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「女性だから」という理由を使いたくないし、使われたくない。

やっと読めた本。正直、国も違うし、歳も近くは無いけれど共感することが多いと感じた。

会社でも家でも「モヤモヤ」感じることはあるけれど、それに対してそうモヤモヤ感じている自分の方が悪いのでは無いかという感覚に陥るし、周りの環境がそういう風にしているのは何故なのだろうか。

遥か昔の中国の纏足という文化のように、男性の3歩後ろを歩くという女性が好まれている日本の文化のように、女性が前へ出ない様になにか大きな力が働いているのでは無いかと感じる。

なぜ、同じ人間なのに「女性だから」という理由で自分の人生を進むことに負い目を感じなくてはいけないのだろうか。夜道を一人で歩く事に恐怖を感じなくてはいけないのだろうか。

男の子は少しくらいヤンチャしてもいい、女の子なんだから上品にしなさい。くらいは別に良い。女の子なんだから手伝いなさい、男の子は沢山食べなさい。昔から祖母の家で飛び交うこの会話に疑問を持ち、反抗するのは私だけだった。

この本を読んだ事で、この「モヤモヤ」を感じているのは私だけでは無いと感じた。と共に、これを訴え、変えることを主張することが如何に困難で、如何に辛いかというのも明記はされていないけれど感じる。

まるでノンフィクションのような小説で、女性に共感させ、現状のモヤモヤを伝えるという方法はとても良いと感じる。ただ、男性はこの本を読んでどう感じるのだろう。

そして、どのように世界を平等に変えるかとは書かれていない点に対して残念と感じてしまった。自分自身でさえ、フラットな世界に変わることを誰かにしてもらいたいと感じていることに気づき、自分に落胆してしまった。

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