ゲロ弱メンタルのサラリーマンがフリーランスに転向した経緯と、一歩踏み出すやり方3選
住吉泰地(すみよしだいち)と申します。自己紹介がてら記事を書いています。
突然ですが私、2021年12月29日をもって、勤めていたハーブ健康本舗という通販の会社を辞めました。新卒で入社し、9年と8ヶ月。10周年まで目前、という段ではありましたが、各所相談の上この機がベストだと判断し、年末を最終出勤にしました。来年からはフリーランスになり、組織に属しない働き方で生きていく予定です。
長期のサラリーマン生活から働き方を変えるのは、なかなかに大変でした。仕事も自分で見つけ、確定申告やら健康保険やら細かい手続きやらも誰もしてくれず、本当にやっていけるのかの確証もない中、真っ暗な深海に飛び込むようなもの。私が何故に会社を辞めフリーランスになったのか、その経緯と、一歩踏み出すために行動した準備についてご紹介します。
ゲロ弱メンタルのサラリーマンがフリーランスに転向した経緯
一応自己紹介も兼ねてるので、少しお付き合いいただきますが、幼少期から振り返らせてください。
幼少期:他人の言動に細心の注意を払って生きてきた
平成元年生まれ、もう30歳を超えました。
見てくださいどこの可愛い子やろかと思ったら私ですねコレ。独特のポージングセンス。
幼少期の私って、実はそれなりにハイスペックでして。中学では生徒会長、高校では生徒会副会長、中学・高校と連続で卒業式の答辞を読む代表に選抜されるなど、学校内では目立つポジションでした。通信簿には「誰とでも仲良くなれる明るい子」とのお褒めの言葉をよくいただく、いわゆる「優等生」でした。
――で、実際問題どうだったかというと、「他人の言動に敏感」で、実は気弱な子どもだった…と自己評価しています。褒められたらメチャクチャ嬉しいし、逆に怒られると異様にシュン…とするタイプでした。もちろん褒められたら嬉しい、怒られたら悲しい、そんなの当たり前です。ただ私の場合、感情が先立って強く働く性質があって。周囲と比べ過度に笑ったり、過度に泣いたりする度、自分でも「なんでこんななん…?」と不思議でした。
中学~高校時代になると少し賢くなり、他人を怒らせたり悲しませたりすると最終的に自分に返ってくるので、出来るだけ穏便に、出来るだけ楽しく過ごそう…の姿勢がより強く出てきました。この頃の私は、クラスの中でいわゆる「いじられキャラ」というポジションを確立しています。要はクラスメートの「いじり」に対し、お家芸のような返しを予め用意して、タイミングよくレスポンスすることで、いじる人+周囲の人に笑ってもらう。これは上手に出来ていた自負があります。「いじり」→「いじめ」までいくと、アグレッシブの度が過ぎて逆にネガティブな空気感が充満するので、加減が難しい。また誰にいじられるかにもよるので、絡む人はある程度選んで絡んでいました。こういうとこ、ちょっと計算高くて嫌な奴ですね(笑)。
うまいこと空気読んで、他人とぶつからず、あまり音沙汰立てないような生き方。クラスの空気感を必死に読もうと画策しているあたり、メンタルの弱さを隠さんとする傾向は、この頃培われてきたのだと思います。
※一応補足すると、小中高時代の仲良しもいっぱいいます!
