見出し画像

「福袋を買えない」ところに理由の全部が詰まってる。

本当に誰もいない、今にもゾンビでも出てきそうな閑散とした建物の間を縫って歩いていた。自分の足音だけが、冷気の中にこだまする。都会とは思えぬ情景ではあっても当たり前といえば当たり前で、1月1日から通常営業しているお店の方が珍しいわけで。暗闇を射抜くスマホの通知が知らせる、2日あたりから始まるセールの情報のどれもに、謹賀新年の大きな文字とともに○%OFFと堂々と記載されている。

ろくに正月らしいこともしていなかったので、とりあえず少しだけ外に出れば何かやっているのではないか、とドアを開けて街に出たわけだが、街は上記の通りのディストピア状態で人影すらあまりなかった。

ところが、わたしは見つけたのである。

煌々と灯る灯りの先に、わずかながら人だかりができていた。吐く息が煙のようにふわんと白く宙にまって、わたしの顔の前で猫のように丸くなる。

人だかりの先にあったのは年末も最後の最後まで営業していたヴィレッジヴァンガードで、みんなが見ているであろうものは福袋だった。

わたしの前にいた同い歳くらいのまあまあ若い男の子のグループが、興味深そうに数種類の福袋の説明書きを読んでからひとつを抱えてレジへと持って行った。

買う人いるんだな、なんて思いながらしばらくぼんやりと袋の山を見つめていたら、ひとり、またひとりと皆福袋を手にレジへと並ぶ。福袋、といえど3000円以上、何が入っているかがわからない割には値段は張る。そこではたと思った。わたしはヴィレヴァンに限らず、福袋を買ったことがない。

仮に好きなブランドが年始に福袋を販売していたとしても「福袋=昨年売れなかったものの寄せ集め」のイメージが強く、どうしても手が伸びなかったのだ。

どんなことに対しても、楽しむ気持ちよりも、損をしたくない気持ちを優先してしまう。だから、勝利の見えない勝負には乗らないし、中身のわからないものに手を出すこともできない。

わからないものを楽しむ、わからないからこそ夢がある、という姿勢が自分には徹底的に足りないことを改めて自覚した瞬間だった。

レジに並んだ彼らは、表情は違えど皆一概にどこか楽しそうだ。これから始まる物事、まだわからない未来への投資は気持ちが高まるものであって、マイナスに働くものじゃないなんて、子どもでもわかることなのに。相変わらずの、いつも少し後ろ向きな自分と今年もよろしくやっていかなければいけないことも、かじかむ指先の温度ではごまかせなかった。


2022年の抱負は、実はまだちゃんと決めていない。でも今年はひとつだけでいいから、福袋でも買ってみようかな。







2021.01.02
すなくじら

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?