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学校に行かないという選択。「卒業式に行かないという選択。」

「Kさん、卒業式は、どうするかなぁ?」

長男の担任のH先生は、5年生の時からの持ち上がりだ。転勤されてきたばかりで、感染拡大もあり、様々な対応に追われて大変なことも多かったと思う。それに加えて、学校に行かない選択をしている我が家の対応まで。とても穏やかな先生で、長男の偉そうな話しぶりも受け入れ、いつも「うんうん」と話を聞いてくださった。

長男のクラスは、やや落ち着きがないと評されているらしい。私は彼らの様子を直接は知らないのだが、他の保護者や先生から聞いた話によると、担任の先生だけでは、なかなか対応が難しい状況で、別の先生がヘルプに入るなどしているようだった。

H先生には、放課後に月に2回くらいお会いするのだが、時に先生が疲れ切っていて、いつも以上に口数の少ないこともあった。そのような先生の姿を目の前にするたびに、大変な仕事だよなぁ・・・と思うのだった。それでも、子どもたちにとっては、穏やかでフラットな対応をしてくれる先生との出逢いは、貴重だと思う。

丁寧な手書き文字に絵本作家の加古里子さんのような味のあるイラストが添えられているクラスだよりが配られ、そこからも、先生の人となりや、考え方が伝わることも多く、私も親近感を感じていた。このクラスだよりは、保護者の有志が2年分をまとめて冊子にしてクラスに配ることにしたそうだ。

長男も、「学校には行かないけど、先生のことは、友達だと思っている。」と言っている。

H先生は、このときも、「学習発表会を見にいってやらんこともない」という長男の偉そうな態度にも、「是非来て欲しい!」と喜んでくれたという経緯があり、「卒業式に来てくれたらいいな、最後だから、皆で写真の一枚でも撮影できたら!」と思っているであろうことがうかがえた。

そして、最近ではお会いする度に、「卒業式はどう?」という、まったく強制するつもりはない、長男の意志を尊重する態度で確認してくれるのだった。先日、お会いしたときも、段々と卒業式の日程が迫っていることもあり、冒頭に書いたように卒業式への出欠についての話になったのだ。

先生の問いかけに対して、長男は、

「行かないよ。だって、自分は、学校に通っていないから、学校に対する思い出とか、思い入れとかないから。」

・・・ごもっともである。

「・・・ハッキリしてるなぁ~!!!」と私は、心の中で苦笑いした。

長男は、先生のことが、好きである。しかし、それとこれとは別問題。これは、彼が決める事柄なのだ。

さかのぼること、6年前。長男は、一年生だった。当時の担任の先生は、長男が学校に興味を持てるようにと、あれこれと働きかけてくれていた。

先生も一生懸命やってくれているんだ、とありがたく思う気持ちはもちろんあったが、

「先生は、一生懸命やってくれているイコール学校に行ったほうがいい。」

では決してないと私は思っていた。

先生が一生懸命やってくれていることと、長男が学校に行くことは、別のことだと思うから。冷たい考え方なのかもしれないが、どんなに一生懸命やってくれていても、それが子どもの心やその子のタイミングと合うかどうかはわからない。

私自身は、子どもに対して、「先生だって一生懸命やってくれているんだから、学校に行ってみたら?」と思ったことも、言ったことも、考えたこともない。そこが混ざってしまうと、子どもたちは、「自分は、どう感じ、どうしたいか。」を言い出せなくなってしまうのではないだろうか。

子どもたちという存在は、基本的に人を慮ることができ、物事を受け入れる力が高いと思っている。だから、不必要に圧をかけたり、遠慮して自分の本音が言い難い環境にできるだけならないようと最大限気をつけてはいる。

そう考えていても、子どもたちは、野生動物のようにその場の空気や大人の意向を感じてしまうと思う。それを汲み取って、その意向に沿うかどうか、というのは、子どもの性格やその子の置かれている環境によって異なるだろう。

長男は、今現在、「卒業式には行かない」という選択をしている。それが、当日まで変化していくのかどうかはわからない。行きたいと思えばそのようにしたらいい。

先生は、「じゃあ、卒業式の後に、体育館でKさんだけに、証書を渡すっていう形がいいかな?」と言ってくださった。長男は、う~ん、と言ってハッキリとその場で返事をすることはなかった。

帰宅してから、「卒業式に行くか行かないかは、別に自分で決めればいいから、それでいいと思うんだけど、証書だけは、受け取りにいったら?」と話をした。

それにさえ「わざわざその為に学校に来なくちゃいけないの?」と言わんばかりの態度であったが、私たちに〈卒業式〉という区切りが必要なくとも、先生たちには、その区切りが大事なこともある。

「H先生には、お世話になったと思うんだよね。だから、最後にご挨拶に行くくらいはいいんじゃない?ほんの30分くらいのことだと思うし。」
と長男に話をした。渋ってはいたが、「まぁ、それくらいなら。」と小声で返ってきた。

ある日、長男のクラスメイトのお母さんから電話がかかってきた。「Kくん、卒業式に行きますか?卒業式で、子どもたちひとりひとりから、先生にお花を渡すことになったんです。それで、Kくんはどうするかな、と思って。」と確認の為に電話をくれたのだった。

