学校に行かないという選択。「学校には行かない。でも、先生はトモダチだよ。」
長男は、言った。
「先生が、どうしてもって言うなら、行ってやらんこともない。」
月曜日。
夕飯の支度をバタバタとしていると、電話が鳴った。着信は小学校からだった。
「お忙しい時間にスミマセン。」
6年生である長男の担任の先生だ。
「あのですね、今週の水曜日なんですが、学習発表会の再演があるんです。」
学習発表会とは、私の子ども時代には、学芸会と言われていたものだ。歌や劇、ダンスや合奏などを各学級や学年ごとに発表する会だ。
長男は、今まで学校に入学式を含めて3日位しか登校していないので、当然ながら、学習発表会に参加したことはない。
「それでですね、先週の発表会の時は欠席が多かったので、また今週再演することになったんです。今週は、多分、全員集まると思うので、集合写真を撮ろうと思っているんです。もし、Kさんがみんなと写真を一枚位撮ってもいいと思うようなら、どうかと思いまして。6年生の発表の後に写真を撮るので、良かったら、発表も観たらいいかなと。」
なるほど。もうすぐ卒業だし、一枚くらい集合写真でも撮りませんか、良かったら、クラスメイトの発表も観ませんか、というお誘いのお電話だったのだ。
「Kに、今の先生からのお話をして、どうするか決まったら、お電話折り返しさせていただいてよろしいですか?」
私は、そう答えて電話を切った。
夕飯を食べていた長男に、先生からの電話の内容を説明した。私は、80%位の確率で、「え?面倒臭い。」と返ってくるのかな、と勝手に予測していたが、返ってきた答えは予想外だった。
「先生が、どうしてもっていうなら、行ってやらんこともない。」
え?行くんだ?!
私は、思わず心の中で叫んだ。
「だって、先生、学習発表会のこと、ずっと頑張ってやってたみたいだし、どうしてもっていうなら、観に行ってもいいよ。」
そして、ツンデレの彼は、こう付け加えた、「まぁ、どうしても俺様と写真撮りたいなら、撮ってやらん事もないって、先生に言っといて。」
・・・何にしても、偉そうだ。
いつでも、何処にいても、偉そうな長男である。
とにかく、彼は先生の希望に応じることにしたのだ。彼がそう決めたのだから、私が言うことは何もない。
月に数回しか顔を合わせないけれど、この2年間、長男は、そのやりとりの中で先生の人となりを感じて来たのだと思う。
歯に衣着せぬ物言いをする長男を、そのままいつも笑って受け止めてくれている。必要以上に距離を縮めようともしないが、決して気にかけていないわけではないことがわかる。おそらく、彼もそれを感じているのだと思う。
私は、先生に折り返しの電話を入れた。
「行ってもいいよ、と言ってます。先生がどうしてもっていうなら一緒に写真撮ってもいいよ、と言ってます。スミマセン~、いつもながら偉そうで。」と、やや冗談っぽく、長男の言葉を伝えた。
先生は、「そうですか!嬉しいです!僕がどうしても写真一緒に撮りたいです!!隣で一緒に写りましょう!じゃ、13時40分くらいに来てもらえたら!」と、とても喜んでいる様子が電話口から伝わってきた。
私だったら、ずっと行っていない学校に行き、数回しか会ったこともないクラスメイトの中に急に入っていくことはできないと思う。
明らかに珍しがられるであろうし、チラチラ見られたり、コソコソ何かを言われるかもしれない。
そういった空気に耐えられる気がしないし、何より、「なんで学校に来ないの?」という質問を想定しただけで、面倒に思ってしまうだろう。
しかし、長男は私ではない。
「え?別に関係ないし。みんながどんな反応するか、見て来ようかな。」
と鼻歌を歌っていた。
彼にとっては、「先生が喜ぶなら、まぁ、いいよ。」なのである。彼の今回の行動の源はそこにある。
友達や周囲の目などは、問題ではないのだ。
「なんで学校に来ないの?」という質問など、一蹴するであろうことは、想像するに易い。そういう時の長男の物言いは、いつも以上に歯に衣着せぬものであるのだから。
そして、こんな時、「自分で学校に行かないという選択をする」というのは、こういうことなのだな、と改めて感じる。
周囲の反応や視線などが、彼が自分で決めたことを揺るがすことはない。
生物学的に、自分の遺伝子を半分は受け継いでいるのだが、自分の子どもとは思えない強さを感じる。この強さは、生まれ持ったものもあるかもしれないが、彼が、今までの経験の中で培ってきたのだろう。
そう思いながら、鼻歌を歌う横顔をしみじみと眺めた。
そして、水曜日。
週末から二男と末娘は熱を出したり、鼻水が出はじめていた。水曜の朝も二男の熱は下がっておらず、末娘は鼻水を垂らし、くしゃみをしていた。私は、学校に朝一番で電話を入れ、弟妹の不調を先生に伝えた。
先生に確認したところ、このご時世なので、長男本人は元気でも、家族に体調不良の者が居たら、学校は休まなくてはならない。それはそうだろうと思う。
「残念です・・・本当に残念です・・・。残念だなぁ・・・。仕方ないですが・・・。」
先生は、心からに残念だと思ってくれているようだった。いい人だなぁ・・・としみじみ思った。
「先生、今回はお声掛けいただいてありがとうございました。彼が行くと言ったのは、この2年間で先生との関係性が出来たからだと思います。
先生が、力を尽くして発表会の準備をされているのを知っているから、行ってもいいと長男は言っていました。
私達が学校に行かないことで、お手数をおかけしていることも沢山あると思うのですが、私も夫も、先生がこのように彼と信頼関係をつくってくださっていることを本当にありがたいと思っています。
結果として、今日は、うかがうことができませんが、そのことよりも、彼が、先生のために行くと言ったことが、私達にとっては、大事なことだと思っています。ありがとうございます。」
そう、お伝えした。
先生の真意はどこにあるか、わからない。
一枚くらい、クラス全員で記念写真を撮りたい、と思っていたのか、
これから長男が少しでも学校に来てくれたらいいなと思ったのか、
来春には卒業式もあるので、それに向けてクラスメイトと顔合わせをしておけたらと思ったのかもしれない。
でも、何にせよ、それらは、長男にとっても、私たち夫婦にとっても、とりたてて重要な事柄ではないのだ。
彼は、きっと、これからも、自分自身で、様々な選択をし続けていくのだろう。
そして、私に出来ることは、これからも、彼の選択に感心したり、驚いたりしながらも、邪魔しないようにすることだけなのだ。
長男は、学校に行かないという選択をしている。
そして、こんな風に言うのだ。
「H先生とは、トモダチだよ。あ、でも、学校には行かないけどね。俺様、毎日、忙しいから。」
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