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貧乳コンプレックスと下着屋恐怖症

誰にも話したことがないコンプレックスについて語ろうと思う
正確には『話したことがない』ではなく『話せなかった』お話

人なら誰でもコンプレックスはあるものだと思うけれど
私の場合はそれが『貧乳』だった

正直、貧乳という言葉は好きではない
誰が名付けたのかは分からないけれど
この言葉を考え出した人は、
他人の胸を貧しい呼ばわりするなんて
随分と心の貧しい人だと思う

でも小さな胸を表現する時に、現在一番多く使われる表現なので
貧乳という言葉でとりあえず記載することにする


私が中学生だった頃に
当時、同じ部活で仲が良かったEさんという子がいた

Eさんは典型的な早熟で人より背が高く
大人びた顔立ちの美人で人目を引くタイプだった
そしてEさんはかなり胸が大きかった

ある日、わたしとEさんが並んで話をしていると
それを見た、とある男子が笑いながら
周りの男子達にこう言った

「おい!見ろよ!デカパイと断崖絶壁がいるぞー!」

その男子は、あははと呑気に笑いながら
私たちの横を通り過ぎて行った

私とEさんはあっけにとられて
お互いの顔を見つめ合ってしまった

「ほんとに、デリカシーなさすぎだよね!」

二人で怒りながら、通り過ぎた男子の後姿を睨みつけていた


思い起こせばなんてことはない話なんだけど
この出来事は、後の私の心に大きな影を落とすことになった

それからずっと後、短大生の頃に付き合っていた彼氏から
こんな言葉を掛けられた

「お前、もっと胸があれば良かったのにな」

この言葉で、私のコンプレックスは決定的になってしまった


私の母親も胸がまったく存在せず、それが遺伝したのだと思う
ちなみに、母方の家系は見事なほどに貧乳だらけで
まさに、『貧乳オールスターズ』である

勿論、母にはなんの罪もないし恨んでもいない
というか、恨んでも仕方がないんだけれど

でも正直、もしも母親の胸が大きかったら
私にも遺伝したかもしれないのになぁという
考えてもどうしようもないことを思ったことはある

お母さんごめんなさい


私は、胸が大きくなるといわれている
怪しげなサプリやらマッサージやらを試してみた
そして、キャベツを食べたり豆乳を飲んだり色々頑張ってみた

でも、私に残ったのは
マッサージをしすぎて残った胸の痣だけだった

豊胸手術も考えたけれど、調べてみたら
色々とリスクがありすぎて諦めざるおえなかった

私はもう、胸のことを考えることを放棄した
こうなったら見て見ぬふりをするのが
自分の心を守れる手段だと思ったからである

でも残念ながらそんなことで根本的な
コンプレックスは消えることは無かった


貧乳だった私がブラを買うのはだいたい
し〇むらやスーパーのワゴンの中だった
ワイヤー入りは胸の骨に刺さって痛いので
ノンワイヤーのものかスポーツブラばかり買っていた

一番小さいサイズを付けてみてもパカパカして
パットで上げ底してみても、上の部分はスッカスカである

たまに、友人や会社の同僚の子が
「どこでブラを買っているの?」と他の子と盛り上がっていても
私はいつも蚊帳の外だった

大抵、そういう話を始めるのはバストが大きい子や
普通サイズの子ばかりだったので
そりゃ、あなたたちはそういう情報が欲しいだろう
でも私にとってはどうでもいい話なんだよと思いつつ
ひっそりと途中で話の輪から抜けるのが常だった

ワ〇ールとかトリ〇プは名前は知っていても
私には縁のないブランドで
一生購入することはないと思っていた

多分、ああいうお店でブラを購入するのは
普通サイズの人や胸が大きい人だろう

貧乳の私がああいうちゃんとしたブラを付けてみたところで
何も変わらないし、垂れる胸もないのだから
別に安いものでもいいしどうでもいいやと思っていた

そもそも、私が行ってみたところで
そんな小さなサイズありませんと門前払いされそうだし
ああいうお店はきっと『貧乳お断り』なんだろうな
なので私は訪れる資格そのものがないのである

