今日の日記(5/19)

 連続テレビ小説「オードリー」の再放送を観ている。

 二人の母、アメリカ育ちの父。不思議で、歪んだ家庭環境の中で育つ主人公を描いた作品。普段、連続テレビ小説を観ない私がここまで熱中しているのには理由がある。

 一つは、京都が舞台であること。
 今作は太秦の撮影所を取り巻く人間関係を中心に描かれた作品である。
 私にとって大学時代を過ごした京都への想いは、やはり強い。京都が舞台、というだけでも私にとっては一見の価値がある。

 二つは、主人公の逞しさである。複雑な家庭環境の下で、主人公は己の願望を押し殺しながら育つ。そんな主人公も成長の過程で、「自分のやりたいこと」に真剣に向き合い始める。
 彼女は第30話で高校を卒業した折、親族によって禁じられていた女優への道を進み始める。この行動原理が、「自分がやりたいか否か」ということであった。この姿に、私は自己を重ねずにはいられなかったのである。
 四半世紀生きてきた私も、「自分のやりたいこと」にようやく向き合い始めた。これまでは、社会的な見られ方や地位、給与に気を取られ、「やりたいこと」よりも先に「やっておけば安全なこと」ばかり選んでいた。公務員を選んだのもそのためであった。安定した生活を理想としていた当時の自分も間違ってはいなかったのだろう。しかしそれは、「やりたいことに向き合う己」を当時の自分が見つけられなかったからである。仕事をしていく中で、「やりたいこと」や「本当に好きなこと」が見つかり始めた。公務員が答えでないことにも気づいた。そんな時出会ったのが、「オードリー」だった。
 私もこの主人公のように、自分に向き合って生きられるだろうか。そんな疑問と不安を今作は提示してくれたのである。それと同時に踏み出す勇気をくれた。

 また、今作では段田安則演じる佐々木春夫が良い味を出している。
 アメリカでの生活が長く、英語が堪能。マッカーサーとも渡り合った、という凄腕の人物であるという設定。そのため、幼少期の主人公は日本語と英語が交錯する環境で育ち、バイリンガルであった。「オードリー」は、春夫にとっての主人公の呼称である。主人公は自身の成長に伴い、特殊な経歴とアメリカ的な感覚を持ち、周囲を驚かせる父の春夫が鬱陶しくなった。そのうち口も効かなくなり、英語も忘れるようになった。
 家庭の中でも浮いている描写が多々ある父の春夫だが、時折主人公の心を打つ言葉を投げかける。そんなシーンが多いのも、今作の魅力の一つである。

 そのうちの一つを紹介する。
日本人の一番あかんところは、理由をはっきり言わんと、拗ねたり黙り込んだりニヤニヤしたりするところや。曖昧な態度で物事を誤魔化すとこや。せやから、国際社会の中でも日本は馬鹿にされんのや。5歳にも5歳の意見がある。

 これは、二人の母から違う意見を浴びせられた主人公が部屋に篭って口を閉ざしたシーンでの台詞である。
 私はその通りだと思った。
 自分にも意見があるし、相手にも意見がある。それをじっくり待ってやることも大切だと思わされた。

 自分にとって共感する部分の多い展開に加え、 個性的な登場人物たち。魅力がたくさん詰まった「オードリー」を、私は最後まで見届けようと思う。

 やはり、物語はいいな。
 人間の醜さや強さ。堪らない。

 わたしもそんな物語を描いてみたい。


 おやすみなさい。

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