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漫画みたいな毎日。「ポケットの中にはビスケットがいくつ?」

古くからの童謡に「ふしぎなポケット」という歌がある。きっと、一度位は、何処かしらで耳にしたことがあるのではないだろうか。


「ふしぎなポケット」
作詞/まど・みちお 作曲/渡辺茂

ポケットの なかには
ビスケットが ひとつ
ポケットを たたくと
ビスケットは ふたつ

もひとつ たたくと
ビスケットは みっつ
たたいて みるたび
ビスケットは ふえる

そんな ふしぎな
ポケットが ほしい
そんな ふしぎな
ポケットが ほしい

まど・みちおさんは、詩人であり、「ぞうさん」「やぎさんゆうびん」の作詞でも知られている。

詩人、まど・みちお。童謡「ぞうさん」「やぎさんゆうびん」「一ねんせいになったら」などの作詞で知られる。
明治42年、山口県に生まれる。5歳の時、父親の仕事で家族が台湾へ移り住み、ひとりだけ祖父の元に残された。その時のさみしさや孤独が、詩作の原点となったという。10歳で家族のいる台湾へ移住。25歳の時、雑誌に投稿した童謡の詩が北原白秋に認められ、童謡の詩の創作に本格的に取り組み始める。昭和18年に徴兵され、フィリピン、インドネシアなどを転戦。シンガポールで終戦を迎える。童謡「ぞうさん」の歌詞を書いたのは昭和26年。NHKのラジオで放送され全国に広まった。その後も、独自の感性で「生きること」「存在すること」の不思議と尊さを詩にしていく。
戦後50年近くたって出版した全詩集では、戦時中に書いた戦争協力詩もあえて収め、そのあとがきのすべてを割いて謝罪の言葉を綴った。85歳で児童文学のノーベル賞と言われる国際アンデルセン賞を受賞。100歳を過ぎても詩作を続けた。やさしく深い言葉に込められた、まっすぐな思いが語られる。

NHK人物録より

まど・みちおさんは、戦争を経験し、食べる物にも不自由した時代を生きている。「ふしぎなポケット」は、自身のお子さんたちに、十分に食べさせてあげたいという思いから生まれた歌だという説を読んだことがある。諸説あるようだが、私が調べた範囲では、ご本人が、その事を語っているものを見つけることができなかった。

どうして、「ふしぎなポケット」の歌を思い出したのかというと、ある日、末娘が、自分の小さな手提げバッグに入れていた個包装のお煎餅を、食べようと取り出したところ、袋の中のお煎餅は、細かくいくつかに割れていた。

あらまぁ、と私が思っていると、お煎餅を取り出した末娘は、「お煎餅が増えてる~!魔法だぁ〜!」と、満面の笑みで飛び跳ねた。

「ふしぎな手提げ」である。


今の時代で、日本で、私たちは、食べることに困ることなく、日々を暮らすことができている。

「子どもたちに、もっとビスケットを食べさせてあげたい」と願う親の気持ちを思うと、苦しさを覚える。お腹いっぱいという感覚を子どもたちが感じられない日々。そういう時代が、確実にこの日本にあった。そしてそれは、今からそう遠くない日本の日常だったのだ。

その中で、忍耐力、相手を慮る姿勢、守るべきものを守ろうという意志の強さなどが培われた面もあったかもしれない。それでも、その時代を生きた方々には、私には想像も及ばない苦しさや、どうあがいても、自分の力の及ばないことが多々あったに違いないと思う。


小さな欠片となったお煎餅が、末娘の小さな手から、兄たちに手渡される。
「これは、お母さんに。」そう言って、私にも分けてくれる。末娘の小さなふっくらした手に小さなお煎餅の欠片。小さくて、やさしい欠片だな、と思う。

割れて増えたお煎餅を、皆で分けて「美味しいね」と食べることができる喜び。小さな掌の中からお煎餅が無くなっても、そこには、明日を生きることへの不安や空腹に耐える辛さはない。

ささやかなことだが、あたりまえではない。

ささやかなことが、あたりまえの日常として、日本だけでなく、世界のどこにいても、感じられるようにと願うばかりだ。


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