見出し画像

不自然な友人関係とフローズンマルガリータ

私は男友達がほとんどいない。
好意を抱かない異性とわざわざ会おうと思うことがない。
好き好んで会おうと思う男のことは、自分から好きになってしまう時もあれば、好きになられてしまったり、下心を感じて嫌になってしまったり、結果身体の関係をもってしまうことだって多々あった。

なので、もう純粋な男友達を作ることは諦めた。
身体の関係をもった後も、話したいと思えることが私にとっての男友達の要件になっている。

けれど、その関係を構築することがとても難しい。
嫌いになったわけではなくとも、もう会うのは良いかなあと思ったり、私が会いたくても向こうはきっとそれを望まないなという状況だったり、その逆も然り。そういうわけだから、身体の関係を持ち、それでもその後にお互いが関係を維持しようと思いあうことの難しさは、気持ちだけでなくタイミングや状況に大いに関係されるのだとつくづく思う。
むしろ、そう居られることは奇跡なのだ。お互いの気持ちとタイミングとの波長が合致した時にだけ起こる奇跡。

そんな、様々な条件を乗り越えて、未だに定期的にご飯に行き、近況報告をしあう数少ない男友達のうちの一人と、AGAVEにはよく行く。

彼とは確か合コンで出会った。
その当時は私も結構遊んでいて、彼なんかもっと相当派手に遊んでいて、心配するくらいだった。
やたらと私を変わった女だと言う男で、そんな感覚を使うためには文章を書けと2回目に会った時から言われていたように思う。
私は多少根暗だがそんなに変わった人間ではないつもりだったから、やはり明るい世界にいる男の周りには明るくて物想いに耽るような女はいないのだろうかと疑問に思った。

出会ってから割と時間が経ってから身体の関係を持った。
きっかけはこんなにも思い出せないことがあるのかというくらいに思い出すことができないが、彼は割と誰にでもそういうことを仕掛ける男だったから、遅かれ早かれそうなるだろうということは何となく想像はしていたし、驚きはしなかった。
そしてそうなってからも定期的に会い、その後彼が一年海外に行き、帰ってきて久々に会ってから、やっと何となく「男友達」になることができたように思う。

照れてしまうような趣味趣向、身の程を考えない夢の大きさ、一体いつになったら実現するのかという現実感が持てない話。
それを口に出すことは人によってはとても勇気のいることだ。
そんな勇気を振り絞らずとも、自分から彼に話してみたいと思う人間の存在がとてもありがたい。

AGAVEの調度いいところは、いやらしくない薄暗さ、程よくチープさも明るさもあり、陽の要素を持っているところだ。
メキシカンバーでテキーラの種類がとても多く、明るく酔うことができるため、友人と行くのがぴったりの場所だと勝手に思っている。
デートで連れて行かれたらちょっとムードに欠けてしまうくらい、何だか明るい。

テキーラのショットなんてもう飲まないし、私は煙草も葉巻もシーシャも嗜まない。
明らかにそんな雰囲気を醸し出してくるが、それでもここはそれを強要するような場所ではないから、くつろぐことができる。
羽を伸ばす、という感覚に近い。

私たちはお互いの色んな姿を見尽くしてきたからこそ、恥ずかしがらず爽やかに突っ込んだ話ができるのだと思う。
私の性癖も知っているし、相手の裸だって知っているし、どれくらいで射精するかも知っているし、好みそうなポイントや服装も分かる、遊んできた(または遊んでいる)女たち・男たちのことだって知っている。
兄がいたらこんな感じなのでは?とも思う。というよりも、双子の兄か。
最後には軽くキスをして別れるのも、なんだか心が通じているようで良い。

けれど、彼とここに行く時は、カウンターではなく対面のスツールに座るようにしている。
そして甘えすぎないようにしている。それから報告できる何かをいつも作りたいと思っている。
こうして「あえて」を繰り返している時点でやっぱり純粋な友人ではないのだろう。
それを不自然と呼ぶ人もいるだろうけれど、自分とこの人の関係の中では、なぜか居心地のいい状態なのだ。


ここまで書いてみて、やっぱり全然純粋な男友達ではないような気がして、笑えてきた。
男友達との関係を気遣い続けながら会うくらいなら、気を許せる女友達とワイワイしている方が私には合うのだと思うから。
それでも、少しだけいる男友達を大切にしようと思うし、大切にされる男友達も幸せだよなあと上から思ったりするので、試行錯誤しながら不自然な関係でも続けていきたいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?