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極彩色の365日がまた始まるからそれまで


今日は1年で最後の日、らしい。クリスマスにもお正月にも疎いわたしが唯一好きなのはハロウィンで、それ以外はほとんどただの平日に等しい。家にテレビがないので、年末の番組も誰かと過ごすとき以外はほとんど、というか物理的に見ることができない。タブレットでサブスクの映画を見ながら、スマホの時間の数字23時59分から切り替わるところを狭い6畳でじっと見つめる、そんな年越しに今年もなりそうだ。

この1年の中で、年甲斐もなく何度か本気で泣いた。エンターテイメントによる感動の涙もあったけれど、そうじゃない涙。「こんなにも辛いことがまだ生きてるうちにきっとあるなんて神様って残酷だよな」って本気で思った。だから友人は死にたがっていたけれど、そんな彼は恋人ができたら飄々と生を謳歌し始めた。人間は現金なものだ。

人に関していえば、なんだか今年は不思議な出会いが多かった。

概して、わたしは妙なご縁が多い。幼稚園の時の親友と高校のクラスメイトとしてばったり!とか、はたまた何千人が集まる大手企業の就活のグループディスカッションで元恋人とばったり!とか。プチ同窓会みたいな感じで中・高の友達と飲み会をしていたら、隣の席に全く違うコミュニティの友人カップルが来てみんなで飲む形になったこともある。あとはついてもらった美容師が兼業彫師で友達の刺青を掘ってる、とか。そういうわけわかんないつながりがミルフィーユみたいに重なって一つの人生になっている気がする。

だからきっと、今年はまだ出会っていないだれかが並行して、一生懸命に生きてきた365日でもあったんだと思う。


わたしの今回の365日は、どんな色をしていたんだろう。

小学生がキラキラした目で開ける箱の中、お行儀よく整列した色鉛筆みたいに、パッと目を引く華やかな赤色の日もあれば、全てを飲み込んでしまうような黒色の日もあった。たとえ下手くそだったとしても、その全色を使って出来た1枚の絵を、きっと誰かが褒めてくれる。誰も褒めてくれなくても、いつか自分がもっと上手になった絵を見て褒めてあげられるようになる。紙ごと破ってしまいたくなったり、絵を描くのをやめたとしても、白紙のスケッチブックはわたしたちを逃してはくれない。だから信じて、また明日から365日を過ごすしか、わたしたちにはないのだと思う。ペンを持って、冷たくなった木の椅子に座って、色鉛筆を削るところから、毎日を繰り返すしか、ないのだ。


だからこそ、365日の中で、わたしの絵を褒めてくれた方、一緒に絵を描いてくれた方、そしてずっと絵を描くわたしを見守ってくれた方、本当にありがとう。



次の365日で会えることを楽しみにしています。







2021.12.31
すなくじら

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