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結婚式しんどい症候群

〜本題に入る前に〜
この手の話は結構センシティブな話題であり、タイトルからすでに「なんとなく嫌だな」のアンテナを刺激してしまうこともあると思っています。なので、あくまで個人の日記の延長として読んでもらえると嬉しいです。


1年半ぶりに結婚式の披露宴に参加した。コロナ禍をぬけたことと、筆者がアラサー1年生(今年26歳)であることが重なり、現時点ですでに年内3件の招待が届いている。

こんなことを言ってはなんだが、率直に言って私は結婚式があまり得意ではない。否、式ではなく、おそらく披露宴が苦手だ。「他人の幸福くらい祝福できないなら行くな」というお叱りは承知の上で、“様々な事情” によって参加せざるを得ない場合はあるわけで(実際断るとしても、約一年〜半年前から『その日は…』とは断りづらいのもある)、今回もはたまたそのケースであった。

数年前に披露宴に参加した時にも、同じような感情を抱えて帰ってきたことがあったので、いっそもう少し詳しく言語化してみようと思い、この記事を書いている。

招待していただいておきながら上から目線で大変申し訳ないのだが、ご祝儀やヘアセット代も馬鹿にならない。だからこそ、新郎新婦との関係性も披露宴の「ウキウキ度」には大きく影響する。もともと私自身の交友関係を振り返れば、とことん深く狭くなので、そのメンバーの中の誰かが披露宴を開くとなったらさすがにグッとくるものはあると思う。例えるなら、「ゾンビ映画は苦手だけど、出ている女優が好きだから観るし感動した」という現象が起こり得るのと同じだ。「※ただしイケメンに限る」に倣って「※ただし超仲の良い友人に限る」である。

まず、披露宴そのものは世間的に見て素晴らしい会だったと思う。あまり具体的に詳しく書けないのだが、住宅メーカーがモデルルームを建てるように披露宴に見本があるとすればその式だったと思うような会だった。今は上司抜きのカジュアルなスタイルや1.5次会も流行っているので、今回参加した式は割と古典的な形式だったようにも思う。だからこその良さももちろんあったし、何よりも新郎新婦が悪いわけではない。

詰まるところ、この文章で言いたいのは“披露宴というジャンル映画”への嫌悪感でしかないので、言葉を切り抜いて刺さないでいただけるとありがたい限りだ。その上で、もし同様の違和感を覚えたことのある人がいたら「あなただけじゃないです」ということは声を大にして言いたい。

では、以下気になったポイントを3つ挙げていこう。

①ファーストバイト

ファーストバイトとはお決まりのケーキ入刀の後、新郎新婦が互いにケーキを食べさせ合うあれである。

今回の式では、ファーストバイトの際の司会の発言が良くなかったと思う。ケーキを食べさせるタイミングで「新郎から新婦への一口には“一生食べるものには困らせない”、新婦から新郎への一口は“一生おいしい料理をつくります”という意味があるんですよ〜」と大々的にアナウンス。しかし、高砂に座る新郎新婦が共働きであることを会場のほとんどがわかっていただろうし、わたしも正直良い気はしなかった。ファーストバイトがイベントの飾り的な役割なのは重々理解している。それでも「夫が働いて妻を養う」「家事は女性の仕事」という古い性別役割分担意識に基づくこの行為が、なんとなく心に引っかかって仕方なかった。

②ブーケトス

ぶっちゃけこれが一番嫌だった。というか大変申し訳ないが、わたしは参加しなかった。

「独身女性の方はぜひご参加ください」とアナウンスがかかり、わらわらと集められる未婚の女性たち。名前を呼び上げられたりしなかっただけましだと思うが、全員が全員結婚したい人ばかりではないだろうになどと思ってしまったからだ(もちろんこれもイベントとしての“形式”だとは理解している)。なんというか、花束を一本ずつバラバラにして親族に配るとか、花束ごとすでにあげる人を決めておくとか、そういう別の幸福のお裾分けの形ではダメなんだろうか。盛り上がる女性陣を見守る後方の男性陣、みたいな構図も嫌。我々、未婚女性はイベントのための見せ物ではない。

③余興の内容

詳しくは言えないのだが、今回の余興をざっとまとめると「ちょっと怖いお兄さんたちに扮した新郎の同期が、とあるパフォーマンスをして笑いをとる」というものだった。その余興自体は悪くないのだが、どうしても個人的に目についてしまったのが、おふざけで腕にマジックペンでゴリゴリに描かれたタトゥーだった。普通にウケていたし、ここからは本当にわたしの個人的な感想でしかないのだが、もし仮にわたしが将来披露宴をするとして、この余興をしたとしたら場は冷え切ったと思う。または、嫌な思いをするゲストが確実にいた。というのもわたし自身が身体にそこそこ大きなタトゥーが入っているし、タトゥーに本気でプロの仕事として向き合っている人も多数いるからだ。現にわたしが仮に今の交友関係で同様の会を開いたとして、招待客の友人のタトゥー率も程々に高い。だからこそ、だ。

もちろん、今回の披露宴には当然タトゥーを生業にしているゲストはいなかっただろうし、新婦もわたしに大きめのタトゥーが入っていることを知らない。新郎新婦のキャラクター的にも、あえてわかりやすく言えば“アングラ的要素”ゼロのハイスペ婚である。だからこそ、その新郎のコミュニティのなかで“タトゥーたくさん=ちょっとヤバイ人の象徴”だったのかなとも感じてしまった。とはいえ、そもそも披露宴の主役は新郎新婦である。だから彼らが楽しめる演目であればそれで良いというのは大前提間違ってはいない。

ここではタトゥーの有無の良し悪しの問題は一回置いておきたいが、これだけ大掛かりにゲストが呼ばれることがあらかじめわかっているのであれば、出し物をする側は少し想像力を働かせる必要があったのではないかな、とはうっすら思ってしまった。


ここまで披露宴についてさまざま語ってきたが、連綿と受け継がれてきた単なる式の進行とはわかっていても、演出に込められた意味や「社会的なもの」を感じてしまう場であることがどうもわたしの肌には合わないらしい。だが冒頭にも触れたように、例外は誰にだってある。それにしつこいようだが、お祝いの気持ちがないわけではないのだ。この文章がどうか、どこかでひっそりと同じような気持ちを抱いたことのある人に、届きますように。







2023.04.22
すなくじら

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