大学時代:はじめての就活でそこそこの挫折、性格がねじれる
大学生になって、人間関係がガラリと変わり、それに伴って人付き合いの仕方も少し変わりました。なんていうか、「腹割って話す」みたいなのが出来るようになったんですよね。本音でぶつかって仲良くなる、みたいな。
学部がちょっと癖の強い人間の坩堝で、入った吹奏楽サークルも皆個性が強くてカルチャーショック…こういう環境で自分の意志や考えを主張する術を学んだように感じます。あと、大学時代って「友だちの友だち」で芋づる式に交友関係が広がってったのもあって、だいぶ鍛えられた気がする。急に人見知り発揮する日もありましたが。
そんな中、ついに「就活」が始まる訳です。これは人生の転機。なんてったて、受けども受けどもまあ受からない笑。
就活に失敗した原因は色々あるのですが、一番はざっくり自分が無能で、そんなに魅力的じゃなかったのだと思います。確かにいまタイムスリップして、自分自身をハーブ健康本舗に招くかと言われたら、まあ天地がひっくり返っても招かない自信あるもんね(笑)。ストレス耐性なさそうですぐ凹んで仕事できなさそう(実際すぐ凹んでたし)な感じがムンムンと出ていて、
就活に挑むには修業が足りなかった。
あとは、「働く理由」が面接で答えられなかったことも多少要因になっている気がします。自分の中には「お金を稼ぐため」「生活をするため」っていうのが明確にあったんだけど、まんま面接で金のためだって答えてて。それ企業が求めている回答ではないんですよね、そういう当たり前のことじゃなくて、働く意義をオリジナリティある回答でどこまで魅せられるかって話で。でもどうしても「自己成長のため」「ステップアップのため」とか嘘つけなくて。それって就活のために就活してるよね?自分はしませんけど?みたいな変なプライドが邪魔してて、全部悪い形で面接に表出したと思われ。
実際就活に対するやる気もイマイチでした。研究室での卒論執筆に忙しかったのもあるけど、実はその頃タレントになりたいっていう夢もあって。大学4年生なったばかりという中途半端な時期からタレント養成学校にも通い出したんですよね。それもそれで学びはあったし楽しかったんですけど、当時、母親の目には就職もせずに遊び惚けてるように映って。「真面目に働いてよ」と、日々そこそこの熱量でお叱りの電話がかかってきてました。
企業からはお祈りメール、母親からはお叱り電話で、メンタル的にだいぶ参ってしまってて。大学4年の11月に自宅でひとり大号泣したのを覚えてます。冷静に考えると、中高でこういうみじめさを味わったことが無かった。受験も全部推薦とかAOだったし、吹奏楽部のコンクールで良い成績取れなかった!という悔しさはありましたが、個人の戦績で悔しい思いをするのって、下手したら就活が初めてなんですよね。結果この辺りで、社会はそんなに甘くないし、もっと強く生きないといけないと、弱いメンタルで泣きはらしながら、今後の人生を覚悟し始めました。
大学時代に身に着けた人間関係での主張の強さと、就活の一連での鬱憤が、割といまの自分の性格に影響していると分析しています。簡単に言うと性格悪くなった(笑)。だって、泣いてたって解決しないんだもん。なら弱いメンタルには何重にもガードを張り、糞ほど文句言って強がってでも、現状から這い上がるしかなかったんですよね。
そんな精神状態で、もうアルバイトでもいいから仕事探そうと、手に取った仕事情報誌に載っていたハーブ健康本舗で面接を受け、社長から「面白そうだから」とキャラ採用され正社員になったのが、ハーブ健康本舗の社員になる最初のきっかけです。
社会人時代(20代まで):修業期間…仕事のイロハを学ぶ
そんな訳で、晴れて会社員デビューを果たしたのが2012年。入社して1週間までは新しい環境に不慣れで、夜中に大学時代の同期にスカイプで通話し、「もうやだ((+_+))」と愚痴ってたのが懐かしい…。
ハーブ健康本舗は、美容・健康に関するオリジナル商品を企画・開発・販売する通販の会社。当時は新卒採用をしていなかったので、実は私の入社自体かなりイレギュラーな出来事でした。なにせ社長が「面白いから」と採用した未知数の新人なので、周りの社員の皆さんはさぞご不安だったことでしょう…。それでも周りの皆さんが一から丁寧に仕事や社会人マナーを教えてくれたおかげで、少しづつですが仕事できるようになりました。
新卒だったから、というのもあったでしょうが、部署異動で社内を転々としながら、たくさんの仕事を経験させてもらいました。はじめは社長の指導のもと資料作成から入り、既存顧客向けのDMのちょっとした校正や、新商品モニター企画の推進サポート、紙販促の資材手配、WEB広告運用のフロント業務、毎週のメルマガ作成と配信、商品開発と進み、最終的には採用広報の仕事の担当になりました。振り返ればメチャクチャいっぱいある!
