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漫画みたいな毎日。「旨いは甘い、を考える。」


北大路魯山人は言ったらしい。 「旨いは甘い」と。


末娘は、さつま芋が大好きだ。今年、我が家の畑で夫が垂直栽培なるものを試み、さつま芋栽培を初めてから一番の収穫量となった。

しかし!この33キロのさつま芋、年を越すことなく、末娘を筆頭に家族のお腹に収まった。多少、友人やご近所にお裾分けをしたものの、大半は末娘のお腹の中だと思われる。

自家製のさつま芋で、お節に入れる栗金団が作れるかも!干し芋を沢山つくれたら、しばらくは、干し芋を買わずに済むかも!という私の構想はあっけなく夢と散った。

さつま芋は、じゃがいもに比べると、リーズナブルとは言い難い。

最近まで、北海道ではさつま芋は育たないと言われていたらしいが、私の周りでは、栽培している方も居たり、少しづつではあるが、北海道産のさつま芋もスーパーで見かけるようになってきた。

「また、さつま芋、買わなくちゃいけないかなぁ。」と思っていた時、毎年梅やみかんを注文している愛媛の農園のチラシに〈さつま芋〉が載っていた。

無農薬栽培で、3キロ1400円の金時芋。うん、いいかもしれない。夫に相談し、3キロ×7箱、合計21キロのさつま芋を購入することにした。これで、干し芋も焼き芋も金団もできる!冬も安泰!と思っていた。

注文から1週間。遥々、愛媛から、みかんやさつま芋が届いた。他にも、レモンや柚子も注文していたので、玄関は農園からの段ボールで所狭しとなった。

北海道では、柑橘は貴重だ。段ボールを開けると、柚子やレモン、みかんの香りが部屋に広がる。あぁ、しあわせな香りだ。

さつま芋の箱もひとつひとつ開けて、傷みがないかを確認する。

農園では、傷みが多い場合には、連絡すると対応をしっかりしてくれるようになっているが、我が家では、注文した物が、よほど多くの数傷んでいない限りは、電話をすることはない。

隔月で送られてくるカタログの中に入っている生産者さんのお便りを読ませていただいていると、丁寧なお仕事の様子、大変な作業の様子なども垣間見えるので、多少の傷みで値引きしてもらうのは、申し訳ない気がしている。

一度だけ、人参を注文したのに、じゃが芋が届いたことがあった。電話をすると、「着払いで送り返してください!」と言われたが、北海道から愛媛までの送料を考えたら、農園の利益は皆無になってしまうだろう。じゃが芋はそのまま引き取って美味しくいただくことにした。

うきうきしながら、さつま芋の箱を開けると、なかなかゴツゴツとして立派なさつま芋が入っている。

早速、焼き芋にしてみようと思い、さつま芋を洗い、濡れた新聞紙で包み、アルミホイルで覆って、魚焼きグリルに入れる。蒸したほくほくのさつま芋も良いが、どちらかというと、ややしっとりした焼き芋の方が好きだ。

グリルに入れて30分ほど経過。いつもなら、焼けてくると甘い香りがするのだが、どうにも、香りが立ってこない。

さつま芋をグリルから取り出し、ふーふーと冷ましながら焼けたさつま芋を味見してみると・・・甘くない。

まるでじゃが芋のような食感と味わいだ。

さて、どうするか。

夫がゆっくり加熱して甘みを引き出し、干し芋にしてみようと試みた。それなりに甘いのだが、思っていたような味わいにはならない。

このさつま芋は、昔、お米の代わりに食べていた時のように食べるさつま芋なのかもしれない。以前、トウモロコシの原種というものを食べたことがあったが、まったく甘くなく、ご飯のようだったことを思い出した。

まず、グラタンにしてみよう。

我が家は、子どもたちに牛乳と小麦粉のアレルギー傾向があるので、豆乳と玄米粉で簡単なホワイトソースを作る。

玉ねぎを塩と少量の水で蒸し煮にし、甘みを引き出す。そこに豆乳と玄米粉を混ぜたものを入れ、とろみがつくまで混ぜる。ノンオイルの簡単ホワイトソースの完成。

さつま芋も塩と少量の水で蒸し煮しておき、そこにホワイトソースをかけてオーブンで焼く。大人は、黒胡椒を挽くと、お酒のお供にもなる。

甘くないさつま芋で作ったグラタンは、ご飯いらずだった。乳製品が食べられる人には、チーズも載せて焼くとボリュームたっぷりになる。


翌日、長男が、「大学芋が食べたい。」と言うので、大学芋風にしてみる。

さつま芋を輪切りにし、少なめのココナツオイルで炒め揚げする。ここで味見をすると、あまり味わいがない。そこで、岩塩を入れる。すると、岩塩によってさつま芋の甘さがひきだされる。ポテトチップスのような味わいだ。仕上げに、メープルシロップを少量からめ、完成。

がっつりした甘さを子どもたちが好まないこともあり、この程度で、「甘い!」と喜んでくれる。甘すぎないので、飽きないようだった。

さつま芋ご飯も作ったが、玄米の方が甘く感じ、さつま芋のよさが引き立たなかった。

次は、鶏肉をこんがり焼いて、さつま芋と煮てみようかと思っている。味付けは醤油ベースにしたい。

コロッケもいいかもしれない。ポタージュも試してみたい。さつま芋のプリンも美味しいかも。

あとは、どんな風にさつま芋を料理できるだろう?と、ぐるぐると思いを巡らす。


様々なメニューを思い浮かべつつ、素材の旨味を活かした甘さとは、いったいどういうものだろう?と、考える。

〈甘くないさつま芋なら、甘くなるように甘味をたっぷり使って調理すればいいのでは?〉と思う場合もあるだろう。

それも考え方のひとつだと思う。

でも、つい考えてしまうのだ。

素材のもつ旨みを最大限に引き出せた場合、そこにある甘みはいったいどんなものなのだろう? 

どうしたらこのさつま芋を、甘味料の甘さではなく、甘いと感じることができるだろう?


甘いものは、美味しい。

甘いものは、心と身体を緩め、満たしてくれるものだと思う。
 

でも、ただ甘いだけでは、満たされない事も知っている。

〈素材本来の旨みを引き出してこそ、感じることができる甘さ〉を、私は求めている。

その甘さは、私を確実にやさしく満たしてくれるから。


寒いところに保管すると傷んでしまうさつま芋は、箱ごと比較的温かいキッチンの隅に積み上がっている。

このさつま芋の〈旨いは甘い〉と出逢う為に、私は明日もキッチンに立つのだ。


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