それに、下着の販売員をやるような人は
ブラに興味があるくらいだから
大きい胸の人か少なくても普通サイズの人だろう

そんな人にフィッティングなんてものをされたら
『この人胸がなさすぎ!』と思われて
遠回しにオブラートに包みながら馬鹿にされそうだし
考えただけでみっともなくて惨めな気持ちになりそうだと思った

今になって考えてみれば、ものすごい被害妄想だと思う

でも当時の私は本気でそう思っていて
ランジェリーショップの前を通るのも恐ろしくて
まるで、大島〇るの事故物件レベルで避けて逃げ回っていた

そうこうしているうちに、下着屋さんの前を通っても
まるで私の目には入らないし覚えていないという
高等テクニックを身に着けたので、そういったことはなくなったけれど

当時はそのくらい悩んでいたし、心を壊しかけていた
私はいったい、何と戦っていたんだろう


それからまた時がたち、私は結婚して二人の娘の母になった

しばらくは子育てに追われて貧乳コンプレックスについて
考えることはなかったけれど、子供たちが大きくなるにつれて

『この子たちに貧乳が遺伝していたらどうしよう』

と、思うようになりはじめた

結局、私は自分のコンプレックスとまったく向き合えていなかったし
そこから逃げ回ることしか考えていなかった

そろそろ、自分のコンプレックスに向き合って
決着を付けなければならないんじゃないか、そう思った

私自身は無意識でやっていたのだけれど
相変わらずランジェリーショップから逃げて
胸の豊かなグラビアアイドルが表紙を飾る雑誌が陳列されている
本屋やコンビニの棚からも逃げていた
巨乳という言葉を聞くと、ひどく気分を害するのも相変わらずだった

やっぱり変わらなくちゃいけない


私は同じコンプレックスを抱えていた女性の話を聞きたいと思った
そこで、色々とネットサーフィンをしていると
こんな意見を仰っている方がいた

「貧乳ってね、意外と良いことも多いんですよ
肩もこらないし、下着も安く手に入るしね、早く走ることもできるんですよ
胸が大きい人は走ると胸がちぎれそうに痛くなるんですって」

この言葉で私は、はっとした

『そういえば私、走るのは得意だった』

昔から走るのだけは得意で
学校の運動会ではいつもクラス対抗リレーでアンカーだった

地区の体育大会に学校の代表として参加したこともあった

『私、貧乳のデメリットにしか目を向けていなかったのか…』

なんだか憑き物が落ちたような感覚だった
自分の視野の狭さに驚愕した瞬間でもあった

それ以外の意見で、私の心に残った言葉があった

「子供はあなたの所有物ではありません
あなたとは違う感情をもった一人の人間です
あなたがそれを良くないと思っていても
あなたの子供が同じように思うかどうかはわかりません」

確かにその通りだと思う

そんな当たり前のことに気が付かないくらい病んでいたんだな自分

そしてランジェリーショップの店員さんの言葉である

「わたしたちは、毎日たくさんのお客様と接しています
その中には小さい胸のお客様もいらっしゃいます
自分のサイズがないなんて思わずに
ぜひショップに足を運んでみてくださいね」

自分の殻に閉じこもっていた私は、本当に馬鹿だったな

「他人の体をジャッジする奴なんて、最低な人間だよ
自分はそんなに完璧な人間でもないくせにさ
幼稚な奴の言葉なんて気にするな」

これは本当にその通りだと思う
少なくとも私は、20年も他人の言葉の呪いにとらわれていた
失われた私の時間を返してもらいたいくらいだ


何気ない誰かの言葉が誰かを傷つけることがある

そして、誰かの言葉が誰かを癒すことがある

私はどちらも経験してこれからは
人にやさしい言葉を使っていこうと思った

もしかしたら、貧乳で一番良かったことって他人の痛みに対して
優しくなれたことだったのかもしれないね


今ではただの笑い話だけど、私にとってはとても重大な話
誰かに聞いてもらいたかった昔ばなし


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