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現代語訳「執着の小袖」『諸州奇事談』より

はじめに。雑誌の特集に呼ばれました

本記事は蛇のしっぽでみたいなものございます。足ほど無駄じゃないけどまあ足りなくてもちょっとは大丈夫かなといった感じの立ち位置です。8月31日発売の『怪と幽 Vol.005 2020年9月号』の特集「次世代の探求者たち」に探求者の末席として「衣類魂因譚ーお前の物は死者のもの」なる拙文を掲載いただきました。

『怪と幽』といえば今は亡き水木しげる大先生を筆頭に小松和彦先生、京極夏彦氏、東雅夫氏、我が師である怪談研究者の堤邦彦など、長年あこがれの化け物みたいな人たちが跳梁跋扈せし妖怪専門誌『怪』と怪談専門誌『幽』がフュージョンした雑誌であります。びっくりしてパンツがずり落ちました。

届いた見本誌をめくると、そこには、前々から著作を読んだり研究会でご教示いただいていた他の並み居る探求者の皆さんが真面目に研究内容や自己紹介をされている中、最初の数行をつかって小学校の机の中にパンを忘れていた話を書いている自分がいました。

内容はといいますと、鳥山石燕の百鬼拾遺に描かれる妖怪「小袖の手」。衣桁にかけられた着物から青白く細い手がひらひらと舞っているあの妖怪です。そんな類の話を1700年代中盤あたりの江戸怪談から集めたり、栃木の死者の服が集まる山を紹介したり、何よりもコロナ禍で現地調査にいけないフィールドワーカーとしての怨念をぶつけました。

さて、上の記事内で特に重要視してる本が寛永三年(1750)の静観房好阿著『諸州奇事談』です。近藤瑞希氏による先行研究「石燕妖怪画の風趣 『今昔百鬼拾遺』私注」などで「小袖の手」の元ネタと指摘されていたためです。そのことは知っていても『諸州奇事談』の原文を当たられた人はあまりいないと思われます。

自分は堤邦彦率いる江戸怪談中心の朗読団体「百物語の館」にも参加しております。原文をあたることは研究と同時に朗読台本にも活かせる一石二鳥です。

しかし参考にしようにも『諸州奇事談』はいまだ現代語訳はもちろん、翻字すらされた事すらなく、国会図書館から複写を取り寄せなくてはなりません。

しかし、このコロナ禍!このコロナ禍!

国会図書館は閉館。当然再開しても申込の処理は遅く、手元に届いたのは本件を「怪談文芸研究会」にてオンライン発表した2日後だったのです。おそかりし諸州奇事談。

このままじゃすまさねえぞと、そういう訳で諸州奇事談の中から「執着の小袖」を、読み下し、現代語訳をしたものを記念にここに置いておこうと思います。

なお翻字は前述の『怪と幽』の特集対談内でも注目研究者として名前の挙げられている門脇大さん(https://nrid.nii.ac.jp/ja/nrid/1000030634133/)にご協力をいただきました。

おばけ好きでも江戸怪談まで触れている人はまあちょっと限られると思います。そんな方たちが江戸怪談に濃厚接触する伏線のひとつにでもなればと思います。接触じゃ足りねえ。濃厚接触をするんだ。



執着の小袖

 それは沙彩の地に模様は空色に朝顔の花の鮮やかな、だが、派手すぎない良い小袖であった。

 彼女はそれを一目で気に入り、気づいた時には古着売りから買い取っていた。見た目以上の魅力が働いているかのように感じられた。

 彼女は東武のある家に勤める局であった。

 買った着物を衣桁にかけおいて、同僚の女達を「古いものだけどこんな風情のある模様の小袖なんて滅多にないよ。ほらみてごらん」と呼びだした。

 若い女中達はちょっと鬱陶しく思いながらも、確かにこの小袖はいいものに感じられた。何かに引っ張られるかのように衣桁にちかよって見た時のことである。

 かの小袖の両の袖口より、細く、青白い手が伸び、風葬地の草場を風が吹き誘うが如く、ひらり、ひらり、ひらり、と三度、蠢いた。何か妖しげな甘い芳香が漂った気がした。

 若い女達は皆驚き、肝を冷して逃げるように部屋から出て行った。局に見た事を告げる者は誰もいなかった。皆自分の見た物が何かわからなかったし、珍しくはしゃいでいる局を相手に、怪しからん事を言い出そうにも言い出せなかったのである。彼女達はそのまま熱を出し、四、五日床に伏せた。

 そんな事も知らず、局は「じゃあそろそろ着てみようかねえ」と、衣桁から小袖を取り、ひらりと羽織った。

 瞬間、自分の手より先に、青白く細い手が袖口から伸び、彼女の手に触れた。氷の如く冷たい感触であった。

 彼女は「あっ」と叫び小袖を投げ出し、すぐさま古着売りを呼び出して「お金はいいから早くこれを持っていっておくれ!」と返したという。

 さて、そもそもかの小袖は、ある武士の屋敷で密通の疑いから斬り捨てられた女のものであった。その執心が愛用した小袖に残り留まっていたのである。

 心ある人は古着の小袖は求めるものではない。かかる妖しい妖怪こそ稀なものの、刑死や横死した人の末期まで愛した物も数々あるのだから。

 以後、かの家では古着を整え直して着る者は末までいなかったと言う。


静観房好阿『諸州奇事談』より


補足

ところで本当に近年発見された『続向燈吐話』(元文五年[1740]序・成)の中にこの「執着の小袖」とほぼ同じ話である、「衣桁にかけし小袖より手を出す事」(巻の七)が収録されています。

話だけでなく袖口から伸びた手がひらひらする最大の見せ場の形容まで共通しています。

諸州の描写

「かの小袖の両の袖口より、白き手あらはれ、野辺の草場を風の吹きさそふことく、ひらりひらりとうこきたるを」(原文のひらりひらりは踊り字)


続向燈吐話の描写

「かの小袖の両の袖口より、白き手二本あらわれ、風などの吹きさそふごとく、ひらひらと動き見えしかば」


続向燈吐話→諸州奇事談間の話の影響関係はたしかなものじゃないかなあと思います。パクリとかそういう次元ではなく、続向燈吐話は山の手の話好きが集まって怖い話の点取りバトルをして編まれたものとされていますのでそのサークルの中に静観房も参加していたのでしょう。

同時に談義本の祖である静観房が「野辺の草場の風」に表現を改変したのは言語センスの高さを感じさせます。

『続向燈吐話』はありがたいことに翻字され、一般に販売されています。おすすめ。https://www.kokusho.co.jp/np/isbn/9784336060396/



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