコミカルな様子と相まって、笑いを誘っていた。

年長組での最後の誕生会。二男は、ある幼稚園スタッフ定番の、イタドリの葉っぱのお面を付けて扮装する〈葉っぱ星人〉になった。衣装に必要なのは、イタドリの葉っぱと茎だけ。幼稚園の誕生会の歴史の中で、〈葉っぱ星人〉になったのは、今に至るまで二男だけだそうだ。

昔も今も、面白い電池満充電な人である。

さて、次なるは、末娘だ。

彼女は、3歳から幼稚園に籍を置いていたが、今までの2回の誕生会に出る機会が訪れる度に参加の意志を確認するも、「誕生会にいかなくていいかな。」と、ハッキリとしたものだった。
 
今までも何度か書いているが、イベント、特別行事とは、日々の延長にあるものだと思っている。

その行事だけにスポット的に参加しても、深いところまでその雰囲気を味わい楽しむことは難しいのではないかと、自分の保育士の経験も踏まえ感じている。

「誕生会に出る。」

4月から幼稚園通いを再開した末娘は、ハッキリと意思表示をした。そこからは、お友達に衣装を借り、当日の衣装に合わせる靴も自分で決め、BGMに悩みつつ、当日を心待ちにしていた。

誕生会当日は、始まる直前にスタッフが、冒険のストーリーの説明をさらりとしてくれるのだが、末娘は真剣そのものの表情で話に耳を傾けていた。その横顔に強い意志のようなものを感じ、親バカな私は見入ってしまった。

会が始まると、誕生月の子どもたちは、その他の子どもたちや保護者の皆さんが、並んで作ってくれた道を一人ひとり歩いて行く。

感染症が流行する前は、皆が、向かい合い手をつないでアーチを作り、その中をくぐって登場していた。アーチを通り抜ける間じゅう、左右から、「〇〇ちゃん!おめでとう!」という声がたくさん聞こえてくる。

今は、アーチは作れないけれど、両脇に並んだ人たちから「おめでとう!」と声をかけられながら、舞台となる場所に向かうのだ。

末娘は、舞台となるホールに並んだ箱型の木の椅子に座ると、しゃんと背筋を伸ばしている。その後ろ姿から、末娘の緊張感が伝わってきて、「一緒に出て欲しい」と言われ、後ろで控えていた私まで、背筋を伸ばしてしまった。

冒険の始まりは緊張して、私の手を離さなかったが、時間が経つにつれ、末娘は私の手を離し、自分のペースで参加していく。緊張感からか、ニコリともせず、戦いごっこの場面でも終始、無表情を貫き、それが笑いを誘っていた。

「戦わない。」と言っていたのに、ユニコーンの妖精となった末娘は、角での攻撃に加え、パンチまで繰り出すガチな戦いぶりであった。

会の最後に、誕生月の子どもたちは、一人ひとりブランコに乗るのだが、末娘は「お母さん、私、ブランコに一人で立って乗るからって園長に言ってきて!」と私に耳打ちし、立って乗ったブランコを園長に押してもらっていた。

〈ブランコ、怖いからお母さんと乗る。〉

そう言い出すのでは?と思っていたが、そんな大人の浅はかな予想は、良い意味で見事に裏切られた。

誕生会を終えても、たくさんの子どもたちやお母さんたちから「おめでとう!」「可愛かったね!」「カッコよかったね!」「素敵だったね!」と声を掛けられたと末娘。

声をかけてくれたのが「誰だったかわかんない。」とあっさりした様子であったが、彼女が受け取ったのは、表面的な言葉ではなかったように、私は感じていた。
 
〈たくさんの人に、私は見守られている。〉

末娘は、誕生会でそのような安心感を肌で感じたような気がしている。

誕生会を境に、末娘は今まで必ず「お母さんも来て」「お母さんと行く」と言っていた幼稚園内のトイレや園舎の中にも、「ここで待ってるから行ってきていいよ。」「ちょっと一人でいってくるから大丈夫。」と言う様になった。

誕生会が、終わってしばらくたった今も、「誕生会、見てたよ。大きくなったね!」と、末娘を生まれた頃から知っている方が声をかけてくれる。

たくさんの人に、見守られて育つ。
あたりまえのようであたりまえではない。

末娘は、安心感に包まれながら、自分を生きることが出来る根っこを、今、どんどん育てているのだと思う。

しっかり根を張ることができるよう、見守る役割を与えられていることは、大人として、幸福そのものだ。

ユニコーンの妖精が、これから飛び出す世界が、どんな場所であっても、自由自在に飛び跳ねることが出来る底力を育んでいる日々の姿を、その過程を、しっかり胸に刻んでおこうと思う。


ユニコーンの妖精になった末娘の後ろ姿。


ヘッダーのふわふわ可愛いユニコーンのイラストは、みんなのフォトギャラリーより、ふうちゃんさんのイラストを使わせていただきました。ありがとうございます♪

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