まあ万事順調だった訳でもなく、年齢が10歳上の後輩が出来たもののうまく関係性が構築できなかったことや、毎年夏にやる社内イベントの準備で瀕死寸前になったこと、すごい尊敬するほど仕事の出来る人が辞めちゃったことなど、自分のメンタルを揺るがす出来事は散々あったんですけど、これはもう本当に良い意味で「経験」になりました。良い経験と思えるくらいには、会社員生活を楽しんでいたんだと思います。何より社内に好きな人たちが多くて。仕事終わりの飲み会に全力投球でストレス発散してました。
そんな感じで、20代はゴリゴリ仕事やっておりました。
社会人(30代):コロナになって行く末を考えた
おかげ様で業績は上がり続け、会社規模も大きくなり、メンバーも20数名から80名近くに増えました。そうすると、会社が社員に求めるスキルやマインドが徐々に変わってきまして。ただ普通に仕事しているだけじゃなく、組織としてモノを考え、全員が経営者ならどう動くか、を重視するような、そんな方針に切り替わっていっているのがここ最近の傾向でした。
そんな流れの中で、私も会社の中で中堅ポジションになり、担当業務を全うするのに加えて、組織がうまく機能する仕事に取り組むようになりました。先手を打って参加者に根回ししたり、タスク管理部分だけ巻き取って全体の仕事のスピードを上げたり、部署運営に困ってそうな部署リーダーに話聞きにいって一緒に運営に入ったりと、仕事の中身が様変わり。仕事なので頑張らないといけないのですが、どうしても繊細なコミュニケーションが必要で、ちょっと疲弊しがちだったように思います。大人になったとはいえ、幼少期の「他人の言動に感化されやすい」性質はご健在のようで、職場でプロジェクトの課題や方針の対立などでバチバチのネガティブな感情に相対し、まあまあここはひとつ…と整理していくのは、なかなかに骨が折れました。大事な仕事と頭では理解しているつもりが、なんだか自分で思うような結果にならないときには、帰宅後にガクッと落ち込んだり…みたいな日も地味に多かったのであります。
で、ここでコロナが蔓延。一気に周囲の価値観が変わりましたよね。
通勤も勤務中もマスクをつけるのが当たり前、少しでも感染リスクを防ぐためにリモート勤務もはじまり、自宅へパソコンを持ち帰って仕事。社内でもコロナ禍の働き方の議論が起こり、対応を検討・実行しました。ニュースでは特に飲食や観光事業に大打撃である旨が放送され、自宅で飲みながらzoomでつなぐ、なんてことも…。なんじゃこの世界は。
コロナで私が一番強く感じたのが、「安定だと信じてたものも変わることがある」です。私にとって、会社に出勤するのは当たり前。それが急に自宅で仕事する環境におかれたのは、そこそこにショッキングな出来事でした。これって、じゃあもし何かの折に会社が潰れたら――潰れないにしろ業績不振でリストラが始まってクビになったら、私はどうなってしまうのだろう…。またあの地獄の就活を始めて、いまのスキルを活かして転職して…そうしたら最終的にどこに向かって、どうなっちゃうんだろう。
って、悶々と考え始めている矢先、ちょうど同い年の友だちが転職先を探してまして。境遇近いなと思い、転職話をネタにご飯を食べに行ったんです。その時に、「将来ふたりでこんな仕事が出来ないか…」みたいな未来の話をして、久しぶりにすごいワクワクしたというか。話しているうちに本当に挑戦したくなって、友だちと何度か話し合う中で、お互い次の働き方を決めました。
これが転向の経緯です。この世の中を生き抜くために、また、新しい挑戦を友だちと一緒に進めるために、まずは自分ひとりで人生を切り開く力が欲しくて、いっそ自分をそういう環境に置こう!と決めました。
人生一度きり!みたいな語り口は普段あまり口にしないのですが(光属性過ぎて胃もたれするので…笑)、長い人生だし挑戦してみてもいいかな?と思い、社長に退職の旨を相談。ほかの社員の皆さんにも温かい声をたくさんかけていただき、今年からフリーランスとして働くに至った――という次第です。
フリーランスになる上で始めた3つの事前準備
アホほど長文になってごめんなさい…。簡潔に書けないのはまだまだライターとして未熟ですね。でももう少しだけ、お付き合いください…。
言うてもメンタル弱い私がフリーランスになるには、「メンタル弱い」が理由で行動不能にならないよう、環境を変える上で準備が必要でした。3つのポイントにまとめてご紹介します。
①全力の円満退職
最終出勤日は冒頭で話した通り2021年12月29日なのですが、退職の相談をしたのはその9ヶ月前――3月のことでした。一般的に言うと早すぎるかもしれませんが、自身がもっている業務の引継ぎや、仕事が残らないように片付ける期間として半年以上かかるだろうと見込んでの相談時期。この判断は正解でした(本当に引継ぎとか業務整理って時間かかるんだと痛感…)。
