我々が水筒を設置して以降、カメラに映る景色に変わりはなかった。あれから、ぱたりと花瓶は動かなくなったのである。実戦形式の打撃練習が如く、疑いが確信に変わったあとも我々は攻めあぐねていた。 練習終わりの誰もいない夜のグラウンドで、我々は自主練習の傍ら、打開策を模索していた。高島の誘いであった。 「やはり柳沼さんか教頭かのどちらかだろうが、証拠を掴めていない現況では、はぐらかされるのが関の山だ」作戦決行が二日後に迫り、私には明らかな焦りが滲んでいたが、それが何に対する焦りな
高島が取り出した水筒は錆びついており、どうも飲料を留めておくには衛生的な基準を満たしていないと思われた。高島は蓋を開け、喇叭飲みの仕草をしてみせた。私から軽蔑の視線を向けられた高島は「そんなわけないでしょ」と呟き、水筒の中から滑り出たのは小型カメラであった。 「目には目を、歯には歯を、盗撮には盗撮を」 そう言う高島のいたずらな笑顔たるや、古代仏典に名を遺す悪魔そのものであった。こいつは載っていてもおかしくない。 「それにしても、この錆は何だ。えらい年季の入りようでは
翌日、私は一番乗りに登校した。 生徒のいない校舎はひんやりとしていて、身に走る緊張を助長した。足早に仮眠室へ向かうと、用務員の柳沼さんが室内から出てくるのが見えた。私は一瞬足を止めたが、外面勇ましく歩を進め、柳沼さんの前に立った。 「おはよう。随分と早いじゃないか」 「おはようございます。ここで何をしていたんですか?」 私の問いに柳沼さんは不思議そうに首を傾げたが、すぐに年季の入った笑顔で言った。「今しがた仮眠室を開錠したところだよ」 「そうですか。いつもありがとうござ
昨日まで、あまりの疲れに日記を書く間もなく寝てしまった。 今日は職場内の研修で一日が過ぎた。 研修のグループが同じになった別部署の同僚は、彼が見ている新人の仕事ぶりに不満げであった。 聞くと、仕事の端端に軽さが見えるという。業務上の対応に意図を感じないということであった。私は彼の言葉に同意も否定もしなかった。 働き始めて一ヶ月の新人の中に、意図を持つだけの材料があるだろうか。経験がないから考えようがないし、意図を持ちようがないのではないかと私は感じた。 新
先日、上司に今年度末での退職と本屋への転職希望を伝えた。 明らかな、本屋で働くことへの侮蔑を察知した。今年度の辞職が固く決まった瞬間であった。 確かに公務員であるから、給与や社外的安全性の保証されているであろう。しかし、今の私にその観点を重視する価値観はない。「やりたいこと」か否かが重要であるのだ。 伝えて良かったと思った。そんな人々に囲まれた職場だと再認識することができたのだから。 毎日本を読んで、ラジオを聴いて、自分の時間を大切にしながら、ゆるり生きたい。
疲れた。寝ます。 おやすみなさい。 こんなやつでも繋がればいいんです。 命が繋がれば。
一日は二十四時間ある。 そのうちの一体いくらを自分の時間に充てることができているのだろうか。 ここにおける自分の時間を定義しよう。趣味であるラジオや読書、筋トレなど「仕事とは切り離された時間」とする。 朝は五時半ごろに起きる。準備時間までの一時間ほどを読書に充てる。六時半ごろから準備を始め、七時前に家を出る。職場に着くのが七時十分ごろ。この時点でおかしいことに、日記を書きながら改めて気づく。 退勤は夜八時になることが大概である。実に十三時間も職場にいることになる。
連続テレビ小説「オードリー」の再放送を観ている。 二人の母、アメリカ育ちの父。不思議で、歪んだ家庭環境の中で育つ主人公を描いた作品。普段、連続テレビ小説を観ない私がここまで熱中しているのには理由がある。 一つは、京都が舞台であること。 今作は太秦の撮影所を取り巻く人間関係を中心に描かれた作品である。 私にとって大学時代を過ごした京都への想いは、やはり強い。京都が舞台、というだけでも私にとっては一見の価値がある。 二つは、主人公の逞しさである。複雑な家庭環境の
