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あの風に名前をやりたい

私は風が光る瞬間を見たことがある。
海辺を歩きながら振り返った時に、カモメがはたはたと空を飛び、その下には眩しそうに眼を細める男の姿があった。
その男と私とカモメの間を通り抜ける風は、間違いなく光っていた。光っていたし、私たちを照らしていた。海に溶け込んだ太陽の光とは別に、風として光を放っていた。間違いない。

その時は、刺すような日差しとそれを反射する海と、光る風に晒される好きな男を見ながら、こんなに綺麗な景色があるんだと、写真にでも撮って残してやりたいと思った。
一方で、そんな瞬間は写真に収まるはずもなく長くは続かないと心のどこかで分かっていたから、ただ心に強く焼き付けようと目と心をその方向に向けて、静かに向き合うことしかできなかったのだから、いじらしいものだ。

人間は一度に五感を全て使いきることは難しい。どうしても焼き付けたいものを見ていると、聴覚はなおざりになり、波音は遠ざかる。
五感を使って記録をしたい思い出こそどれか一つに感覚が注力してしまい、五感で記録をすることはなかなかできない。できないから、全力で向かい合い、少しでも多くのものを感じていたい覚えていたいと躍起になる。
そんな風にして向かい合っている時点で、先の長い関係ではないのだと気付くのはもっと後になってからだ。

そのとき話していた内容は、もう思い出すことはできない。
ちょっと寒いねだとか花火をしようだとかどの辺りに座ろうだとか、何気ないものだったであろう。或いは、会話を目的とするのではなく、ただ沈黙を避けるためだけに言葉を発していたようにも思う。それくらい、この関係が終わりに近づいていることは肌で感じていた。

彼は一人で、砂浜で缶ビールを開けていた。
その男は絶対に自分から決定的なことを言わないと分かっていたから、私が痺れを切らして告白するか、立ち去るかのどちらかがその次のコマとして残されたものだった。そのどちらにも進みたくなくて、進む勇気もなくて、一回休み、をひたすら繰り返しては、その間にこうして小旅行をしたり、まるで普通のカップルのようなデートをしたり、家に通ってセックスをしたりという日々を続けていた。

いつだって、左手の薬指に指輪を光らせていて、どうしても手に入らない男だった。
初めて会った時から見た目も中身もその時の私にとっては理想そのもので、私を見て欲しいと強く思った。
人生で、その時の自分にとって理想そのものである異性と出会えることはどれだけあるだろうか。少なくともその時に私にとって、その時に付き合っていた彼氏を優に超えてしまう、鮮烈な光を持った男だった。あまりにも強くそう思ったものだから、途中からその気持ちを隠すことをやめた。やめたというより、隠すことができなくなったので、彼氏とは機をみて別れた。

それでもキスをする以上のことはなく、二番目の女として半年ほど過ごしたあたりで、大学のすぐ近くのカフェで「旅行でも行く?」と聞いてきた時は、素直に嬉しくて何も隠さずにただひたすらに喜ぶ姿を見せてしまったように思う。
その旅行が何を意味するのかは、そろそろ体の関係でも持つかという意味だったのだろうけれど、そう分からせないような彼がずっと好きだった。いつだって紳士で本当に格好良いところばかり見せてくる、私のヒーローだったから。

初めて旅行に行って彼と繋がったときは、悔しいけれど泣いてしまった。その涙は間違いなく嬉し涙だったし、その時の私は何かを達成したような気持ちになっていた。
そんな時にもヒーローはくすりと微笑んで、泣かないで、と涙を指で拭ってくれた。そんな彼の全部が欲しくて欲しくてたまらなかった。この時だけは手に入ったような気がしたけれどそれはほんの一瞬の話で、手を伸ばしても絶対に届かなくて、相変わらずに光る薬指の指輪が憎らしかった。

ほんの出来心で「今日(旅行)のこと、彼女に何て言ってきたの?」と明るいトーンで強がって聞くと、「何も言ってないよ?」と当然のように帰ってきて、その返答は事実として当然なのだろうが私をひどく落ち込ませた。彼の家に行って、料理をしたり、誕生日を祝いあったり、手を繋いで帰ったり、自転車に二人乗りしたり、映画もたくさん観たり、たくさんの時間をこんなに過ごしても、この人は私のものではないのだと思う時が一番寂しかった。
誰も自分のものにはならないのだと今なら分かるけれど(頭ではね)、それを受け止めるだけの理性はなかった。その人全部を欲しいと思った。私を受け止めて欲しいと思っていた。彼からしたらそんな風にノーガードでぶつかっていく姿が物珍しかったのかもしれないが、あの時はそうすることしかできなかった。それなのに肝心なところで勇気が出なかったどうしようもない臆病者なのだけれど。

そんな日々を積み重ね、海に行った時だった。今でも目に焼き付いている、風が光るのを目にしたのは。
それは幸福の象徴ではなく、私には潮時を表すような、私の背中を押すような光だった。後ろの景色はこんなに素敵だけれど、振り向かず進め、と。

そんな風を感じた1ヶ月程後に、もうこんなに気持ちを汲み取ってくれない男となんて一緒に居たくないとふと思い、私から急に離れた。
離れる前にどうしても告白しようと思ったけれど、それもできなかった。どうしても、口からその言葉が出てこなかった。彼はその言葉を待っているように見えたけれど、その余裕を含んだ目がいつも私を悔しくさせたから、伝えるよりも急に消えることを選んだ。

彼の前から消えてからは肩の荷が下りたように身軽になり、どれほど視野が狭まっていたのかを気付かされた。幸せそうな女はやはり側に置いておきたいと思う男が多いようで、そこから結構なモテ期がきたように思う。

その彼は既に二児の父となり、先日(これは本当に)図らずも二人で飲むことになった時に、「一回も好きだって言ってこなかったよね。好きだって言ったら何か変わったかもしれないのに。」というようなことを笑顔で言っていた。言わないんじゃなくて、何度も言おうとしたのに言えなかったんだと、少しだけ言ってやりたくなったが、その言葉を飲み込んで「バカじゃないの笑」と私は笑った。
その男に今では切なさもなくそう言える女になれて良かった。大体、そんなことを今言えるような男であったことが少し自分を落胆させたが、あの時だけは間違いなく私のヒーローであったのだからそれには目を瞑る。

思えば彼はだらしないところもあって全然ヒーローなんかではなかったけれど、ある少しの間でも、一人の男のことをヒーローだと思い慕っていたという甘い事実が、私にあってよかった。

余談だが、セックスに加えてもう一つ、旅行に行って嬉しかったことがある。
彼は何気ない私を写真にたくさん収めていた。
橋から川を覗き込む横顔、蕎麦にかけるわさびを一生懸命擦るうつむいた顔、バス停でソフトクリームを持ち嬉しそうに差し出す顔、たまに思い出したように寂しそうに海を眺める横顔。そういった瞬間を彼はたくさんカメラに収めていて、彼の目に映る私はとても楽しそうで嬉しそうで寂しさも隠さない、素直に可愛い少女だった。こんなに可愛い少女を彼女にしないなんて、本当に見る目がないと思った。
恋をしている時の自分は結構可愛いものだと知らせてくれた彼にも、こっそり感謝している。だからみんな、デートする相手の写真はたくさん撮るべきだと思う。大人になるとそうもいかないのがまた寂しいそして難しいところでもあるけれど。

それはそうと、光る風を私は今後も見ることはあるんだろうか。
何となく、あるような気がするから、五感を冴え渡らせて生きていかないといけないと感じている。

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