漫画みたいな毎日。「時を経て、ふたたび紡がれるものがある。後編。」
甥姪が初めて来道した、一週間の出来事。
なんだかんだと長くなってしまいましたが、しばしお付き合いいただければ嬉しいです。
「遊びに来る日まで、あと何日?」と指折り数えていた日から、
「あと何日で帰ってしまうの?」に変わっていく。
楽しい時間は、速度を上げて過ぎていく。でも、よくよくその時間を眺めてみたら、ひとつひとつに色濃い何かが刻まれている。久々に会った時から、少しずつ 少しずつ、子どもたちの距離は近くなっていく。
親とも、兄妹とも、違う関係性。
友達ともまた違うけど、なんだか親近感のある関係性。
こんな風にじゃれ合う従兄妹が私には居なかったので、彼らの関係性は微笑ましく、羨ましく、あったかい。
甥姪が私や夫と過ごした小さい頃のことを、会話の中で話す度に、我が家の子どもたちは、面白いような、見たことのない遠い場所の景色を眺めるような、不思議さを含んだ顔をする。
多分、一緒に過ごしていた時間よりも、会っていない時間の方が長くなっていただろう。その間に彼らがどんな時間を過ごし、どんなことを感じていたのかはわからない。たくさんの経験と思考を積み重ねて来たのだろうな、と彼らの様子から感じる。
みんな仲良く
基本的にそのような思考は持ち合わせていないが、彼らと子どもたちが共に過ごす姿を感じる度に、私の頭の中にこんな言葉が浮かぶ。
仲よき事は、美しき哉
仲良くとは、するものではなく、なっていくもの。
私と姉の関係性があり、私と甥姪との関係性があり、そこに、夫と彼らとの関係性があり、更に我が家の三兄妹がその輪の中に加わった。
紡がれている
ここで思うのは、〈血の繋がり〉ということだけではない。
あくまで、「ひとりのひと」として、それぞれが、それぞれの関係性を紡いでいるということだ。
「けいこちゃん、髪の毛結いて。」
「けいこちゃん、耳かきして。」
18歳になった姪が、そんな風に言ってくれる。
あんなことあったよね、あの時一緒に〇〇したよね、〇〇作ってくれて美味しかったなぁ、と甥が小さいときのことを思い出して話してくれる。
けいこちゃん、けいこちゃん、けいこちゃん・・・・
甥と姪の私を呼ぶ声が聞こえてくる。
声も変わって、身体も心も大きくなっても、小さいときに一緒に過ごした感覚が、互いの中に変わらずある。
私が彼らを無条件に可愛いと感じたように、彼らが、無条件に我が家の子どもたちを可愛がってくれているのが感じられる。
電話やビデオ通話では、決して感じられない体温と感覚。
そして一緒にいることで生まれる空気。
一週間の間で、従兄妹同士の距離が一気に縮まったように感じられた。
甥姪が帰宅する前日は、子どもが口々に「もっと居て欲しい。」「帰らないでよ」「寂しいなぁ。」を繰り返す。「またすぐに来るよ!」と甥と姪が答えるも、子どもたちは段々と寂しくなっていくのがわかる。私も寂しさが少しずつ 押し寄せてくるのを感じていた。
最後の夜も、寝る時間を惜しんで、カードゲームで遊ぶ子どもたち。
また会える、でも寂しい。
私は「また会えるからね」とその場を治めるような、慰めるような言葉を敢えて掛けない。寂しいもたくさん味わったらいいと思うから。
甥と姪が本州に帰る日。
私は早起きし、玄米粉のマフィンを焼いた。昨夜、会話の中で、「けいこちゃんのマフィンの味をまだ覚えてる。」と二人が話していたからだ。甥が好きな抹茶味と、姪が好きなハチミツ味のマフィンを焼く。せっかくなら種類たが多い方が楽しいので、プレーンとカカオも一緒に。米粉のマフィンは、日持ちがしない。段々とパサパサとしてきてしまうので、宅配で送ることが心配で、今まで送ったことがない。
マフィンが焼き上がる頃に、子どもたちが次々に目を覚まし、ゆっくりと帰り支度を始める。粗熱が取れたマフィンをお土産用と、空港でお茶でもしながら食べる用にと箱に詰める。
朝食は、お稲荷さんと昨日、甥と長男が裏山で摘んできたフキノトウの味噌汁だ。甥と姪は、フキノトウの味噌汁を食べるのは初めてとのこと。私も関東にいたころは、口にしたことがなかった。皆、美味しいとおかわりをし、鍋はあっという間に空になった。北海道の春の味を、身体に記憶してくれたらいいな。
空港に見送るために、車に乗り込む支度をする。
私が部屋に残っていると、甥から封筒を渡された。中身を確認してもいい?と確認するとお金が入っているではないか。「もらえないよ!」というと、「自分と妹とお母さんから。沢山お世話になったから受け取って。」という。事前に用意してきていたようだった。「気持ちだけ受け取るよ。バイトしたりして貯めたお金だろうし、これからも大学とか、学校とか、お金がたくさんかかることがあるだろうからね!あ、今度また北海道にくる為の貯金にして!」と封筒を返した。外で出発の準備をしていた夫にも話をし、受け取らずに返したと伝えると、「それでいいと思うよ。」と言ってくれた。
この関係性にお金を介在させたくない。
夫も同じ様に感じてくれていたのではないだろうか。
時間を作り、航空券を自分たちで準備し、北海道まで来てくれただけで、もう十分だ。
玄関から出た甥と姪が、「お邪魔しました」というので、「いってきます、がいいな。」と私が笑って言うと、「行ってきます!すぐ帰ってくる!」と甥と姪も笑って言う。
空港でお土産を選び、搭乗手続きを済ませ、あっという間に出発の時間になった。「また来てね!」「早く戻ってきてね!」「身体に気をつけてね。」とハグして、搭乗口で別れを惜しむ甥姪と子どもたち。夫も「身体に気をつけてね。」と、しっかりハグして再会を約束する。
泣かないようにと思っていたけれど、私の涙腺はこの所、崩壊気味で、どうにもならかなった。私が一番先に泣いてしまったので、子どもたちは泣きそびれてしまったようで、なんだか申し訳ないことをした。
「いってらっしゃ~い!」
「行ってきます!すぐに戻ってくるよ!」
うん、いつでも戻っておいで。
あなた達の居場所のひとつになれるなら、それはとてもしあわせ。
会えなかった時間を経て、また新たな時間が、関係性が、紡がれる。
この感覚を身近に感じられることは、何よりも、贅沢な贈り物だ。こんな贈り物を受け取れるなんて、歳を重ねて今があることは、やっぱり悪くない。
こんなに可愛い子どもたちを、産んでくれ、私たちを信頼し、こうして関わりを持たせてくれている姉に、心からの感謝を。
そういえば、甥が夫の髭でジョリジョリしてもらうのが好きだと言ってたけど、夫にジョリジョリとしてもらったのだろうか?とふと思い出し、帰宅してから「髭、ジョリジョリってしたの?」と聞いたら、「流石にジョリジョリはしなかったけど、触ってたよ。」と。
どんなに大きくなっても、小さいときの身体的な感覚は、ずっと彼らの中に遺り、さらに新しい感覚が積み重なり、次の世代へと何かが紡がれていくのかもしれない。
また会える日を楽しみにしているよ。
ひとつの記事にまとめることができず、三回に渡っての投稿となりました。
叔母バカ全開の記事を読んでいただき、ありがとうございました!!!!
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