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漫画みたいな毎日。「子どもを信じることができるから、繋いでいる手を離すのだ。」

札幌には、4ケ所のスケートリンクがある。冬休み前には、学校からスケート靴のレンタル料金の貸出割引券が配布され、スケートに行くことは、身近に感じられる。

雪が殆ど降らない土地で生まれ育った私には、羨ましい環境だ。

スケートをするには、当然だが、スケート靴が必要になる。今までは、末娘の足は小さすぎて、借りられるスケート靴が無かった。仕方がないので、長男と二男がスケートをしている間、私と末娘は、リンクの外で、2時間程、遊びながら寒さに耐え待っていた。

しかし、大きくなり、貸しスケート靴のサイズが合うようになった末娘も、ついに人生初滑りの日を迎えた。

初めて履くスケート靴。

ちょっと硬かったり、小さかったりして、何度かサイズを交換してもらう。係の方々は、親切に対応してくださり、個々にあったサイズを選ぶ事が出来るまでサイズ交換が出来ることは、とてもありがたい事だと思う。

末娘にとっては、歩きづらいであろう白いスケート靴での歩みも、歩きづらさよりも、これから向かうスケートリンクへの期待の様な気持ちの方が大きかったのではないかと思う。

それなりに混雑しているリンクを眺め、末娘は、「私も、滑る!!!!」と言って、繋いでいた私の手を強く引いてリンクに向かった。

恐る恐る氷の上に片足を下ろす。そして、もう片方もそろーりと氷の上に。繋いだ末娘の手には更に力が入る。

「大丈夫だよ、ゆっくり進むからね。」と声を掛け、少しづつ前に進む。

私が、前にスケート場で滑ったのは、二男がまだ赤ちゃんでスリングに入っていた頃だった。無茶をしたものだと今は思うけれど、二男をスリングで抱っこしたまま、スケートをした。スピードを出すとキャッキャと声を上げて喜ぶ二男をもっと喜ばせようと、調子に乗って滑り、尻もちをついたことがあった。

そんな事を思い出し、調子に乗らないようにと、自分に言い聞かせ、末娘の手を引いていた。

リンクを1周し、久々にスケートをする私と、人生初スケートの末娘。お互いにスケートの感覚を味わったり、思い出したりに時間をかける。

「ちょっと休もうか。」「うん。」

なんとか出入り口の部分まで辿り着くと、リンク外に出て、ベンチに座り、一休みした。

5分も経たないうちに、末娘は、「もっと滑りたいから、行こう。」とスクッと立ち上がった。1周目の自分の不安定さに少々不安を覚えつつ、2周目に突入する。

「あれ?」

まだリンクを1周しただけなのに、末娘のバランスの取り方が変わっていて、体重をしっかりスケート靴に載せられているようで、私と繋いだ手にもさっきよりも力が入っていない。

私も、それまでは無意識にも末娘が転ばないようにと、しっかりと握っていた手から力を抜いた。

そこからまた何周か滑ると、末娘のバランスはさらに安定し、氷の上に一人で立てるようになった。転んでも、自分だけで立ち上がることもできる。

子どもの身体能力とは、なんとも素晴らしい。

怖いと感じるより前に、自分でバランス感覚を獲得し、氷と仲良くなったのだな、と思った。

そして、私は、彼女の身体の感覚を信じて、さらに繋いでいた手の力を抜いた。

すると、末娘は自分から手をそっと離し、自分でちょこちょこと前に進み、そこから方向転換して戻ってきた。

私は思った。

子どもの身体の感覚を、言うなら、子ども自身を信頼するからこそ、握った手を離すことが必要なんだ、と。

もし私が、自分の不安から手に力を入れ、末娘の手を強く握り続けたら、彼女は、いつまでも、スケートは怖いもの、自分の感覚は信じられないものだと、言葉にならない部分で感じるだろう。

彼女は、大丈夫だ。

自分で感じて、自分のバランスを獲得していける。

そんなに手に力を入れなくてもいい。

彼女も自分自身を信頼しているのだ。

私も、彼女の感覚を、彼女自身を、信じられる。

だから、手を離してもいいんだ。

そう思って手に入った力を緩めた途端に、スケートは、「末娘を転ばせたくない」「転んだら痛いし、怖い」ものから、「私も、彼女も、お互いにもっと楽しめるもの」へと変化したのだった。

そこからの1時間半は、あっという間に過ぎていった。

末娘の手に入る力も、私が手に入れている力も、「触れていたら安心」という程度になっていた。

あと5分で終わりになると伝えると、末娘は、やや弾んだトーンで、

「またここに来て、スケートやりたい!また来られる?」と私を見上げた。

「うん、また来ようね。お母さんも、また来たい。一緒に滑ってとっても楽しかった!」と答えた。

2年ぶり、4回目のスケートにも関わらず、すっかり滑りが上達し、私を驚かせた長男が、末娘と手を繋ぎ、そっと滑ってくれる場面もあった。

二人の後ろ姿を眺めながら、「自分の身体を信頼する感覚」は、どこで獲得するのだろう?と思っていると、何度転んでも果敢にチャレンジし、スピードを落とさない滑りをする二男が視界に何度も入る。

「転んでも、自分は大丈夫。もっと上手に滑りたい!」と思えることも、自分の身体への信頼あるから。そしてそれは、やはり身体だけではなく、自分自身を信じているから出来ることでもあるのだと思う。

私は、子どもたちを信じることができるから、繋ぐ手を離す。

何に繋ぎ止める必要もない。

私は、心の中で、それぞれの子どもたちと繋いだ手の力をふわっと心地よく抜いたのだった。


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