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食の価値観・生き物に対する価値観

ベジタリアン、ヴィーガン、グルテンフリー、、、等
近年では日本でも食の選択肢の幅が広がりつつあります。

また、動物実験を行っていない商品や、環境に配慮したものも増えてきたように感じます。

今回の記事では様々な意見が存在する内容だとは重々承知しています。
なので

ここから先は、『こんな感じの考え方もあるのか〜』くらいなスタンスで読み進めて頂けると幸いです。

『そうするべきだ!』なんて説得したいとかではないので
あくまでも『ふ〜ん』ってな感じで笑


では、、



私は以前オーストラリアで親を事故などで亡くしたカンガルーの子供を保護することを主にする野生動物保護活動に参加したことがあります。

このような活動をされている団体がある反面、ハンター活動が行われていることも知っています。

数が増えすぎてしまい、害獣扱いになることも、、


オーストラリアではカンガルー肉をペットフードに加工したり、人の食用としてスーパーに他の肉と同じように陳列していることは珍しくありません。


日本ではカンガルーの肉は一般的ではないので、どんな感じなのか興味を持ち、
スーパーに探しに行ったことがあります。

このような保護活動をしながら食べようとしているのは不思議がられることは珍しくありません笑

実際に私が、
・動物が好き
・保護活動をしていた

なんて話をすると、肉を食べないの?なんてことを聞かれることは多いですが、 食べます。
肉も卵も乳製品も食べます。 ただ、自分の飼っている犬はもちろんですが食べません。


私の知り合いに馬の牧場主がいるのですがその方は、『馬肉はレストランで食べることはあるけど、自分の馬は食べたいとはならないかな』と言っていたのを覚えています。


また、自分で馬を飼育するくらい馬が好きでまた競馬が好きで色んな競馬を観に行っている。観戦している中、一頭の馬が急に倒れてしまったようで、それをみたその方は居た堪れなくなってその場から離れたそうです。(競馬中に馬が心臓にかかる負担などから亡くなってしまうこともあります)

中には競馬自体に否定的な考えを持っていて、競馬が無くなることを願っている方もいます。
卵も牛乳も肉に対しても様々な意見があります。



カンガルーの話に戻すと、
カンガルーを保護する人達がいる・カンガルーを駆除する人達がいる

彼らの目的は何なのでしょうか
保護する側は
事故に遭ってしまい母親を失った子供の命を救いたい かもしれませんし

ハンター側は
環境を守りたい、人の生活を快適なものにしたい かもしれません。

保護対象は違うけれど、言ってしまえばお互いに「正義があるかもしれない」 
ということです。


私個人で言うと、
肉食動物から進化してきた人間が肉を食べること自体はあまり抵抗は感じませんが、
動物を飼育するのであれば適した環境で飼育されていて欲しいと願うし、意図的に必要最低限以上の負荷(暴力をふるう等)をかける人間やその行為についてはあまり好みません。
ただ牛や豚やペットなどの人間と関わる経済動物はどうしても人の手が加わります。

作業する人の命を守るために神経の通った牛のツノを切り落とす、
扱いやすいように馴致(トレーニング)・交配を行うなど。

人と動物が共存をする上でしょうがない と言えることはきっとあると思うので線引きは難しいところではあります。


また、もし私の愛犬が散歩中に見知らぬ犬に襲われたとしたら、
全力で自分の愛犬を守ると思います。いくら犬好きであったとしても近くに何か物があったらそれで殴ってしまうかもしれません。


私は蛙が好きで飼育していたことがありますが、
鳥など外敵が近づけないように工夫をします。
また蛇を飼育していました。
その時は外で捕まえた蛙を生き餌として与えていました。


もし戦争が起こってしまったら?
食べ物に困ったら家畜を襲ってしまうかもしれないですし、お店の物を盗んでしまうかもしれません。


動物は生きる為に食べます。
農家さんは畑の食物を食べてしまう野生動物に対して
「害獣」と名前をつけて処分してしまうこともあります。

熊が人目につく場所で行動していたら、熊が何をしたということもなく
処分されてしまうこともあります。

私の知り合いの方で牛・豚・鳥は食べるけれど、ジビエはなんだか可哀想で食べられないという方がいます。
でもジビエかどうか関係なく食べる私からすればいまいちその違いを理解することが難しく思えます。


以前、私は野良猫の多い地域で地面に落ちてしまって弱っている
雛を保護したことがあります。
保護した鳥と普段食べている鳥は何が違うのだろうと疑問に感じました。
同じ鳥なのに 守るものと奪うもの。


このように、私個人の意見ではありますが
保護対象や状況などによって
人の価値観やルールは簡単に崩れてしまう程の脆いものであるのではないのかなと私は思います。


だからお互いに理解がし難かったり、
一貫してないように感じてしまったり、
お互いがお互いに正しいと主張して争ったり、


難しいですね。



答えが出ないからこそ
自分の考えや大切にしたいことを考え続けたいと思います。


ひとの価値観、考え方を否定せず、
守りたいものは守れるように。


海外で生活をしていた時、
宗教上食べることができないものがある友達がいました。
彼女は他の信仰がある友達、無宗教の私に
いかにその宗教が素晴らしいのか
なんて話題にした事が一切ありませんでした。(聞いたら話してくれるのかも)
ただ友達でワイワイ食事をするときには
その食べ物に何が入っているのかを確認して
食べられるものを選択して食べる、そんな感じでした。

また、別の友達は
肉は食べないけれど、魚、卵は食べる友達がいました。
その子もまた自分で食べたいものを選択します。

また別の友達は、肉は食べないけれど卵、乳製品は食べる友達がいました。
その子に話を聞いたときは
「感覚としては生き物として完成されているもの、命を頂くものを食べない」
と教えてくれました。
その話を聞いていた私を含め他の友達もその話を聞いて
そんな選び方があるんだね と否定する事なく
その子の話を聞いていました。


このような感じで当時いた私のコミュニティではお互いの価値観を押し付ける事なく、自分で好きなものを選択する。
またそのような話を聞くときは否定しない。


とても居心地の良い空間でした。


ビーガン、ベジタリアン、、
名前をつけて理解した気になるのは簡単だけれど、
実際、何をその人が大切にしたいのかは
人それぞれ。

あくまでも傾向、またはグラデーションだと
意識することが人と関わる上でより安全にいられるのではないかと考えます。

私も以前、「ナチュラリストだね」と言われたことがあります。
確かに自然や動植物に関心がありますが、
「ナチュラリスト」という枠に囲われることに少し違和感を感じました。


SDGsや多様性と話題になっている中
是非自分が大切にしたいものは何か、
あなたにも考えてみて欲しいです。





最後までお読み頂きありがとうございました。
今日よりも明日 
あなたが自分を愛せますように。















 




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