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年を重ねて、大好きだった友達との会話が噛み合わなくなった

少しずつ、多様性を認められる世の中になって、女とか男とかそういう小さな箱に縛られない、あらゆる選択肢が生まれている。わたしは核なる当事者ではないけれど、きっとこれは性の問題だけの話ではないのだと思う。世界にあるすべて、一見関係のないような全ての物事は繋がっているから、ひとつひとつの歩みが、自由の濃度が高くなっていくことの予兆のような気がしている。イヤホンを外せば日々耳に入るニュース。まぶたを開ければ目に入るSNSのタイムライン。ああ、ほんとうに毎日はちょっとずつ、新しい絵の具が塗り重ねられて厚くなっていくんだなと日々実感させられる。

でも、そういう自由で新しい波はなかなかわたしのすぐ隣まで降りてくることはまだ現実にはなくて、もうすぐ25歳を迎えるわたしにとって、それは現状一種の悩みとなっている。

本音で話せる友人がここ最近ぐっと減ってしまった。もともと友人はかなり少ないほう(たぶんこれを読んでいる方が思っている以上に少ない)なのに、これはまずい。別に喧嘩をしたわけでもなく、なにか相手に不幸があったわけでもない。ただ、相手の欲するものとわたしの目指していきたいもの、そしてなによりも見えないところで蓄積された時間が、少しずつ、それでも確実に。うっすらと暗さを孕んだ歪みを生み出している。

25歳の女子が集まれば、その話題は2つに分かれる。結婚・出産の話題か、キャリアの話題だ。

わたしはどちらかと言うと現状、結婚・出産を強く望んでいるわけではない。かといって、今の仕事があまりにも激務なために、ここからさらにバリバリと働きたいと言う意欲も正直なく、むしろここからは好きなことに寄り添ってスローライフを送りたいと考えているくらいだ笑。結局、どちらにしても具体的な人生設計を考えられていない、が正直なところなのだろう。

振り返れば大学時代の就活も、そこそこにまあ学歴として罷り通らなくもない大学にいたくせに、就活への意識が低く「一生学生でいたいし、学生みたいな生活が送れる大人になりたい」みたいなことをヘラヘラと考えていた。結局うまく働くビジョンが描けていないまま、リミット(就活の時期)がきて大惨事になるわけだが、とにかくわたしは「人生における設計図」を明確にイメージすることが苦手すぎる。

目標がないわけではないのだが、その目標は人生で達成したいもっと長期的なものであって、「子どもを30までに欲しいからあと2年以内に結婚して〜」と意気込んで話す友人を見るとシンプルに感心する。学生時代と変わらずに夜通しひとりでゲームや読書をして(大人になってからは呑みながらでさらに最高)、休日であれば昼は12時に起きてそのままNetflixを見始める自分とはそれは会話が合わなくなるわけである。

ただ、この怠惰な生活に関しても誰にも迷惑はかけていないわけで、その点は自由にさせて欲しい。わたしの人生における目標は「ライブアイドルの推しにインタビューをすること」「最高の女性向けコンテンツを製作者側として生み出すこと」の2つであり、ここが叶うのであれば、正社員だろうがフリーランスだろうが独身だろうが子どもがいなかろうが正直なんでもいい。大金持ちになりたいと言う気持ちもないし、そこそこに自分が生活できる分だけ稼いで、好きなものだけに囲まれて暮らす、というよりも余計なストレスに苛まれずに暮らすことがわたしの夢である。

それはさておき、本題に戻るとそうした中でライフプラン(結婚や出産)に重点を置く友達と会話をすると、あんなにも時間を共にした友人のはずなのに、大好きなあの子と話が噛み合わない、と言う現象がおきてくる。「彼が結婚をしてくれないの」と言う相談を受けた暁には、「え~まだしばらくは結婚したくなくない?」と返して非常に微妙な空気を生み出してしまう始末だ。

たぶん、わたしはまだまだ子どもで、人生の視点が手前の部分ばかりクローズアップしていて、自分本位なんだと思う。自分のやりたいこと、自分が見たい景色、自分、自分、自分。誰かと見る景色や共有するものよりも、他者が生み出したエンターテイメントを自分の中で解釈して、世界を構築し、その構築した世界の先でようやく他者と交わりたい。「親孝行のために子どもが欲しい」と婚活にいそしむ友人は、誰よりも家族思いで、その視点は他者と共にある。

でも、それでも。わたしはやっぱり他者の視点ではなくて、その子が感動したものや嬉しかったこと、なんなら、最近食べた美味しかったものとか、お店で見つけた綺麗なものでもいいから、大好きだからこそ、その人の感じてきたことの片鱗を見たいと思ってしまう。わたしが知りたいのはその人の同棲している彼氏の話でも、今マッチングアプリで会っている男の話でもない。なんでもいいから、君の声を聞かせて欲しいと、わたしはいつでも思っている。否、想っているよ。他者やコミュニティに影響されて変わっていくことは素敵なことでもあると思うけれど、その人の魂のずっと深いところをを構成している主軸となる部分は、だれにも染まって欲しくないと思ってしまうのは、わたしの我儘なのだろう。ごめんね。


大人になるって、こういうことなのかな。人生のフェーズが変わっていくにつれて、付き合う人も今度どんどん変わっていくのだと思う。長い時の中で自分もきっと、少しずつ皮膚の皺の数と共に考え方を変えていくのだろう。

手放した風船みたいに遠ざかっていく誰かの影を追いながら、徐々に時間の経過と共に変わっていくその人を受け入れて、愛していく。噛み合わない会話の距離は広がったまま、もう交わることはないのかもしれない。それは寂しいことかもしれないけれど、引き換えに得た新しい世界への切符は、その人の人生の核となる選択なのだと思う。





2022.04.24
すなくじら


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