連絡をくださった方とは、長男が2年生の時に、当時の担任の先生が代わられる時、寄せ書きをするからと、用紙の受け渡しをした時にお話したのが最初だった。その後、特に交流はなかった。

本人は、現時点では、行かないと言っていること、お花は、卒業式に出るお子さんから渡していただいて構いませんよ、と伝えた。お花代は皆で割るのでと気にしてくださったが、こちらの都合で参加しないだけなので、大丈夫ですよ、とお伝えした。

すると、後日、「卒業式の日に学校にいきますか?」とショートメールをいただいた。ご挨拶に伺う予定です、と返信すると、「Kくんからお花を渡した方が良いと思うので、卒業式の後に届けさせてもらっていいですか?」と。いやいや、大変だし、卒業式の余韻をご家族で味わってください、無理なさらずに、と返したが、「ご迷惑でなければ、是非、届けさせてください♪」と返信が来た。ここまで言っていただけるのであれば、と、ありがたくお願いすることにした。

まったく学校との接点がない我が家を、このように気かけていただき、「ちょっと変わった家庭だなぁ・・・。」と、認識した上で、このように関わってくださるのから、ありがたいことである。

更に、少し前には、幼稚園が一緒だった同級生の女の子が、学校で開催される「感謝の会」の係になっているらしく、「子どもたちの小さい時の写真をスライドにしたいので、Kの写真を送ってもらえないだろうか?先生への寄せ書きも書いてもらえないだろうか?」という連絡が来たりもした。長男が「別にいいよ」というので、1歳2ヶ月くらいの頃の写真を送ったり、長男が書いた先生へのメッセージを届けるなどした。長男と面識のない方々(同級生も含め)が、小さい時の写真を見ても、なんら感慨などない気もしたが、長男本人が了承しているので問題はない。

また、先生に「文集って書く?」と聞かれ、「やってもいいけど」と答えた長男は、〈雪の上を歩く小さな虫 セッケイカワゲラ〉というタイトルの文章を1500字程度で書き上げた。学校に思い出も思い入れもない彼が書いたのは、大好きな生き物のことだった。そして、原稿は、「セッケイカワゲラは人の体温でも死ぬからむやみに触らないようにしてほしい。」というような、〈生き物を大事にしろよな!〉という雰囲気の漂う偉そうな文章に仕上がっていた。

そんな活動の端々から、「卒業」の空気を感じている。長男はまったく我関せずな態度に見えるが、そう見えるだけであって、どう感じているかは、知る由もない。

「あのさ、証書を受け取りにいく時のことなんだけど、」と私が切り出すと、長男はさっと耳を塞ぎ、「なんか嫌な予感がする。」とニヤリと笑った。

正解である。

私は、長男をくすぐって耳を塞ぐ手を取り払い、耳元で言った。「一応、正装で行こうと思ってま〜す。」

「わ~!やっぱり。嫌な予感は当たった!!!!」と長男は転げ回っていた。

長男は、正装が嫌いである。

まぁ、虫捕りと、山を駆け回ることが日常の彼にしてみれば、スーツなどもってのほかだろう。窮屈で、動きを妨げ、汚しでもしたら母にブツブツ言われかねないものを自ら進んで着るはずはない。

子どもによっては、正装の特別感を楽しむ場合もあるだろうし、そういった姿も多々目にしてきたが、彼は違う、というだけのことだ。

私は夫と日頃から話していることを踏まえ、今、考えていることを伝えた。

「あのさ、多分、先生たちは、正装だと思うんだよね。それに対して、やっぱり、相手が嫌な気持ちにならない程度には、正装した方がいいと思うんだよね。あなたにとっては、思い入れのない卒業式でも、先生たちにとっては違って、区切りとして大事に思っているのなら、それを私たちも大事にすることがあってもいいと思うからさ。H先生には、ホントにお世話になったと思うんだよね。卒業式にいかなくちゃいけないわけでもないんだし、ほんの30分くらいだからさ。私たちが正装することで、先生たちが、嫌な気持ちにならないで済むなら、そのくらいはしてもいいんじゃない?」

長男は、思い入れも、思い出もないと言っているが、6年間お世話になった場である。先生たちが忙しい中、学校に行かない選択をしている長男の為に時間を割いてくれたこと。本人が行きたいと望めば、いつでも行ける場として開かれていたこと。

それに対しての「感謝」を伝えることの一部としての正装だと、私と夫は捉えていると長男に伝えた。

長男が着られるスーツをクローゼットで探したが、すっかり小さくなっていて、二男のサイズの物しか見当たらない。

ネットで探すが、おそらく年に1度着れば良いであろうスーツにしては高価である。ネットフリマを活用しようと検索し、長男に似合いそうなものを見つけて購入した。

「え~?!そんな高いの要らないよ!!1回しか着ないのに!」という長男だったが、「じゃあ、たくさん着ればいいんじゃない?スーツ着て、どこかレストランにいってみるのもいいかもね。」と私が言うと、夫が、「ドレスコードとか、聞いたことないだろう?」とその説明を始めた。

「・・・美味しいもの食べられるなら、それもいいか。」と長男。

彼だけの卒業式。

それもまた、ありがたいと思っている。

1歳2ヶ月の時の長男。
まだオムツで歯が少ない。笑


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