漫画みたいな毎日。「ポケットの中にはビスケットがいくつ?」
古くからの童謡に「ふしぎなポケット」という歌がある。きっと、一度位は、何処かしらで耳にしたことがあるのではないだろうか。
まど・みちおさんは、詩人であり、「ぞうさん」「やぎさんゆうびん」の作詞でも知られている。
まど・みちおさんは、戦争を経験し、食べる物にも不自由した時代を生きている。「ふしぎなポケット」は、自身のお子さんたちに、十分に食べさせてあげたいという思いから生まれた歌だという説を読んだことがある。諸説あるようだが、私が調べた範囲では、ご本人が、その事を語っているものを見つけることができなかった。
どうして、「ふしぎなポケット」の歌を思い出したのかというと、ある日、末娘が、自分の小さな手提げバッグに入れていた個包装のお煎餅を、食べようと取り出したところ、袋の中のお煎餅は、細かくいくつかに割れていた。
あらまぁ、と私が思っていると、お煎餅を取り出した末娘は、「お煎餅が増えてる~!魔法だぁ〜!」と、満面の笑みで飛び跳ねた。
「ふしぎな手提げ」である。
今の時代で、日本で、私たちは、食べることに困ることなく、日々を暮らすことができている。
「子どもたちに、もっとビスケットを食べさせてあげたい」と願う親の気持ちを思うと、苦しさを覚える。お腹いっぱいという感覚を子どもたちが感じられない日々。そういう時代が、確実にこの日本にあった。そしてそれは、今からそう遠くない日本の日常だったのだ。
その中で、忍耐力、相手を慮る姿勢、守るべきものを守ろうという意志の強さなどが培われた面もあったかもしれない。それでも、その時代を生きた方々には、私には想像も及ばない苦しさや、どうあがいても、自分の力の及ばないことが多々あったに違いないと思う。
小さな欠片となったお煎餅が、末娘の小さな手から、兄たちに手渡される。
「これは、お母さんに。」そう言って、私にも分けてくれる。末娘の小さなふっくらした手に小さなお煎餅の欠片。小さくて、やさしい欠片だな、と思う。
割れて増えたお煎餅を、皆で分けて「美味しいね」と食べることができる喜び。小さな掌の中からお煎餅が無くなっても、そこには、明日を生きることへの不安や空腹に耐える辛さはない。
ささやかなことだが、あたりまえではない。
ささやかなことが、あたりまえの日常として、日本だけでなく、世界のどこにいても、感じられるようにと願うばかりだ。
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