これが最も幸福な4070円の使い方だ! 異論しか認めません。 こちらが本を選ぶ時、本もまたこちらを選んでいる。 楽しみは自分で増やすしかない! おやすみなさい。
寝落ちした。変な時間に目が覚めた。 今週も随分と疲れた。新人の教育係となり、目まぐるしく1週間を終えた。しかし、その立場になり改めて自分を見つめ返すことになった。ありがたい経験である。 私の母は、「常に感謝していること」と言う。私はこの言葉を真正面から受け入れることはできていないが、一理あると感じた一週間であった。 今週は、『新釈走れメロス 他四篇』を読み続けた。 やはり私は森見作品と相性が良い。小難しいが軽快なあの言葉がスッと入ってくる。改めて森見登美彦の表
今日は何も書く気が起きない。 ということを書いておく。 眠いので寝る。明日超早起きしちゃうもんね。 おやすみなさい。
私にしては珍しく日記が続いている。 最近の私は、嫌なこと続きの我が精神世界を開示することによって、一筋の光をもたらそうとしている。もちろん、自分の手で掴み取るのではない。読んでいただいた皆さまからの授かりを待っているのみである。 早朝と寝入りばな、1時間ほどの読書をしている。これまでと違うのは他のやることを差し置いて読むということだ。これが案外精神の安定につながる。そもそもが不安定なのだから何とも言えないが、傷口の広がりを遅らせる作用がある。 今日もこれから読む。
人間は中々気持ち良く生きることは難しい。 どの方角に向かっても、何か、誰かがつっかかる。それを成長が為の試練だと思えるほど、私は清くない。むしろ鬱陶しく、邪魔くさいとさえ感じる。 今の私では、他人を尊ぶことなどできない。認識も不確かな心の奥底で他人を嘲り、侮蔑しているのかもしれない。そこまで自分自身が高尚でないにもかかわらずだ。そんな自分が嫌になることもあるが、変え方が分からない。結局は人間例外なく自分が一番可愛いのである。 やはり、人間という社会が苦手である。そ
今日は一日、雨。 私は雨が好きである。 外に出なくていい理由ができるからだ。そして、部屋の中から葉から雨垂れるのをボーッと眺めているのも何だか好きだ。 結局、外には出た。車全体を優しく打ち付ける雨粒。その音に全身を包まれる感覚は、今も変わらず好きである。ガソリンスタンドの洗車が好きなあの感覚に似ている。 先日行われたイベントの様子をまとめた。どの写真を見ても、人々の笑顔が溢れている。戻りたいという思いは微塵もないが、私にとって最後となったこのイベントは、良い
最近考えていることがある。 自分はこれからの人生をどう生きたいのか。 今の自分にとって、仕事は所詮食い扶持を賄うに過ぎない。やりがいや価値を見出す気はない。そのような考え方で苦しみを感じたこともないから、性分には合っているのだろう。 ただ、その食い扶持集めに必要以上の時間をかける現象は変えねばならぬと感じている。今の仕事には今年度で見切りをつけ、来春からは本屋で働きたいと考えている。 アルバイトからでも構わない。京都の本屋で働きたい。好きな本を伝えることには、一定
5/10 明日は職場のイベントだ。屋内なのでまだマシ。この時期に外でやっていたらと考えると、少しゾっとする。運動会なんかも確かこの時期だね。全国の先生方、本当にお疲れ様です。 明日は6時前に集合と、上司からの実質命令。イベント自体は楽しみなので、まあ…。 私の職場、癖のある人間がかなり多い。なかには、「この人、人前に立たせて大丈夫か?」という人もいる。 自己矛盾が激しい人、過剰に感情的な人、自分の衝動を抑えられずに異常な距離感で他人と関わる人、など数え上げればキリ