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学校に行かないという選択。「王子と、ばあやと、アドラーと。」

学校に行かないという選択をしている長男。

不登校歴・6年。

実質登校日数・3日。

そんな彼も、間もなく中学生になる。

卒業間近なので、クラスメイトのお母さんたちが、先生方への寄せ書きなどを取り仕切ってくれている。

お花を準備してくれている方から連絡があり、「クラスのサポートに入ってくれていた先生への寄せ書きを書いてもらえないか」とのことだった。

しかし、長男は、その先生に会ったことはあるが、名前と顔が一致しないらしい。

私が持ち得る情報で、説明するが、
「・・・・思い出せそうで、思い出せない。」

・・・そりゃ、そうだよね。

寄せ書きのことを伝えると、

「思い出せないのに、メッセージとか書けない。」

・・・いやいや、ご尤も。
思い出せないのに、「ありがとうございました!」などと書くは不誠実だと私も思う。

私は、彼の言い分をそのまま、いや、オブラートに包んでお伝えする。

今までも、歯に衣着せぬ物言いをする長男の言葉を、必要があれば、オブラートに包み、時には、「こういう意味で言ってるんだと思いますが・・・」と翻訳する。

寄せ書きについては、「先生の顔と名前が一致しないみたいなんです。会ったら思い出すとは思うんですが・・・私は、わかるんですが・・・」と伝えたら、「それじゃ、書けないですよね!じゃあ、お母さんからでも!」と。

代筆である。

「王子と〈ばあや〉だね・・・」と夫。

・・・ばあや

ばあ‐や【▽婆や】
子守家事などを行う年とった女性。乳母。また、その人親しんで呼ぶ語。⇔じいや。

Weblio辞書より

ちなみに、夫は、〈じいや〉である。

寄せ書きの用紙を届けてくれたクラスメイトのお母さんは、「わからないから、書けないってもっともだと思って笑っちゃた!」と言ってくれた。

笑っていただけて、何よりです。

中学校もいかないの?
部活だけでも来てる子もいるよ。
みんな行ってるし、行ってみたら楽しいんじゃない?

と、特に悪気なく、長男に話しかけてくれるクラスメイトのお母さん。

すると長男は、物凄く不快そうに、「小学校以上に行くつもりないから。何でみんなが行くからって行かなきゃなんないの。」

末娘のことを、「かわいいでしょ、妹!」と言われれば、「え?悪いよ。」と答え、「そんなことないでしょ!かわいいでしょ!」と返ってくると、「あのさ、悪いときもあるって、知らないのに、なんでそんなこと言えるの?」

・・・ばあや、フォローが大変なんですけど。オブラートの用意が間に合いませんよ、王子。

「部活とかだけ行く子もいるんですね。でも、中学校も上下関係とか大変とか聞くから、難しいかも~♪気に入らないと年上とか関係なくハッキリ言っちゃうから〜アハハ。」と、ばあや。

「確かに!」と、サバサバ系のクラスメイトのお母さんは、笑っていた。

その他にも、投げかけられる質問に対して、無愛想にバッサリ斬りまくる。長男の歯に衣着せぬ物言いが不快であれば、本人に遠慮なく、そう言ってもらって構わない。そこは、長男と話をしている方との関係性だと思うから。

真っ直ぐ視線を逸らさず、自分の言葉を遠慮なく吐き出すので見ている方がハラハラするのだが、ばあや歴も長くなったので、それにも慣れた。

真っ直ぐ、決して媚びることない彼の姿が、私は嫌いではないのだと思う。
そこまで言えたら爽快。と思うことも少なくない。

傍目から見たらハラハラするやりとりの最後に「いつも歯に衣着せぬ物言いするから・・・」と、にっこりするのが、ばあやの役割である。

夫に、「あなたも、大人に邪魔されることなく育っていたら、こうなっていたのでは・・・?」と言われることもあるが、ここまでじゃない・・・だろう・・・多分・・いや、十分に可能性はある。

とにかく、長男は、いつ何時も、偉そうである。
どうしてそこまで自信満々なのか不明だが、「俺様街道まっしぐら」である。


感染が拡大する直前に、アドラー心理学の著書を多数書かれている岸見一郎先生の講演会に参加させていただいたことがあった。

私は、アドラー心理学に詳しくない。そして、育児書や保育書という類のものがあまり好きではない。そんな私が、長男が産まれた時に、書評を読み、気になって購入した唯一の育児書が、「子育てのためのアドラー心理学入門」である。

「子育てのためのアドラー心理学入門」と、ベストセラーにもなっている「嫌われる勇気」いずれの著者も、岸見一郎先生だということに気がつくのに10年程要した。我ながら繋がりの悪さにびっくりしたのである。


岸見一郎先生の講演会の中での、ご長男のお話を聴いていると、我が家の長男と重なる所があり、最後に少しお話をするタイミングがあった時に、「ご長男のお話をうかがって、我が家の長男の姿と重なりました。」とお伝えすると、

「あ〜!それは、可愛げがないでしょう!」と岸見一郎先生。

はい。可愛げは、ないです。

「尊重されて育つとね、可愛いけど、可愛げは、なくなるんですよ!」

先生は、そう言って、ニコニコ笑っておられた。

長男の歯に衣着せぬ物言いや偉そうな態度を見る度に、「とりあえず、今のところ、彼の育ちの邪魔はしていないのかもしれない。」と思いながら、心の中で、岸見一郎先生の言葉を繰り返す。

〈尊重されて育つと、可愛いけど、可愛げはなくなるんです。〉


常々、子どもたちは、ありのままで素晴らしく、愛しい存在であると思っている。

しかし、一方で、大人たちは、知らないうちに、「子どもとは、可愛がられるべき存在である」との思い込みを子どもたちに押し付けていないだろうかと懸念することがある。

自分自身の育った環境がそうであったから、そう思っているだけかもしれないが、経験したことがあるからこそ、そこには「自分の思うようになる弱者である子どもは、可愛い。」という大人の無意識の意識が潜んでいる気がしてならない。

その無意識の意識から、大人たちは、子どもたちが自分の意見を主張すると、「生意気」「反抗期」などと言って、大人が可愛いと感じられるような振る舞いを子どもたちに求めているのではないだろうか・・・。


〈ばあや〉にとって王子の可愛げの有無は、関係ない。
どんな彼であっても、愛しい存在であることに変わりないのだ。

今日も〈ばあや〉は、偉そうで、生意気で、可愛げのない王子の傍らで、「王子、まぁ、何にしても、味方は多く、敵は少ないほう良いですよ。」と、せっせとオブラートを用意したり、しなかったりしておくのだった。

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