円満退職、というよりも、「残していく会社のメンバーへの思いやりを行動で示す」という方がしっくりくるかもしれません。私の場合はそもそもで会社のメンバーが好きだったというのも強くありますが、せっかく新しい挑戦をする上で、誰かに恨まれたり無関心でいられたりするのって、しんどいじゃないですか。だったら全力で応援してもらえるような行動はとるべき。そんな考えで、私は仕事を最終日のギリギリまでやり抜きました。
中には「円満退職なんて、そんななまっちょろいこと言ってると、いつまで経っても退職なんかできないのようちは( ゚Д゚)」という職場で仕事している人もいるかもしれないので、万能な策ではないのかもしれません。でも、出来ることなら、すべての皆さんがお互い腹割って話して納得した上で、スッキリと新しい一歩を踏み出せたら最高。
②前職との関係をつなぎ留め、外部委託で仕事をもらう
もうすでにハーブ健康本舗のブログでも書いたのですが、退職後も引き続き、会社のブログを更新します。2月中旬以降から週1回くらい来社して、企画したりインタビューしたりしながら仕事をさせてもらえることになりました。ブログ以外にも、何か自身が役に立つことがあれば、順次仕事として請け負わせてもらえないか、相談していくつもりです。
フリーランスへ転向する上で、一番の懸念材料は「仕事がちゃんとあるのか」。で、前職で培ったスキルやノウハウを生かして仕事するなら、やはり前職の仕事を外部委託してもらうのが最も効率がよい。新しい取引先を一からアプローチしていくのは大変…もちろんそれも、ゆくゆくはやらないといけないのですが。
職種によっても変わるでしょうし、何より退職した人に仕事を任せるかは会社の裁量にもよるのは事実あります。まずは本当にやりたいという気持ちを素直に伝える。また、この仕事を社内の誰かにやらせるより外部に任せた方が、社員のエネルギーを別のところに割ける、という部分をケアできると、前職からの外部委託も、より現実味が増すのではないでしょうか。
③友だちとルームシェア
在職中に引っ越しをしまして、先ほど話に出てきた友だちと7月から一緒に住み始めました。ルームシェアなんて、大学時代1年だけ入寮した学生寮以来ですが、将来的なことも見据えて、現在もふたりで暮らしています。
新しい挑戦をする決意を行動で示す――みたいなのも若干あってのルームシェア。ただ、実際暮らしてみて「寂しくなくなった」恩恵がデカく、暮らして良かったと思っています。正直いまは、ふたりともそれぞれのやり方で仕事を進めていて、生活のリズムも違うし、なんなら会話ゼロで終わる日も少なくありません。それでも、同じ空間内に居ると分かるだけで安心する部分も多いし、「おかえり」「ただいま」の挨拶ができる相手がいるのは、独身としてはありがたいものです。
あとは端的に家賃や光熱費が半々で済むので、各段に安い。フリーランスで収入の先が見えない中だったので、よい安心材料になっています。
フリーランスになったこれからの展望
そんなこんなで、いままでの経緯とやってきた事前準備をまとめてみました。
記事の締めに、これからの展望…と書いてみたものの、正直フリーランスとは銘打ったけど具体的に何者であるのかを説明するのって、結構難しいんですよね。
一応ライター業(会社のブログ更新)が主軸にはなりますが、せっかく時間があるので、YouTubeの投稿も始めてみたんです。動画編集のスキルアップと、動画が名刺代わりにもなるのとで、どこまでの効果が得られるかは分からないですが、何かしら続けてみないとと思って。
もともとタレントになりたい、という夢もあったので、動画投稿ちょっと楽しかったりもするんですよね。撮影はうまくしゃべれないし、編集も死ぬほど時間かかりますが、まずは継続。
将来的にはルームシェア中の友人の近況も加味して、語り合った展望をビジネスに昇華できればと画策中ですが、いまはあまり枠にとらわれず、自由に行動してみたい気持ちです。フリーランスとして安定収入がない分、やれることはなんでもやらないと。
あともうひとつ、私はメンタルが弱いです。今もなおゲロ弱。
でも、メンタルが強くても弱くても、この世知辛い世の中を渡り歩かないといけないのも事実。敢えて「ゲロ弱メンタル」をタイトルで推し出しているのは、メンタルが弱いことにめげずに、フリーランスで生き延びていく、そんな心意気というか意思というか、自分的信念があったりもします。
まあ、もしかするとフリーランスになることでメンタル自体が強化されて、最強になるかもしれないけど、それはそれで悪い話でもないので、成り行きに任せていきたいと思います。その時は『ゲロ弱メンタルながらフリーランスになりました』の題目も変えないといけませんね。
どうなるのか分からない人生ですが、今後ともメンタル弱いなりに頑張っていく所存です。皆様、今後ともお付き合いを、どうぞよろしくお願いいたします。
住吉泰地(すみよしだいち)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?