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虹色のハムスター

バルセロナの路地裏の、なんだかよくわからないお土産物をたくさん売っている露店を思い出している。扉をくぐってすぐ横に飾られる陶器、優しい目線のトラの置物、カラフルに花が絵付けされた無数の食器、異国の光を映したガラスのランプ、きっとどれも観光客向けに並べられた品物だろう。
きらきらと、瞳の奥をくすぐる。それはとても心地良く、明るい色を体内に差し込んでくるような空間だった。太陽と強い日差しに焼けた石、それに少しだけ挨の匂いがした。
まぶしい、まぶしくて、溶けそうで、あたたかい。

道玄坂のラブホテルの一室で、恋人の腕に絡められながらそんなことを思い出していた。彼は横向きに深く眠り、私はふと目を覚ました。まだ射精から10分ほどしか経っていないように思える。

もぞもぞと動き、引き続き腕の中でうつ伏せで肘を立てた状態になった。彼は目を覚まさない。寝息を立てているが、たまに無呼吸になる。このまま息が止まったら、どうなるだろう。それもそれで、ありかも。いや、なしか。誰にも説明がつかない。いや、説明の必要なんてないくらいの状況だから楽かも、楽とかそういう話ではない、でもでも。

彼の呼吸が止まる瞬間を目にすることができたら、それは私は何かに勝ったことになるような気がする、でもそれでも私は負けたままか。だったら好物の豆腐をどんどん食べて、明るく生きてくれた方がいいのか。どうかな。

ベッドの頭上部分にはこうしたホテルにありがちな虹色に色を変えるライト調節のボードがあり、私はそれを見ながらバルセロナの露店と強い日差しとを思い出し、恋人が死ぬことを重ねて想像していた。
あんなにも明るい光に包まれた空間と、今この瞬間の空間はおそろしくかけ離れている。あんなあたたかさはここにはない。ここは、夢のように暗く、静かで、外に出てしまえば何もなくなってしまう場所だ。

ベッドに面したある一面の壁は全面鏡張りで、今の状態を臨むことができた。一通り終えたセックスの後に見る自分は、髪が乱れている。火照った肌は一眠りしたことにより落ち着いているが、どうしてもいつもとは少し違う湿度を含ませているようにも見える。こういうときの女って美しいなと思う。頭からお尻までの曲線がいい。こういう時のために体をちょっと鍛えたりして、この曲線が何かを狂わせるならそれもいい。ここを撫でると、自分も男も狂えるなら、それってすごいことだ。

彼の腕の中、虹色の光に包まれて、 夢と現実の間を彷徨いながら、そして太陽の気配を追いかけながら、彼の寝顔を眺めた。ここはどこだろう。 私を縛っているこの腕は何だろう。

また腕に潜り込んで、呼吸の音に加えて、心臓の音を聞く。心臓の音が重ならないかなあと思う。速度のコントロールなんてできないから、重ならない。ここでも、本当の意味で私たちは重なれない。
瀬戸内海の豊島にある、心臓音のアーカイブを思い出し、そこにはこの男の心音はないのだと思った。死んだら、私だけは残って、彼の心臓はなかったことになるのか、そうなればいい、一緒になれないのだったら。
一つ、 深く息を吸って吐いた。深く沈んだ思いを外に捨てる。

楽しい時を楽しいと感じることができなくなったら、恋は終わりだ。
この夏にしたたくさんの約束を一つ一つ叶えることを思い、そういうことだけに目を向けていられたらいいのにと、ハムスターの脳みそになれたらいいのにと、 思った。
ハムスターは、脳みその容量が限られていて、未来のことは一切考えない。今この瞬間のことだけを考え全力で楽しむ。そういうような生き物を目指そうと、迷子の思考を閉じようと、彼の腕の中に戻った。

明るいことだけを考える恋愛なんてないのかもしれないから、私はハムスターになるしかないのかもしれない。
こういう恋愛をするということは、幸せな瞬間と引き換えに、自分の心も削りながら潜っていくことなのだから、脳みそは小さくしていくことが幸せの秘訣なのだ、きっと。

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